陰に入ると吹いて来る風に少し秋の気配が感じられるようです。エアコンをつける時間も減りましたが、夕立がないので毎日の水やりは欠かせません。
実家のお墓参りに行ってきました。街中を歩いていても東西の露地から吹いて来る風でホッとさせてもらいながらいつも通り七本松出水まで歩きました。途中の露地では少し早い地蔵盆の行事をしているところが何カ所かありました。
子供の頃は各家の戸口に掛ける行灯や通りに掛ける大きな行灯等に紙を張って、絵を描いて飾ったものでした。時間になると鈴がなっておやつが戴けます。お楽しみの抽選会もありました。自分の子供達が地蔵盆を楽しむ時代になると親として寄付を幾らにしようかと悩みましたが遠い思い出になってしまいました。信仰心なんて殆ど感じられない行事でしたが、最近は「信教の自由」等という事で地蔵盆という呼び方も消えつつある様です。
帰り道に急に思いついて、滋賀へ越して来る前に住んでいたところへ寄ってみる事にしました。引っ越し後もしばらく仕事場として使っていましたが、お向かいのKさんからたまに電話がかかって来たりする事もあるので手土産を買って懐かしい道を進むとすっかり様子が変わっていて隣のアパートはなくなり駐車場に。自分たちが住んでいた家も建て替えられていました。Kさんの家は戦争未亡人のお母さんが一人娘に養子さんを迎えられて住んでおられました。
京都の街中では着物に関する色んな仕事があり、そのおばあさんは解き端縫いをされていました。解き端縫いと言ってもわからない?古い着物を染め変えたりする為にほどいて、全部を繋ぎ合わせて元の反物の様にすることです。(着物は四角いパーツの組み合わせで出来ているので繋ぎ合わせると細長い一枚の布地になります)
折角寄ったのですが先週末に熱が出て意識がなくなって緊急入院されたそうで、お逢いする事が出来ませんでした。糖尿病からの低血糖と何らかの原因で意識がなくなったようで、記憶もなくなったようでしたが2~3日前から娘である自分の顔もわかる様になって来たとM子さんはおっしゃっていました。来週にも一度検査を受けて結果次第で帰れるかどうからしい。お歳をきいたら93才だそうでした。
私が通った中京中学校も建物が変わっていてこんなに大きな街路樹はなかった。ヤナギの並木があってそれ越しに二条城の石垣が見えていたのに。