6時発の成都行の長距離バス(私たちは6時半にホテルの近くで乗ります。中国のバスは席さえ空いていればどこででも乗せてくれます)に乗るために5時起きです。
フロントの女性が心配したのか6時前に部屋をノックしてくれました。
すぐに下りて行き精算を済ませ、バスを止めて私たちを乗せてくれると言う男性に連れられてホテルを後にします。
フロントの女性;いろいろお心遣い頂いて、有難うございました。
早朝なので周りの店はまだシャッターを下ろしたままです。(チベット族のお店のシャッターは特徴があります)
私たちの他にも何人もバスを待っている人たちが居ましたが、おじさんはずっとバスに乗るまで一緒に居てくれました。
何時か(秋に)もう一度必ず来ますから、その時はよろしくお願いします。
少し遅れてバスが来ましたが、見ると満席状態です。フロントから電話を入れて貰っていたおかげで席はありました。
予約入れてなくて乗れなかった人たちがいたんじゃないかな?
暫くはこの様な長閑な風景の中をバスは走ります。
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約2時間ほど走って小さな集落があり、お店も開店し始めていました。
更に30分走ると、建物の様子が少し変わってきました。
石垣が特徴的で家々の傍には沢山の木材が積み上げられています。(燃料でしょうか?)
更に30分走った、この集落で2度目のトイレ休憩です。ここの建物は全て煉瓦造りです。
これ白いヤクに乗って歩かないかとおじさんが誘ってきます?
黒いヤクしか見たことが無いのですが・・・こんなに肥っていて人を乗せて動けるのかな?
出発から3時間経過する頃から、四川大地震の跡と思える光景が見え始めました。
橋が崩れたのでしょうか、架橋工事があちこちで行われています。
山肌に地崩れの跡らしきものが残っています。
山に植えられた木がまだ細くて小さい所が何か所もみられました。
反対側の窓でしたので写真は取れませんでしたが、言葉は定かではありませんが「四川大地震記念」と書いた看板が立っていたのを目にしました。
汶川(wenchuan41)と言う所で車は停まり小休止です。
夫が気付いてシャッターを切って置いた標識には震源映秀と書いてあります。
映秀と言う所が四川地震の震源地なのですね。
ここに来る手前に、地震で小学校が潰れて児童に大きな被害が出て、日本でも大きなニュースになった小学校があったそうで、「新しくなってたよ! 良かったね!」と言っていました
震源映秀の上には大禹故里と書いてあります。
大禹は中国古代、夏(か)王朝の始祖とされる伝説上の帝王。姓は姒(じ)、名を文命ともいう。父鯀(こん)の業を継いで治水に成功。舜(しゅん)から帝位を譲られた。
この像は大禹の像です。 中国では有名な人らしく皆記念写真を撮っています。
周りには特産のサクランボ売りのおばさんやお姉さんが沢山いました。 500g20元は中国の果物としては高め。
もう5時間以上走った地点でもこの様な状態の所が残っています。
架橋工事も行われています。 この辺も地震の影響が大きかったのでしょうか?
この川の付近では川砂を採ったり、山から採石したりしているようでしたから地震の痕跡と見誤ったところもあるかもしれません。
これは明らかに採石の後ですね。
ずっとうつらうつらしていて気付くと外の様子が全く違っていました。 もうすぐ終点です。
手元不如意で節約の為バスで成都まで帰ることにしましたが、思いがけず四川地震の傷跡を見ることができました。
四川地震からはもう3年の年月が経っているのですが、まだ完全に復興したとは言い切れないようでした。
日本も東北大震災で被災された方々のこれからのご苦労も計り知れない物があると思います。
まして放射能の問題を考えると心が滅入ってきますが、出来る限りの応援をしていかなければならないと改めて感じました。
8時間以上かかってやっと成都のバス終点に到着です。
ホテルに戻り、文殊院観光に出かけます。
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