「歩兵第十聯隊史」
昭和13年12月、陸軍中央部では、漢口、広東の攻略後は、軍事作戦に一段階を画し、
特に重大な必要のないかぎり占領地を拡大せず、
もっぱら安定確保につとめる治安地域と、
抗日勢力の壊滅を目的とする作戦地域とにわけて施策する方針を決定した。
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(北支で、父)
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「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 昭和49年発行
北支転進
昭和14年1月上旬それぞれ分散駐屯地へ向かったが、
当面の敵は共産八路軍で、
敵は我が占領地の点と線を寸断すべく、徹底的なゲリラ戦に出、
駐屯地に向かう各隊は早くも執拗な敵の妨害に遭遇した。
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【父の野戦日誌】
昭和14年6月9日
波は月風、砕けば砕け。
僕は浮世の渡り鳥。
今日は軍人ままならぬ身。
御国のためのご奉公。
今日は討伐。敵の矢玉もなんのその。
僕の命はただ、誰が知る。
護国にささげたこの身体。
明日は遅番、敵の陣。夜は月に見守られ一人たたずむこの大地。
星は輝く幾星霜、故郷はるかにながむれば、なぜか乱れる天の川。
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(父の話・2001年8月15日)
あのほうが茂平の方かのう、ゆうて空を見ょうた。
わかりゃあせん、ほうかのう、思ぃながら見ょうた。そわぁなもんじゃ。
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【父の野戦日誌】
昭和14年6月8日
城見小学校へ
若葉香る楽天地。緑風香る校庭に、
学び舎の窓に平和の光り満ち溢れ。
ああ聖戦も幾星霜。
丈夫の
ああ恩師よ○○よ、
なぜか忘れぬ学び舎と、故郷を遥かながむれば
故郷の山河に輝く月も、揚子江上に輝かん。
ああ戦場より故郷の空へ。
「ねいしん」より母校へ6月8日
管理人記・他に茂平銅山婦人会あてと、家族あての手紙下書きがある。
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日の丸を手に持って皇軍を歓迎する石家荘付近の人々。
(「赤柴・毛利部隊写真集」)
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