しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

公職追放 「好ましからざる」21万人

2021年08月15日 | 昭和21年~25年
「昭和時代 敗戦・占領・独立」  読売新聞  中央公論社 2015年発行

公職追放 「好ましからざる」21万人

GHQによる公職追放は1945年10月、特高警察関係者ら6.000人の追放から始まった。
同年末には軍国教育を行った教員の追放も行った。
これらの追放処理はポツダム宣言第6項〈日本国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出の過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は、永久に除去せられざるべからず〉に基づいていた。
追放が本格化したのは46年1月4日、日本政府はGHQから「公職追放に関する覚書」を受け取り、驚愕する。
追放されると、その時の地位を追われるだけでなく、将来も「公職」に就けず、退職金や恩給、さまざまな手当ても受け取れなくなった。

GHQは「間接統治」方式を採用したため、公職追放でも、該当人物か否かをまず日本側に審査させ、これを了承するという形をとった。

・・・




交渉追放「奇々怪々」政治家パージ
鳩山一郎

戦後初の衆院選で第一党になった自由党の総裁、鳩山一郎は、首相就任を目の前に、
突然、公職追放された。
日本側の審査委員はシロと判定したが、衆院選前に打ち出した「反共スローガン」が左翼陣営を刺激した。当時朝日新聞編集局長だった細川隆元は自著で「でっちあげられたもの」と書いてある。
石橋湛山
東洋経済新報社の社長だった石橋湛山は第一次吉田茂内閣の蔵相に抜擢された。
日本側はシロだったが、民生局は強権発動した。
面政局は後年「戦前軍部を批判したリベラリストであるとは知らなかった」と証言したという。



作家たち
G項=その他の軍国主義者や超国家主義者は、
軍需関連産業の役員や、国粋主義を鼓舞した言論人などを追放するための強力な武器となった。

新聞・出版社から約1.000人が追放。
企業人では、
東急電鉄の五島慶太・・・東條内閣の運輸逓信大臣
阪急の小林一三・・・近衛内閣で商工相
西武鉄道の堤康次郎・・・衆院議員
朝日新聞の緒方竹虎
読売新聞の正力松太郎
ジャーナリスト・評論家
徳富蘇峰
山岡荘八
尾崎士郎
菊池寛


無名の人々
大政翼賛会の支部長に自動的に就任していた市町村長が、D項=大政翼賛会などの有力分子)を適用されて軒並み対象となった。
就職もままならず生活に窮した多くの人々とその家族にとって、公職追放はまさに「格子なき牢獄」だった。


公職追放を受けたのは約21万人で、うち16万7千人が陸海軍人、
これに対し、官僚は1.800人程度。
占領軍の間接統治要員として温存されたためで、
これが戦後の官僚主導政治の要因になる。

GHQは昭和23年5月パージ終了を宣言した。




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