TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

言い方ひとつで

2023年05月20日 | エッセイ
先日、父の脳神経内科の診察につきそった。
半年ぶりのMRI検査である。
この検査の際には、ベルトや、ポケットの中の財布などはあらかじめ取っておかなくてはならない。
わたしがなにげなく、「サスペンダーはだいじょうぶですか」とスタッフに聞くと、彼女曰く「あら、ダメです。ああ、よかった、気づいて」。
しかし父本人だけが、「おれはサスペンダーなんかつけてないぞ」と言い張っている。
するとくだんのスタッフが、はずしたサスペンダーを手に持って、わざわざ父の目の前に突き出すようにして、「ほら、しているじゃないですか」となんとしても父の記憶違いを正そうとする。
確かに父の間違いなのだが、そんなにむきになって指摘しなくても……。
親が他人に叱られるのを見るのは嫌なものである。
認知機能の衰えが原因となると、腹立たしいような情けないような気になってくる。
本人にしても、なぜきつい言い方をされたのか意味がわからず、ただ、叱られたという不愉快な感情だけが残るのだったら意味がない。
しかし、もしかして父が、できもしないのに、オレ様的な言い方をして、スタッフを見下した態度をとっていたのだとしたら、と思うと、彼女ばかりを責めることもできないかもしれない。

検査の結果は、脳全体の萎縮は進んでいるが、海馬は大きくなっており、記憶や認知の検査結果も、前回より少し改善しているとのことだった。
脳全体の萎縮が進んでいるというのは気になるが、先生が前向きで明るい表情だったので、それにつられて、「訪問リハがよかったのかもしれませんねえ」「やっぱり運動はいいのかな」「おかげさまで」「ほっとしました」などという声が飛び交い、診察室の中がいっとき華やかな雰囲気になった。
一時的な改善だとは思うが、というか、だからこそ、こういうひとときは貴重かもしれない。


コメント (2)
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