本棚の本を整理していて、囲碁の教則本が何冊か出てきた。
湘南に住んでいた5年間、そこは「囲碁の町」を売りにしていて、各地区センターでも囲碁教室がたけなわ。
年に数回、商店街を貸し切って囲碁大会も開催されていた。
せっかくの御縁なのだからと、わたしも教則本を買い求め、父にも教えを請いながら、囲碁をせっせと習った。
近所の教室にも通った。
が、これほど自分に向いていない分野があるとは……。
早く走ることはできないものの、走ることができるというだけでも、まだ徒競走の方が素質があるのではないかと思うほどだった。
どんなことでも、勉強すればある程度上達するはず、という学校の理論も見事に裏切られた。
地区大会に参加してみると、初心者コースは半分以上が小学生。
わたしがあまりにも打つのが遅いので、飽きてしまって落ち着きなくうろちょろし始めるちびっ子たちのほうが、断然、勝負は強い。
直感でガンガン攻めて来る彼らには、初心者用のマニュアルに書いてあるような定石など存在しないのである。
1年もたつ頃には、自分には向いていないということに薄々気づき始めたものの、それまでにかけたエネルギーや、費用、時間のことを考えるとなかなか見切りをつけることができない。
ぐずぐずと諦めきれず、結局その町を転勤で離れるまで、何となく縁が切れないでいた。
この囲碁の才能というのは、例えば、上から俯瞰する能力といったらいいのか。
初めての場所でもスイスイと迷うことなくたどり着ける人がいる。地図の読める人である。
わたしのように、来た方向とは逆の方向に向かって帰ろうとする、極度の方向音痴の人間には適さないのではないか、などと悔し紛れに屁理屈をこねて、そして気付けば、せっかく覚えたキホンのキホンさえ、今ではすっかり忘れている。
縁がなかったのね、と思いつつ、ブックオフに売り飛ばすにはなんとなく忍びなく、今後めくる可能性のほとんどない囲碁本は、再び本棚に戻されたのでした。
湘南に住んでいた5年間、そこは「囲碁の町」を売りにしていて、各地区センターでも囲碁教室がたけなわ。
年に数回、商店街を貸し切って囲碁大会も開催されていた。
せっかくの御縁なのだからと、わたしも教則本を買い求め、父にも教えを請いながら、囲碁をせっせと習った。
近所の教室にも通った。
が、これほど自分に向いていない分野があるとは……。
早く走ることはできないものの、走ることができるというだけでも、まだ徒競走の方が素質があるのではないかと思うほどだった。
どんなことでも、勉強すればある程度上達するはず、という学校の理論も見事に裏切られた。
地区大会に参加してみると、初心者コースは半分以上が小学生。
わたしがあまりにも打つのが遅いので、飽きてしまって落ち着きなくうろちょろし始めるちびっ子たちのほうが、断然、勝負は強い。
直感でガンガン攻めて来る彼らには、初心者用のマニュアルに書いてあるような定石など存在しないのである。
1年もたつ頃には、自分には向いていないということに薄々気づき始めたものの、それまでにかけたエネルギーや、費用、時間のことを考えるとなかなか見切りをつけることができない。
ぐずぐずと諦めきれず、結局その町を転勤で離れるまで、何となく縁が切れないでいた。
この囲碁の才能というのは、例えば、上から俯瞰する能力といったらいいのか。
初めての場所でもスイスイと迷うことなくたどり着ける人がいる。地図の読める人である。
わたしのように、来た方向とは逆の方向に向かって帰ろうとする、極度の方向音痴の人間には適さないのではないか、などと悔し紛れに屁理屈をこねて、そして気付けば、せっかく覚えたキホンのキホンさえ、今ではすっかり忘れている。
縁がなかったのね、と思いつつ、ブックオフに売り飛ばすにはなんとなく忍びなく、今後めくる可能性のほとんどない囲碁本は、再び本棚に戻されたのでした。