場所・岡山県倉敷市真備町川辺~総社市清音
無くなった日・令和5年6月4日
撮影日・2015年9月23日
(川辺側=高梁川右岸の、川辺橋)
川辺橋の撤去工事が、テレビや新聞で報道されている。
橋が傾いたので橋脚を撤去する、という工事が始まった。
(清音側=高梁川左岸の川辺橋)
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【TVニュース】
6月4日、傾いた橋脚にかかる2つの橋桁のうち、1つを取り除く作業が行われました。
川辺橋の橋脚の傾きが見つかったのは5月8日です。県は、このまま放置すると橋脚が倒れて川の流れを妨げ、水位が上がる恐れがあるとして撤去を決めました。
新しい橋を整備するかなど今後の方針はまだ決まっていません。
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川辺橋とは旧山陽道に架かる橋で、
江戸時代、川辺は川辺宿として栄えた。
大名たちは「橋の無い」高梁川を、渡った。
大正時代ごろ、山陽道は南の浜街道(旧2号線)へ地位を奪われたが、
昭和の初め頃、旧山陽道にも架橋が完成した。
それが「川辺橋」。
戦後、金田一耕助さんが歩いたのも、この「川辺橋」。
現在は二本の川辺橋がある。
新しい方の川辺橋に歩道を設けているそうだが、橋の幅はせまくて危険、というか窮屈。
霞橋と同じで、通勤・通学の人が多いから、
専用の歩道橋は必要だろうなあ。
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朝の川辺橋。
(2023年5月2日、午前7時52分の川辺橋。信号待ちの川辺橋から、旧川辺橋を見る)
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西日本豪雨災害後に高梁川の木を伐採し、流速が速くなり橋脚に負担がかかったという説明をする方もいます。
小田川の樹木を伐採したら流速が速く、上流の矢掛町の河川敷の木はことごとく流され、大きな穴が空きました。
対策は、河川の浚渫ですが現在行われていません。川砂を採取したら、砂の輸入業者が困るという利権問題があるようです。