「戦争の中の子どもたち」 福山市引野学区まちづくり推進委員会 2015年発行
小学校の授業は、戦争が終わると再開されることになった。
しかし、校舎も机も椅子も焼けてしまった。
そのため、学年ごとに分かれた分散授業が、各集落のクラブ (会館) や神社を利用して始められた。
教員室は学校に最も近かった不動里のクラブが当てられた。
教員は毎朝ここに集まり、打ち合わせの後、各地区の教室に向かった。
授業後、再び不動里のクラブに帰り、反省会をやるという日課であった。
村にとっても当面する最も重要な課題は、小学校校舎の再建問題であった。
村内の有志が農業会の二階に集まり、総会を開き、その課題を話し合った。
その結果、村民から起債を募り、それをもって再建しようという意見が大勢であった。
たちまち三十万円の起債が集まった。
(深安) 郡や県からの補助は 微々たるものであった。
航空機乗員養成所の廃止に伴い、その建物の廃材が利用できるこ とになった。
残暑未だ厳しい九月初め村民あげて、建築資材の運搬にあたった。
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「岡山県教育史・続編」 岡山県教育委員会 昭和49年発行
戦時体制の解除も急いで行わなければならなかった。
8月16日学徒動員解除、
8月24日学校教練、学校防空関係等の訓令が廃止された。
8月25日、「対新時局緊急措置ニ関スル件」が、岡山県から通達されている。
一御真影、詔書類奉安殿、奉安所=奉還スルコト
二 興亜室ハ之ヲ撤去、他ノ有効ナル教育施設=転換スルコト
三玄関・廊下・教室等校内一円ニ亘り、米・英・ソ・支ヲ敵視シ、一切ノ資料之ヲ撤去ス。
学校につぎつぎと来るものは、占領軍の指令と、物資不足を補うため学童の大量動員による未利用資源の採集の依頼、要望で、
これは戦争末期よりもさらにきびしかった。
県は経済部長、教育民生部長の連名で
県下各学校を集荷単位に生徒、学童による未利用資源90万メ (乾燥品)蒐集運動を展開し以って政府の政策に協力すると共に
勤労作業を通じて学童の勤労的団結精神の涵養、学童自らの手による学校給食の実現を期せんとす。
実施方策
一・ 荷原料と品を概ね左の通りとす。
春季・ワラビ、ゼンマイ、フキ、コメ菜、クローバー等の野草、嫩葉、褐藻類、茶、マコモノ葉
夏季・南瓜種子、南瓜の褐藻類、茶殻、ヨメ菜、アカザ等の野草、里芋
秋季・ 団栗、蕨地下 果実皮、南瓜種子、南瓜葉、褐藻類、里芋茎、大根葉、桑残葉、茶殻
冬季・ 果実皮、葛根 茶穀、甘藷茎葉、大根葉、人参葉、 団栗
二・集荷機関 農業会
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「百年誌」 笠岡小学校 昭和48年発行
昭和20年8月15日
正午、戦争終結に関する玉音放送を聞く
昭和20年8月16日
児童を臨時召集し、戦争終結についての校長訓話
昭和20年10月31日
高等科2年、初等科4年参列 六甲国民学校の疎開児童の送別会を挙行男女両校
昭和21年1月4日
連合軍司令部の指令により、次のことを禁止される
①学校(私立、神道学を除く)で神道の教義を弘布すること
②学校で神社参拝、神道に関する祭式儀式および慣例の挙行
昭和21年1月21日
連合軍司令部の指令により「修身・歴史・地理教授に関する件」として修身・歴史・地理の3科目の現行教科書と教授が禁
止される
笠岡男子国民学校の玄関
戦後東中学校に移転。
老朽化のため取り壊されて現存しない。
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「岡山県史第13巻現代Ⅰ」 岡山県 昭和59年発行
戦後の学校は、軍国主義から民主主義へと180度の方向転換の努力を続けながら、教育を再開して行った。
昭和20年9月20日に文部省は、
国防軍備などを強調した教材、戦意高揚に関する教材などの全部、またはその一部を削除することの通牒を発した。
教室で使用中の教科書の該当部分に墨を塗って使ったのはこのときのことである。
連合軍最高司令官は、同年10月22日に「日本教育制度に対する管理政策」を覚書として日本政府に指令した。
軍国主義を一掃すべきことが要望されたのである。
その中の一つとして、同年12月31日には「修身日本歴史および地理停止に関する件」の指令が出され、
これらの教科を学校で教えることが禁止された。
修身・歴史・地理の教科書は焼き捨てられた。
軍国的な色彩を持つと思われる書物も、同時に焼却されたのである。
この辺の事情を当時の関係者は次のように回想している。
管理で思い出すのは、秦の始皇帝の故事をそのままに、いわゆる「焚書」ということを経験したのも、
「朝令暮改」的な指示、指令に幾度か迷わされたのも、この頃のことである。
特に、児童にその持つ教科書に墨を黒々と塗らせながら、これがもたらす意味をいろいろに考えさせられたのも此の頃であった。
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「岡山県教育史・続編」 岡山県教育委員会 昭和49年発行
秩序運動行進
戦時中の団体行動は号令一下、軍隊式に行われたのであるが、
軍国主義を学校から一掃するとなると、号令をどのようにかけたらよいか、とまどう結果となった。
21年8月27日付で教育民生部長名の「秩序、行進、徒手体操等実施について」という通達に当時の様子をうかがうことができる。
秩序、行進、徒手体操等実施について
終戦後の学校体育については、夫々万全を期せられていることと存じますが、なお細部については種々疑問等も生じ、これを参考として、その取扱に遺憾のないようにしてください。
秩序運動として必要な命令、号令、指示、
例えば「気を付け」「休め」「右、左向け」「廻れ右」「整頓」「番号」等は最小限 度に止め、
かつ軍事的色彩がなく愉快な気持を与えるように行なうならばさしつかえない。
しかし、それ自体反覆訓練することは避けねばならない。
隊列を組んでの行進は場所を移動する目的で行なうならば、
従来行なっていたような正常歩行進や音楽に合わして調子よく歩くことはさしつかえない。
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