TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

貸し借り

2021年09月23日 | インポート
向田邦子さんのエッセイに、こういうのがある。
英会話教室で、「地球は狭い」という表現を習った。しゃれた言い方なので、いつか使ってみたいと思っていたら、その表現方法を教えてくれた英会話の先生に、2,3年ぶりでばったり出会った。早速使ってみようとその言い方を思い出そうとしていたら、先方いわく、「スミマセン、10円カシテクダサイ」とつたない日本語でひとこと。公衆電話をかけようとしたら手持ちの小銭がなかったらしく、偶然出会った彼女にお願いしたとか。結局、「地球は狭い」は使わずじまい。今やその言い方も忘れてしまったというオチなのだが、そのエッセイを今一度読み返してみて気になったことがある。
その10円って果たして返してもらったのかしら‥‥。
2,3年ぶりに、それも偶然出会ったということだから、顔は覚えていてもお住まいはお互いに知らないような気がする。もう会う機会はないだろう。たかだか10円のために証文を書いてもらうはずはないし、相手は外国人。価値観もちがうかもしれない。
相手にお金を貸すときは、あげるつもりで貸しなさい、と万が一返してもらえなかったときにも、相手との関係性がこわれないための方便もある。彼女のことだから、そんなことを気にするのはみみっちいと思いながら、もやもやした気持ちととともに、この文章を書いたのではないか。

それで思い出した。
わたしにも、気軽に貸して、返ってこなかったものがある。
高校生の時、バスを降りようとして小銭がなかった同級生に100円、会社員時代、自動販売機のジュースを買うお金として同期に100円也、お金ではないが、これも高校時代、たいして親しくもない同級生にスヌーピーの漫画本と、小説の上下巻のうちどちらかの一冊‥‥。
きっとこんなことは珍しいことではなく、どこにでもあることなのだろう。いちいちこうやって挙げることじたい、いじましい気がしてくる。
それでもどういうわけか覚えているのである。
たいした金額ではなく、今さら返してほしいというわけではもちろんないのだが、(相手の名前とともに)心の中にしまわれている。
借りたほうは(悪意なく)忘れていても、貸したほうは忘れない。
これは貸し借りの問題だけではない。
守られなかった約束とかなんとか………。
もしかしたらわたしのほうも、意図せず、放りっぱなしにしているものがあるのかもしれない。



コメント (2)
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