暑い。
「熱い」と書いた方がふさわしい。
「暑いですね」という挨拶が、もはや社交辞令の域を脱し、切実なセリフになっている。
立ち止まったが最後、全身煮えてしまいそうで、信号が青に変わるのさえ、待ちかねるというありさま。
例年、自転車で風をきって駅に向かう時間帯は、まだ涼しい風が吹いていたものだが、今年は、
吹いているのは、すでに熱風。
そうかと思うと、飲食店や電車の中は、冷房の効き過ぎ。
中は寒く、外は暑い。
冷房対策と防寒の両方が必要というありさま。
確か4月には雪が降ったんだったよね。
ダウンコートを着こみ、本当に泣けてくるほど寒かったんだったよね。
あれからまだ3か月ほどしかたっていないのに、思い出そうとするも、不可能。
この夏、体が持つのだろうか。
さて、暑さのせいではないけれど、コンビニの世話になることの多い今日この頃。
ひんやり系のおやつ(最近ではスイーツという)やお惣菜。
時間帯によっては、おかずパンとセットで購入すれば、野菜ジュースが値引きになるというサービスまで登場。
ついつい、新製品のフレーズに誘われる。
抵抗感なく、コンビニで買い物できるようになったのは、いつの頃からだったか。
物心ついたころからコンビにが身近にあったという世代ではないので、なおさらのこと、
こういう店には、横着者+割高感のイメージさえあった。
小学生の時、八百屋の店頭で、
「ネギ1本ください」と言い、おばさんに
「ええっ、一本?」
とあきれられ、無料で分けていただいたことがある。
なぜ、驚かれたのか、なぜただでくれたのか、その時はわからなかった。
当時、ネギに限らず、野菜というもの、束単位、ザル単位、箱単位で売られているのが普通だったのだ。
そのころと比べれば、コンビ二はもちろん、スーパーでも、
ニンジン、キュウリ、ネギ、バナナ……1本からのバラ売りは、今や珍しくない。
背景には、家族の人数が減ったということがある。
確かに割高かもしれないが、大量に買って腐らせてしまうよりは、よほど経済的である。
さらに、デパ地下などという言葉も出回り始め、出来合いの総菜を買うことなど、
あたりまえ、お洒落な感じまで漂うようになった。
割高感というと、もったいないようなイメージがあるが、高級感とでも言いかえれば、
すんなりと受け入れられるのである。
が、それでも、コンビニに限らず、スーパーでさえ、
「こんなのまで買うようになっちゃあ、おしまいよ」
という基準が、うっすらとだが、自分の中にある。
それは、キャベツの千切り、レタスのちぎったの、といった類である。
つまり、ただ切りさえすればそれで済む、というようなものである。
確かにわたしは千切りは、あきれるほど、苦手である。
その出来栄えといったら、どう見ても、ざく切りの状態。
太さが違うだけで、味まで違うというのも、ごもっともな話。
これなら買ってきた方が、よほど小綺麗なのはわかっていても、それでも、である。
そこまで出来あいのものに頼ってしまったら、この先どんどん横着に拍車がかかってしまうような、恐れといったらいいのか。
買うぐらいなら、自分でざくざく切って、野菜炒めにしたほうが潔くはないか?という思い。
ネギの小口切りやおくらの輪切りを冷凍して売っているのを見た時にも、同じような感じがしたものだ。
切ってから水にさらし、時間もたっているので、栄養価も落ちているようだし。
大して忙しい暮らしをしているわけでもないのに、
包丁とまな板を出してくるという、ほんのちょっとの手間ヒマを惜しんでしまったということへの、後ろめたさである。
まあ、職場でのランチ用にと、サラダのパックなんていうのは、健康志向よろしく、
平然と買っているのですけどね。
「熱い」と書いた方がふさわしい。
「暑いですね」という挨拶が、もはや社交辞令の域を脱し、切実なセリフになっている。
立ち止まったが最後、全身煮えてしまいそうで、信号が青に変わるのさえ、待ちかねるというありさま。
例年、自転車で風をきって駅に向かう時間帯は、まだ涼しい風が吹いていたものだが、今年は、
吹いているのは、すでに熱風。
そうかと思うと、飲食店や電車の中は、冷房の効き過ぎ。
中は寒く、外は暑い。
冷房対策と防寒の両方が必要というありさま。
確か4月には雪が降ったんだったよね。
ダウンコートを着こみ、本当に泣けてくるほど寒かったんだったよね。
あれからまだ3か月ほどしかたっていないのに、思い出そうとするも、不可能。
この夏、体が持つのだろうか。
さて、暑さのせいではないけれど、コンビニの世話になることの多い今日この頃。
ひんやり系のおやつ(最近ではスイーツという)やお惣菜。
時間帯によっては、おかずパンとセットで購入すれば、野菜ジュースが値引きになるというサービスまで登場。
ついつい、新製品のフレーズに誘われる。
抵抗感なく、コンビニで買い物できるようになったのは、いつの頃からだったか。
物心ついたころからコンビにが身近にあったという世代ではないので、なおさらのこと、
こういう店には、横着者+割高感のイメージさえあった。
小学生の時、八百屋の店頭で、
「ネギ1本ください」と言い、おばさんに
「ええっ、一本?」
とあきれられ、無料で分けていただいたことがある。
なぜ、驚かれたのか、なぜただでくれたのか、その時はわからなかった。
当時、ネギに限らず、野菜というもの、束単位、ザル単位、箱単位で売られているのが普通だったのだ。
そのころと比べれば、コンビ二はもちろん、スーパーでも、
ニンジン、キュウリ、ネギ、バナナ……1本からのバラ売りは、今や珍しくない。
背景には、家族の人数が減ったということがある。
確かに割高かもしれないが、大量に買って腐らせてしまうよりは、よほど経済的である。
さらに、デパ地下などという言葉も出回り始め、出来合いの総菜を買うことなど、
あたりまえ、お洒落な感じまで漂うようになった。
割高感というと、もったいないようなイメージがあるが、高級感とでも言いかえれば、
すんなりと受け入れられるのである。
が、それでも、コンビニに限らず、スーパーでさえ、
「こんなのまで買うようになっちゃあ、おしまいよ」
という基準が、うっすらとだが、自分の中にある。
それは、キャベツの千切り、レタスのちぎったの、といった類である。
つまり、ただ切りさえすればそれで済む、というようなものである。
確かにわたしは千切りは、あきれるほど、苦手である。
その出来栄えといったら、どう見ても、ざく切りの状態。
太さが違うだけで、味まで違うというのも、ごもっともな話。
これなら買ってきた方が、よほど小綺麗なのはわかっていても、それでも、である。
そこまで出来あいのものに頼ってしまったら、この先どんどん横着に拍車がかかってしまうような、恐れといったらいいのか。
買うぐらいなら、自分でざくざく切って、野菜炒めにしたほうが潔くはないか?という思い。
ネギの小口切りやおくらの輪切りを冷凍して売っているのを見た時にも、同じような感じがしたものだ。
切ってから水にさらし、時間もたっているので、栄養価も落ちているようだし。
大して忙しい暮らしをしているわけでもないのに、
包丁とまな板を出してくるという、ほんのちょっとの手間ヒマを惜しんでしまったということへの、後ろめたさである。
まあ、職場でのランチ用にと、サラダのパックなんていうのは、健康志向よろしく、
平然と買っているのですけどね。