中学校2年の時の担任の先生には、決まったフレーズがあった。
「いや~~ぁ”青い山脈”はいいですねえ」。
何度も言うので、よほど、その映画に感動や衝撃を受けたことがわかった。
先生の年齢からみても、映画の主人公と同年代で共感やあこがれがあったのだろう。
その後、テレビの放映で何度か見たが、確かに日本人が解き放たれ、新時代をよく感じさせる映画だった。
中2の担任の先生が思わず何度も言っていたことも、よく理解できるような気がした。
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「NHK歴史への招待」 鈴木健二 日本放送協会 昭和57年発行
昭和22年男女共学前夜「青い山脈」
石坂洋次郎の『若い人』が昭和13年告訴された。
「先生、天皇陛下は黄金のお箸でお食事をなさるってほんとうですか?」
と女学生が質問する場面が”不敬罪”となった。
戦後日本の再建は、GHQ指導の下に進められた。
マッカーサー元帥は、民主国家日本を築き上げるべく、
「五大改革の指令」を発した。
一、女性を解放すべし
一、経済を民主化すべし
一、労働組合を結成すべし
一、人権を制限する制度を廃止すべし
一、学校教育を民主化すべし
六・三制の施行、男女共学の推進、PTAの設立、などの勧告を行った。
昭和22年「教育基本法」、
第五条(男女共学)
男女は、互いに尊重し、協力しあわなければならないものであって、
教育上男女の共学は、認められなければならない。
教科書が足りない、校舎も足りない、机も足りない、椅子も足りない、教職員も足りない。
教職員も、新しい民主主義に、自分たちはいったい何を子供たちに教えたらよいのか苦悩していた時代である。
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「男女七歳にして席を同じうせず」は国民学校令まで一貫して続いていた。
女子教育は、
「温良貞淑」「良妻賢母」が目的とされ、
男尊女卑の思想がまかり通っていた。
映画「青い山脈」には、
戦後間もない暗鬱としたムード、斬新なストーリーも、
今となってみれば、そう目新しいものでもない。
封切りは昭和24年7月。
原節子、竜崎一郎、池辺良、杉葉子、若山セツ子らが熱演して、
人々の心を強烈にとらえていった。
映画主題歌「青い山脈」は、小説よりも2年後の昭和24年4月のこと。
藤山一郎・奈良光江のデュエットであった。
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昭和23年3月卒業写真・笠岡高等女学校
上下とも着ているものがいろいろ。
セーラー服あり、スカートやモンペの人。
昭和24年3月卒業写真・笠岡高等女学校(高等女学校最後の卒業)
(笠岡高校七十年史より)
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