TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ぎょみんで何か不都合でも?

2018年07月17日 | インポート
 この4月から、実家の近くに引っ越したことで、高齢の両親と散歩がてら道を歩く機会ができた。
一緒に過ごしていると、これは認知症の前症状か、それともただの老化現象か、判断が付きかねることがある。
全体の筋道は通っているし、話題の選択もまちがっていない。
しかし細部をよく聞いてみると、記憶違いだったり、思い込みが強かったり、といった場面が目立ってきている。
両親がふたりしてそれぞれにちぐはぐなのだが、絶妙なバランスで、偶然おさまりがつくこともある。
 以前だったらいちいち訂正したり、修正したり、説明したりして正したい誘惑にかられたものだが、最近では、(億劫になっただけかもしれないが)大筋で会話が穏やかに成り立っていればそれでよしと思うようになった。
かく言うこちらのほうの勘違いだったということも多々あったりするのだ。

 ある日。
通りすがりにふと目にした看板を前に「あら、ぎょみん(・・・・・)ですって。漁師さんのお店なのね」
と母。
見れば「魚民」。
いいの、いいの。そんなの大したことじゃないわ。
意味はともかく、そうとも読める。
酒の“サカナ”とも言うのだし。
彼女がこの店を利用することはこの先ほぼありえないだろうし、電話をかける機会もないと思われる。
いちいちむきになって訂正したところでお互いになんのメリットがあろう。


コメント
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