(父の話)
信陽への行軍は真夏じゃった。
真夏の漢口戦での光州行軍は多くのひとがコレラになった。
小さな小屋のなかにはコレラにかかったひとがびっしりつまって横になっていた。
コレラになった人は尻からビチが出ていた。
コレラは一種の脱水状態で、蒸留水を注射すれば助かるのだが・・・しかも現地でこしらえてもいたが、
(あまりに発病者が多く)それが足らんようになった。
助かりそうなのから選って治療して、そうでないのはホッテ、尻に石灰をかけてそのままにした。
ようけい死んだ。
談・2000.7.9
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「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 昭和49年発行
第十師団は歩兵第第八旅団が先頭にたち、我が歩兵第三十三旅団は大した戦闘を交えることなく進軍したが、
8月末の晴天つづきの炎天下であり、昼間百十余度も騰り、
当時携帯食糧等の負担量多く、給水また十分でなかったので、
落伍者多く喝病患者また発生、
マラリヤ、コレラ患者も続出して、苦難を極めた難行軍であった。
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「岡山県郷土部隊史」 岡山県郷土部隊史刊行会 山陽印刷 昭和41年発行
漢口攻略戦・その一 光州への行軍
徒歩行軍で8月27日~30日慮州に入る。
第十師団は第三師団とともに光州へ進む。
行進したのが8月末の炎天下であり、日射病にかかる者数多く、
兵隊は唯だ黙々と歩み続けるのであるから、その労苦は倍加し、
敵兵の出現を願う気持ちとなる。
一休みできるからである。
倒れた戦友の死体をダビに附す暇もなく、道端の戦友を抱き起す力もなく、
その足もふらふらしている。
マラリアは蔓延し、兵糧は現地調達のため不足している。
この行軍は実に難行軍で惨憺たるものであった。
・・・
(父の話)
行軍は真夏に続く、昼も夜も・・・。
「戦闘!」の時がはじめていっぷくできるときだ。
・・・「戦闘!」が待ちどうしい時もある。
戦闘がないと休みなしで歩く。歩きつづける。ナンボーにもえろうて、
「弾にでも当たりゃあエエ」と思うたりもする。
当たれば休めるから。
が、死にたくはない。
(死傷病者はどうなるのか?)
隊の後ろが野戦病院の列でそれが、トラックの時もあるし、たいていは馬がひくことが多かった。
談・2000.7.9
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