図書館から文庫本「天声人語」を借りた。
その時代が、感じられて興味深い。
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昭和20年の「天声人語」
昭和20(1945)年 9・12
お役所仕事
アメリカの進駐軍は、たった2日間で、横浜の桟橋から、厚木の飛行場まで、
ガソリン油送管をひいてしまった。
代々木練兵場の幕営にしても、一夜のうちに機械力を駆使して、街路ができ、キャンプが設営され、井戸が掘られ、浄水装置までつくられた。
司令部における士官たちの執務ぶりでも、手紙ひとつがきても、すぐ速記者に口述してタイプを打たせ、上官の署名を得てただちに発送されるなど、水の流れるように事務がさばかれてゆく。
また日米間の交渉的なことでも、こちらの言い分を正当と認めれば、遅滞なく命令に移されて、てきぱきと処理される。
わがお役所仕事は、お役所仕事の効率があがらないということであった。
一つの許可を受けるにしても、あちこち回って、たくさんの判を貰わねばならないし、数省に関連したものなどは、お百度参りをやらねばならない。
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昭和20年9月16日
学び得たこと
敗北によって今次の戦争で、いろいろと喪うところが多かったのは、万やむを得ないことだ。が、
一方、この戦争によって、得るところ、学び得たことも、すくなくない。
学徒が、学業を中止して職場に赴いたことなどは、教育本来の形からいえば、やはり喪うところが多いことではあった。しかし、
男女の学徒がいろいろな職場に仕事を持ち、勤労の本体に触れ、世の中を見たその体験は、日本国民にプラスした。
今一つ、この戦争の収穫がある。
婦人の実社会への進出がそれである。
配給、防空等に関する仕事によって、日本の女性は、戦争と取り組み戦争経済の中に没入した。
そのことによって、婦人は、
日本政治経済の動きを見、それを通して、戦争政治を感じることができた。
約言すれば、日本女性は、社会人的要素を、この戦争によって獲得したという訳である。
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10.22
愛林精神
戦災者救済の簡易住宅も、冬が迫るのに一向進捗していない。
木は伐っても、輸送に隘路があるということだ。
日本は森林が国土の七割を占めて森林国といわれるが、蓄積が貧弱なために、大正10年以後は、年々数百万石を輸入する状態であった。
支那事変が始まって輸入がとまった上に、大東亜戦争となってからは、
軍用材、木造船、坑木その他膨大なる戦時要請に応ずるために林力を消耗する増産が行われ、ついには
神社仏閣の名木や、由緒ある街道の並木まで伐られるにいたった。
こうしていたるところ森林の過伐、乱伐を招来したのである。
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昭和20・11・10
隣邦融和
思うに8月15日の終戦の大詔が、日本人をして一糸乱れず聖断に帰一し奉る効果をもっていたのに対して、
中国にあっても、蒋主席の一段よく四億の兆民を心服せしめるに足りるものがあった事実は永久に忘れるべきではない。
「暴に報いるに直を以てし、讐に応えるに恩を以てす」とは、
実に終戦当時に同主席が中国駐屯の日本軍と、在住の日本人とに向かって放送したところであり、
寸言をもって中国人の痛憤を宥めると共に、増上慢の絶頂から麻のごとく乱れる失意のどん底に転落しつつあった日本人の心緒に深刻なる猛省を強いるに足りるものがあった。
まさに「恩讐の彼方」以上の寛仁大度というべきで、
遺憾ながら道徳上の大人と小児との距たりを見せつけられた観があった。
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昭和20・12.6
戦争犯罪容疑者
戦争犯罪容疑者の数が次々に殖えて、二百十八名を算するに至った。
近年各界の表面に活躍して来た有力者が束にして、隔離されて行く結果、否応なしに政治経済文化の形態と内容とが急変していくに相違ない。
幣原首相は議会の答弁において、
大戦の責任は国民になく、
また天皇の統治上の行動については国務大臣が一切の責任を負うべきものといっている。
しからば、
その両者の中間に立って、統治と戦争とに関するすべての責任を分かつべき人々はもっと多数あるはずで、
連合国の指名を俟つまでもなく、自ら罪し、自らを葬る者が続出して然るべきではないか。
いち早く権力に阿附して、反対派を葬ることのみ夢中になって世の中を暗くし、政道を誤らせてきた卑怯な民間人を一掃する必要がある。
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