TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

新年度とはいうものの……

2022年04月09日 | インポート
年が明けてから時間がたつのがひどく遅く感じられる。
開店5分前のデパートで扉を開くのを待つ時間が長い、あのじりじりした感じと同じ。
それなのに、あっというまにブログの更新をしないまま1週間がたった。
時間の感覚がおかしくなっている。

6波が終わったという自覚がないまま、第7波などと言っている。
もしかして、6波って気づかぬうちに終わっていたのね!
感染者数をいちいち数えるから、減らないのではないか、とさえ思ってしまう。
いっそのこと、数えるのをやめたらどうでしょう。
感染対策の徹底で、インフルエンザの集団発生は、学校でも、高齢者施設でも、この2年間、管内では1件もなかった。
それで救われた命もある。コロナだけが重大な病気ではないのです。

かかりつけの医院が今月いっぱいで閉院になると以前書いたが、昨日はその診察であった。
主治医の主催するミーティングには、別れを惜しんでわざわざ遠くから駆けつける人もいて、順番待ちの列が長く伸びている。
感染症対策のため15人までしか部屋にはいれないのだが、わたしは惜しくも、16人目。
部屋のすぐ外、廊下でミーティングの様子を聴くだけとなったが、それだけでも十分、先生と患者とのやりとりは伝わってきた。
閉院を惜しむ、という共通の話題があると、普段話したこともない人とも話をしたりして、コロナの時もそうだったが、共通の関心事、というのは、人見知りを一時的に解消する。

先生曰く、「今月で閉院になるけど、カウンセリングやミーティングは続く。別の形で皆さんとの関係は続く。からだが弱ってお別れというのではなく、こうやって元気なうちに笑ってお別れするというのも、(幽霊が生きているという感じで)悪くない。別れ方の一例として覚えておくといいよ」。
確かにそうかもしれないが。

年を重ねるにつれて、こういうふうに、得ることよりも、喪失していくもののほうが格段に増えていく。
そのことの悲しみがどっと襲う。
本当にわたしは変化に弱いとつくづく思う。

2週間後は、最後の診察だ。
何かお礼の品を、と思うが、今までの関係性を品物にかえることなどとてもできない。
よ~く考えて練りに練って渡したプレゼントが、後から考えたら実にとんちんかんで意味不明だっということもある。
そういうわけで、先生の最近出版されたばかりの本をもっていき、サインを書いていただこう。
サイン入りの本はわたしにとっても大事なものになるだろうし、先生にとっても、読者がひとり増えてきっとうれしいだろうから。


コメント (4)
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