子どもの頃、
女の子の家で「ひな祭り」を祝うことはあったかもしれないが、
雛人形がある家は、城見にはどの家にもなかった。
管理人の家では行事も何もなかった。念のため、姉に確認した。
「家では何もしていない。よその家の雛飾りも一度も見たことはない」
しかし、楽しかった思い出はある。
城見保育所では、先生(保母さん)が千代紙でお雛様を折って壁に飾っていた。
そして小学校と合同の学芸会で”今日は楽しいひな祭り・・”を歌っていた。
それだけで、じゅうぶん楽しい「ひな祭り」だった。
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雛祭り
「岡山県史」
春の節供は雛祭り・女の節供・桃の節供などと呼び、
旧暦三月三日の行事である。
古くは上巳の節供といって、三月の初めの己の日に、厄難を人形に負わせて、
川や海に流し送る水辺の行事であった。
後にはもとの意味が忘れられて、人形を飾って、それを再びしまっておく習わしに変わった。
しかし、古くなった人形は今も川に流したり、堂や宮などの一定の神聖な場所に送る習わしが残っている。
笠岡市北木島町の大浦や高島の高須では古い形の流し雛の行事がある。
三月一日に餅を搗いて雛餅をつくる。
二日の夕方までに紙雛を作り雛段に祀る。
三日の日の満潮の時に、朝、浜辺で拾ってきた貝を殻のまま炊いたものと三つと、
火のついた線香と、桃の枝などをそえて紙雛を舟に乗せて
「加太の浜に無事にお帰り下さい」と唱えて海に流す。
遅くても昼前までには流す。
高島では四日に流す。
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「鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
ひな祭り
三月二日を宵節供といい、
三月三日はひな祭りである。
桃の節供・女の節供あるいは三月の節供ともいって、
女の子たちが優しく健やかに育つことを願う行事である。
床の間にひな壇を飾り、ヨモギ餅を菱形に切ったものや、
アラレや白酒を供える。
ひな祭りの御馳走としては赤飯・ちらし寿司・アサリ貝のすまし汁・ワケギのぬたなどであった。
古くから、資力のある家では雛段を飾った。
ひな祭りが終わったら、すぐに箱に納める。
そのままにしておくと、嫁入りが遅れるといわれた。
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「福山市引野町誌」 引野町誌編纂委員会 ぎょうせい 昭和61年発行
上巳の節句
女の子がひな様を祭りぼんぼりなどを供えることから、ひな祭りという。
朝早く起き、桃と柳の枝をくくり合わせて表座敷通りの屋根にさす例がある。
これは桃はきれいに美しく
柳はやさしくとの願望からきたもといわれている。
よもぎもちを作り、
これを菱形に切り神仏及びひな様に供える。
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「神島史誌」 神島協議会 昭和60年発行
三月三日の桃の節句はひな祭り。
ひな壇に、ヨモギを入れた菱餅に、香りのいいユブの葉を入れてひいたキナコをつけ、
買って来た丸い綿菓子のついた柳をそえる。
女児を祝う節句で、昔は女性が仕事を休んだ。
氏神さまと荒神さまへまいった。
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撮影日・2019.3.31 (笠岡市北木島町 笠岡市指定文化財「流し雛」)
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