『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』をDVD借りて観る。
ヘロイン依存の主人公が一匹の猫との出会いによって人生を変えていく物語。
出てくる猫は茶とらで、子猫ではないのだが、まるまるとして顔によけいなブチもなく、実にかわいい。猫が苦手なわたしも、ひとめぼれ。苦手であることが実に実に残念に思われた。
殺伐とした気分で家に帰ったら、冒頭のボブが座ったまま、ニャンとひとこと言って出迎えてくれたとしたら、本当にうれしいだろうな。
年度の初めに同じ部署の同僚が5人中4人異動になった時、わたしは誓った。今度こそ新しいメンバーたちと穏やかな関係を築こうと……。特に上司とは。
しかし、やっぱり人って変わらないのね。
きっかけ、それはほんのささいなことだった。
精神保健福祉員会の起案を立てたのは課長、司会も課長、主任はもちろん課長なので、委員会の実施報告書も課長が書くとばかりわたしは思っていた。開催中、彼のほうを見ると、パソコン開いてなにやら打ってるし……。
が、違った。課長曰く、司会はそれだけでいっぱいいっぱいなので、記録と報告はわたしに任せたつもりになっていたのだと……。
そこから雲行きが怪しくなってきた。
要するに“なすりあい”というやつがおきたのですね。
お互いに、相手任せだったので、自分の手元にはろくに記録が残っていない。結局、参加していたよその所属の方の発言メモを(恥ずかしながら)お取り寄せして、もっともらしい報告書を作ることになり、その場はおさまったのだが……。
しかし、仕事はおさまっても、(というか、とりあえずおさまったからこそ)気持ちはそう簡単に納得しない。
「いつも言ってるけど」と課長が言えば、「いつもは言ってません!」とボソッと揚げ足とるわたし。
「委員会で話された中身をふたりとも覚えてないわけですから……」とこちらが言えば、
「覚えてない、は無しだぞ」と課長がメンツにかけて叫ぶ。するとわたしも負けじと、「覚えてないとおっしゃったのは課長ですよ」とすかさず逃げ場をふさぎ、「事実なんだからしかたありません」とさらに追い打ち。
発言メモを依頼する時のメールに、課長の名を連名でいれれば、「俺の名前をいれるなあ!」とカッとして課長がすねる。彼のメンツが再びぐしゃり。
結局、報告書作りはわたしにまわってきた。わき目もふらずがつがつとキーボードにしがみついてやっとこすっとこ仕上げたのにかかわらず、そんなこたあ、おくびにも出さず、さも簡単にできあがりました、と涼しい顔と余裕な態度を見せるのも、見栄っ張りなわたしのいつもの習性。腹を立てると、仕事というもの、実に早く進むのである。
そして、課長に提出するときに、黙っていればいいものをこれまたここで余計なひとことを追加せずにはおられない。「丸投げされた」恨みとでもいおうか。
「報告書、できました。さも、委員会の間、いっしょうけんめい書きとっていたかのように、文章を膨らませて、もっともらしい文章に仕上げました。」とさりげなくひとこと。
報告書全体の価値を、ひいては委員会の価値全体を冒とくしているかのよう……。
すると挑発に乗りやすい課長がすかさず、「もっともらしく、ではなあい! 普通に、と言って。普通に、と」。
「はい。”それらしく”作りました」と返すわたし。おっとり静かな口調で表現は変えたが、意味は同じ。
実に幼稚な争い。おとなげないわね、ふたりとも。そして男の人は本当にメンツが大事なのねというのがよくわかった。
そういえば、子供のころに先生に逆らったことなどなかった。
上司のことも、「こいつ、全然仕事しないな」と気付きつつも、ハイハイ、と無条件に従ってきた。それなのに、ここ1,2年にきてこの“反逆”はどういうことだろう。
上司がそれほどえらいわけではないのだとわかってきたとはいえ、それでも組織なんだから、不条理、ぼんくら、と心でなじってはいても、オモテに出さずに従うのが賢明なやりかたというものである。まあ、わかっているからこそ、我慢してきたからこそ、腹が立つのではあるが……。
このテの問題で一番癪なのは、こんなやりとりが、職場を出ても続くことだ。もちろん相手が家に押しかけてくるわけではない。心の中にまではいりこんできて、会話に加わってくるのだ。言ってやりたかったこの言葉、あの言葉、それに反論する相手の言葉がどんどん膨らみ続け、グルグルと頭を駆け巡り、終始がつかなくなるのだ。残業代の支払われない残業をしているようなもんである。
相手にはこの絶妙な?毒舌もちっとも伝わっていないのだから、不毛な営みというしかない。
いつだったか、学校でいじめにあっている子供の声が放送されていた。
「いじめは朝起きた瞬間から始まっていて、帰ってからも続いている」と。
いじめではなくたって、それでも、“声は家に帰ってもついてくる”のである。
ヘロイン依存の主人公が一匹の猫との出会いによって人生を変えていく物語。
出てくる猫は茶とらで、子猫ではないのだが、まるまるとして顔によけいなブチもなく、実にかわいい。猫が苦手なわたしも、ひとめぼれ。苦手であることが実に実に残念に思われた。
殺伐とした気分で家に帰ったら、冒頭のボブが座ったまま、ニャンとひとこと言って出迎えてくれたとしたら、本当にうれしいだろうな。
年度の初めに同じ部署の同僚が5人中4人異動になった時、わたしは誓った。今度こそ新しいメンバーたちと穏やかな関係を築こうと……。特に上司とは。
しかし、やっぱり人って変わらないのね。
きっかけ、それはほんのささいなことだった。
精神保健福祉員会の起案を立てたのは課長、司会も課長、主任はもちろん課長なので、委員会の実施報告書も課長が書くとばかりわたしは思っていた。開催中、彼のほうを見ると、パソコン開いてなにやら打ってるし……。
が、違った。課長曰く、司会はそれだけでいっぱいいっぱいなので、記録と報告はわたしに任せたつもりになっていたのだと……。
そこから雲行きが怪しくなってきた。
要するに“なすりあい”というやつがおきたのですね。
お互いに、相手任せだったので、自分の手元にはろくに記録が残っていない。結局、参加していたよその所属の方の発言メモを(恥ずかしながら)お取り寄せして、もっともらしい報告書を作ることになり、その場はおさまったのだが……。
しかし、仕事はおさまっても、(というか、とりあえずおさまったからこそ)気持ちはそう簡単に納得しない。
「いつも言ってるけど」と課長が言えば、「いつもは言ってません!」とボソッと揚げ足とるわたし。
「委員会で話された中身をふたりとも覚えてないわけですから……」とこちらが言えば、
「覚えてない、は無しだぞ」と課長がメンツにかけて叫ぶ。するとわたしも負けじと、「覚えてないとおっしゃったのは課長ですよ」とすかさず逃げ場をふさぎ、「事実なんだからしかたありません」とさらに追い打ち。
発言メモを依頼する時のメールに、課長の名を連名でいれれば、「俺の名前をいれるなあ!」とカッとして課長がすねる。彼のメンツが再びぐしゃり。
結局、報告書作りはわたしにまわってきた。わき目もふらずがつがつとキーボードにしがみついてやっとこすっとこ仕上げたのにかかわらず、そんなこたあ、おくびにも出さず、さも簡単にできあがりました、と涼しい顔と余裕な態度を見せるのも、見栄っ張りなわたしのいつもの習性。腹を立てると、仕事というもの、実に早く進むのである。
そして、課長に提出するときに、黙っていればいいものをこれまたここで余計なひとことを追加せずにはおられない。「丸投げされた」恨みとでもいおうか。
「報告書、できました。さも、委員会の間、いっしょうけんめい書きとっていたかのように、文章を膨らませて、もっともらしい文章に仕上げました。」とさりげなくひとこと。
報告書全体の価値を、ひいては委員会の価値全体を冒とくしているかのよう……。
すると挑発に乗りやすい課長がすかさず、「もっともらしく、ではなあい! 普通に、と言って。普通に、と」。
「はい。”それらしく”作りました」と返すわたし。おっとり静かな口調で表現は変えたが、意味は同じ。
実に幼稚な争い。おとなげないわね、ふたりとも。そして男の人は本当にメンツが大事なのねというのがよくわかった。
そういえば、子供のころに先生に逆らったことなどなかった。
上司のことも、「こいつ、全然仕事しないな」と気付きつつも、ハイハイ、と無条件に従ってきた。それなのに、ここ1,2年にきてこの“反逆”はどういうことだろう。
上司がそれほどえらいわけではないのだとわかってきたとはいえ、それでも組織なんだから、不条理、ぼんくら、と心でなじってはいても、オモテに出さずに従うのが賢明なやりかたというものである。まあ、わかっているからこそ、我慢してきたからこそ、腹が立つのではあるが……。
このテの問題で一番癪なのは、こんなやりとりが、職場を出ても続くことだ。もちろん相手が家に押しかけてくるわけではない。心の中にまではいりこんできて、会話に加わってくるのだ。言ってやりたかったこの言葉、あの言葉、それに反論する相手の言葉がどんどん膨らみ続け、グルグルと頭を駆け巡り、終始がつかなくなるのだ。残業代の支払われない残業をしているようなもんである。
相手にはこの絶妙な?毒舌もちっとも伝わっていないのだから、不毛な営みというしかない。
いつだったか、学校でいじめにあっている子供の声が放送されていた。
「いじめは朝起きた瞬間から始まっていて、帰ってからも続いている」と。
いじめではなくたって、それでも、“声は家に帰ってもついてくる”のである。