TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

そんなに待っていたら……

2023年03月12日 | エッセイ
先日の金曜日の話。
ケアマネさんが、訪問看護ステーションのスタッフを伴ってやってきた。
当初、リハビリに特化したデイサービスを受けるつもりだったが、父がほかの利用者さんについていくのにやっきになってしまい、性分的にも体力的にも無理があるのではないかという話になり、そこで、両親とも、マンツーマンでの訪問リハビリをお願いすることにしたのである。
計画が変更になるたびに、新しいプランをたてて、あっちこっちに連絡をとってこのように時間を割いて訪問してくれるケアマネさんに本当に申し訳ない。
誰のためのリハビリなのかを考えれば、遠慮したり申し訳ながったりする必要はないのかもしれないが、それでも、今度こそ成約にいたって、彼女に実りのある仕事をした、という気持ちになってほしいと思ってしまう。

訪看スタッフの男性職員は、作業療法士という肩書もあり、日頃のリハビリ作業で鍛えられたがっしりとした体格の、指の先まで太い男性である。
高齢者相手の仕事をしているだけあって、ケアマネさんに負けず劣らず、声が大きい。
椅子に座った姿勢から立ちあがらせて軽く押したり引いたり、手をぎゅっと握らせて握力をはかったり、廊下を歩かせてその具合を見たりと、父母両方の体調の評価が行われた。
そしてその次は、日常生活の聞き取りである。脇で、ケアマネさんもしきりにメモしている。
ひとつの質問に対して、母が、相手に話す隙も与えないほどしゃべり続け、しかもその内容が脇道にそれて発展していくものだから、そばで聞いていてわたしはハラハラ(を通り越してイライラ)とする。
“脱線”が目に余るようだとわたしが遮って、先方の質問を要約して元に戻すのだが、脇道にそれた話からも大事な情報が得られるものかもしれないと思うと、あまり口を差し挟むのもはばかられる。
なるべく無駄を省いて、効率的にちゃっちゃと仕事を進めたい事務職気質のわたしの考え方が正しいとも限らない。
職場でも、一見、雑談に思えるようなことも、福祉職の方がたにとっては、大事な情報交換になっているようだ。
福祉、というのは、効率のひとことでは割りきれないものかもしれないのだ。

訪看スタッフ氏曰く、「お父様もお母様もなんか、おもしろくてお茶目ですね」などと、お愛想に言ってくれたが、両親とも、口だけは元気で調子がいいのである。
しかし、母の話の途切れたそのスキを狙って、話を前に進めるのに苦労したのではないだろうか。

すでに、彼らの訪問から2時間ほどたっている。
ケアマネさんは、次の訪問があるということで、退席された。
玄関先まで見送ると、よほど急いていたのか足元がふらついて、母の靴をぎゅうと踏みつけながら、それでも愛想と威勢の良さはそのままで、「失礼します」とドアを開けて出ていった。

重要事項説明書をゆっくりと読み上げてもらい、署名する。
賃貸住宅の契約にかかる時間ほどではないにせよ、こうした書類の多さというのは、つきものだ。
ともかく成約。今回は介護ではなく看護。そのために主治医の指示書が必要らしい。
それが届いてからということで、リハビリ実施まで、あと2,3週間待ちということになった。

「そんなに待っていたら治ってしまうじゃないの」とは、彼らが帰ってからの、母の弁である。

コメント (2)
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