TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

親権

2018年07月16日 | インポート
 先日の新聞に、離婚後も双方に親権が残る「共同親権」制度の選択について記事が掲載されていた。

四半世紀ほど前、離婚を前提とした話し合いと、手続きのために、
岡山の仲人の家に関係者が集まった。
すでにわたしが親権を持つことが決定していた。
その頃は、もう片方の親に面会する子供の権利についてあまり議論がされていなかった。
父母どちらか一方が親権を持つ単独親権があたりまえだった。
 仲人というものは、世話をした夫婦が別れるときにも、立ち会うものなのか。
それとも、彼らがわたしの伯父叔母だったからなのか。
仲人である伯父叔母夫婦と、わたしの父親、彼の母親、彼、わたしがそこにいた。
息子は神奈川の実家のもと、母に託した。
話し合いといってもすでに結論は出ているのであって、養育費や公証役場での手続きについて淡々と話は進んだはずだ。
一刻も早くこの場を終わらせたいという空気が充満していた。
だからなのか、誰も感情的になることもなく、事務的に早々に終わった。
「これからは友人として飲みましょうや……」などと父は元夫に、言わずもがなの御愛想を言っている。
彼は否定もせず、ただ苦笑した。

そこにいない息子は2歳だった。
意志を確認できないのをいいことに自分の運命について、周りによっていとも簡単に決定された。
わたしの父親が父親代わりになるだろうと、安易な考えがあった。
どんなに孫をかわいがっていても、わたしにとっての父親なのであって、
息子にとってはおじいさんに過ぎないということに思いが及ばなかった。
主を失ったおもちゃと共に、小さなアパートの部屋にひとり残された元夫の気持ちについても、
考えが及ばなかった。
あのころ、共同親権とか面接権とかいったことについて、半強制的にでも考えざるをえない制度があったらどうだっただろうか。


コメント
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