しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

お伊勢参りの絵馬

2022年12月07日 | 【史跡】を訪ねる

紀元二千六百年の祝賀行事で、茂平八幡神社には”聖地参拝”という伊勢神宮にお参りした記念写真が奉納されている。
戦時中は「お伊勢参り」ではなく「聖地参拝」と呼ばれていたようだ。

 

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里庄町の高岡神社にはお伊勢参りの絵馬が奉納されている。

里庄町の現地説明文を写す。

里庄町指定文化財
絵馬伊勢参詣図一面

高岡神社に奉納された絵馬(85cm*184cm)で、
伊勢参詣の旅の様子が描かれています。
その絵柄から江戸時代末期から明治時代の頃と思われます。
13人の男女が描かれ、右下には奉納者の名前等が記されています。

伊勢参詣は「おかげ参り」などと呼ばれ、江戸時代末期から明治30年代にかけて特に大流行しました。
伊勢の参詣から戻ると、旅先などで購入した絵馬を地元の神社に奉納し、旅を無事に終えたことを報告しました。
この絵馬が残されていることは、当時の社会風俗を物語るうえで貴重なものといえるでしょう。


平成14年2月20日指定 里庄町教育委員会

 

岡山県浅口郡里庄町里見・高岡神社

撮影日・2022.12.3

 

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時代によって変わる「伊勢参り」

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江戸時代・元禄

 

ケンペル「江戸参府旅行日記」   訳者・斎藤信  東洋文庫  昭和52年発行

伊勢参りの人たち
1691年(元禄4)

 

一年中行われるが、特に春が盛んで、街道はこのころ旅行者でいっぱいになる。
老若・貴賤を問わず男女の別もない。

自分たちの食べ物や路銀を道中で物乞いして手にする多くの伊勢参りの人。
参府旅行をする者にとっては少なからず不愉快である。
なぜなら、ひっきりなしに近づいてきて、
「旦那様、お伊勢参りの者に路銭を一文お恵み下さい」と言葉をかけるからである。

江戸の町や奥州の住民には、許可を受けずに伊勢参りの旅に出る風習がある。
そればかりでなく、非行を犯して両親のところから逃亡して伊勢に向かい、赦免の免罪符をもらってくる。
そのため、銭がなく野宿したり、時には路傍で病み死んだ人を見ることもある。

 

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江戸時代後期


「江戸の旅とお伊勢参り」  泉洋社  2017年発行

千三百年以上もの歴史を持つ伊勢神宮への参拝は、
江戸時代に熱狂的な支持を得た。
商家の小僧から、京の遊女、村の農民まで、
全国から数百万人規模が伊勢を目指して歩いた。

しかも「おかげ参り」という名さえあれば、
突然の旅立ちも行方不明の無礼も放免。
道中では路銀がなくても誰もが喜捨の「おもてなし」を受け、
伊勢滞在に身をゆだねることができた。

なかでも最大規模だったのは、文政13年(1830)の四百万人。
当時のおかげ参りの熱狂ぶりがうかがえる。
しかもその多くが着のみ着のままの無一文。
おかげ参りのトレードマークだった柄杓を差し出せば、
お金や食べ物の無料提供は当たり前、
宿さえ無料で泊れたというのだから、
参拝者だけでなく日本全国が、まるで熱に浮かされたように、
伊勢神宮に焦がれついていたのだろう。

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大正~昭和

父の話・2004.7.4

お伊勢参り
じいちやん(管理人の祖父)が若い時分はいっぺんは参らにゃあようた。
ワシの時にゃあ小田郡から参るんで、各地区から集まって団体で行きょうた。
名古屋から参り紀伊半島をまわり大阪へ出ようた。

 

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