TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

まな板の上の鯉

2020年07月21日 | インポート
2年に一度の大腸内視鏡検査の日である。
医療機関はこの時期避けたいが、しかたがない。
おなかの弱いわたしには、コロナよりも心配な病気があるのだ。
ストレスは弱いところにやってくる。毎日職場にかかってくる感染症の電話相談を聞いているうちに、なんとなくこちらのおなかの調子もいまひとつになってきた。

朝、白々と空が明るみ始めるとともに、経口腸管洗浄剤を粛々と飲み始める。実に孤独な作業である。
気晴らしにテレビをつければ、もっと不安をあおるようなニュース。
それだけに、クリニックから状況を尋ねる電話がかかってくると、実にほっとする。
考えてみれば、3密を避けるためもあり、最近の他人との会話といったら、職場や買い物のときのみ。医師や検査担当のスタッフとの会話でさえ、なにやらありがたく思える。


わたし自身、痛みに過敏過ぎるのか、それとも腸の形が父親譲りで曲がりくねり過ぎているのか、この検査ではいつも七転八倒、痛くない検査をウリにしている医師泣かせである。ベッドともいえないような簡素な台の上にごろりと寝かせられたら、無力感でいっぱい、もうあとはお任せするしかない。

この検査のいいところは、その場で結果が出ることである。
「はい、大丈夫ですよ~。どこもワルイものは見つかりませんでした」
この高らかなひと声を聴くと、前準備の苦痛も報われ、何ごともない日常のありがたさがひしひしとせまってくる。

晴れて無罪放免、帰りには駅のパン屋さんで、アイスコーヒーとメロンパンを注文する。
思えば飲食店で食べるのも、ほぼ4カ月ぶりである。
いつにもまして、おいしさ格別である。

コメント (2)
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