TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

再入院で思うこと

2025年01月19日 | エッセイ
1月17日。
退院して自宅療養中の父がお腹をこわした。
もともとお腹の調子が良くない父であるが、ここ2,3日ほとんどなにも食べていない。
少し移動するのにも大儀そうだ。
本人は受診を嫌がっているが、主観と客観、どちらを優先するべきなのか素人にはわからない。
24時間対応の訪問看護師さんが様子を見に来てくれた。
血圧が60まで低下しているという。
近所の消化器内科クリニックを受診するのが妥当だろうということになった。
彼女に介護タクシーを手配してもらったが、配車にはそうとう時間がかかりそうだ。
そうかと言って、座位を保つのがやっとな状態で普通のタクシーはむずかしい。
折しもインフルエンザの流行中、クリニックは大繁盛の模様だ。
そんなところで父を待たせたら、感染症までいただいて帰ってきそうである。

結局、看護師さんが、先月まで入院していた病院に連絡をとってくださり、救急の受け入れの話をつけてくれた。
いつもは母を相手にぬり絵だの折り紙のお相手をしてくれている看護師さんが、この日は俄然、頼もしい救世主に見える。
119番をしようとすると、地域包括支援センターの女性ふたりが賑やかにやってきた。
担当のケアマネさんが不在なので、その代わりに来てくれたらしい。
救急車を呼ぶことにしました、と伝えると、「そうでしょう。わたしたちも、そうしたほうがいいと話していたところなんですよ」とおっしゃる。
なんでも介護タクシーの手配に奔走してくれていたらしい。
有り難いが、彼女たちの話が長引きそうなので、「119番していいですか」と尋ね、スマホで連絡する。
その間にも彼女たち、玄関先から、父の寝ている寝室を覗き込み、「お顔を拝見できてよかった」と満足そうに言う。
仏を拝んだような口ぶりだ
。訪問先で、本人の顔を見る、見ないというのは、彼女たちの仕事の達成度をはかるバロメーターのひとつになっているのだろうか。
本人にとっては、そんなこたあ、知ったことではないにちがいないが。

救急車はなかなか来ない。
今や、インフルエンザの患者で近くの病院が満床らしいので、救急車もたてこんでいるのだろう。
スタッフのひとりが、お薬手帳、保険証、本人の靴、処方薬、印鑑など、付き添う時に持参するものをてきぱきと指示する。
「ちょっとすいません」と言いながら、家にあがり、お薬カレンダーから処方薬を取り出して、持たせてくれる。
素早い行動だ。
こうした状況は手馴れているのだろう。
使命感に燃えているというような、語弊はあるが、少々はずんだような声にも聞こえる。
人は人の生き死にに関わるような現場に立ちあうと、自然、そんな感じになるのかもしれない。
大災害や大きな事故の目撃者が、インタビューアーの差し出すマイク越しに高揚感に満ちた声と態度で話すのと似ている。

遠くから、やっとサイレンの音が聞こえてくる。
不謹慎だが、わたしも上ずった気分になる。
救急車が家の前に止まった。回転灯が、あたりをくまなく照らす。
夕方4時過ぎ。まだほんのり明るい。
青い服を着た隊員が3人どやどやと家の中にはいってきた。
それほど狭くない寝室が、体格のいい3人の青い制服で埋まった。
ベッドに横たわる父の下にシートを手際よく敷いて、うまい具合に持ち上げて、庭に置かれたストレッチャーに運ぶ。
「頼もしいわあ」と母が感激している。
出発間際に、スタッフが、「火の元だいじょうぶ?」「鍵はOKね」とてきぱきと言う。
わたしたち4人の女性がごちゃごちゃいるので、救急隊員が、「同乗されるのはどなたですか」を質問する。
母とわたしが見送られて慌ただしく乗り込む。
スタッフに挨拶したかどうかも覚えていない。

救急車の中で、119番するまでの経緯を聞かれる。
わたしもまた先ほどのスタッフ同様、使命感のようなものに煽られて、できるだけ正確に細かく伝えようと、張り切ってしまう。
妙な言い方かもしれないが、はしゃいで聞こえたかもしれない。
こんな時にも、こんな時だからこそか、しっかりした娘を演じて褒められたいのだろうか。
血圧は100を超えていると言う。
さっき60、60と騒いだ後なので恐縮したが、それを察したのか、「よかったです」と救急隊員のひとりが言ってくれた。

救急車に付き添いとして乗ったのは初めての経験だ。
自分がぎっくり腰の患者本人として乗った時には染みだらけの白いカーテンが下がっていたが、今回は、グレー地のヒダのはっきりと付いた、まだ新しいものだった。
後ろの席から運転席の窓を眺めると、いろんな備品に遮られて、意外に視野が狭い。
交差点や信号のあたりで、救急隊員がお礼を言っているのが聞こえたが、どういう状況なのかがよくわからない。

見覚えのある景色を見ながら、救急車は病院に着いた。
大きなノックの音がして、車の後ろのドアが開いた。
ストレッチャーに乗せられた父が引き出され、そのあとをついて、救急外来室まで行った。
案内してくれた守衛さんが「お大事に」と言って、持ち場に帰って行った。

夕方も遅い時間帯ということで、外来の待合室にはひとけがない。
壁のテレビでは、大相撲が放送されている。
同じく救急で搬送されたかたの家族と思しき人たちが、ポツンポツンと固まって座っている。
書類を書きながら待っていると、前回入院した時の主治医が挨拶に来てくれた。

長い時間が経った。
大相撲はとっくに終わった。
外は真っ暗だ。
どうやら入院になるらしい。
部屋が決まったということで、非常灯だけに照らされた真っ暗な廊下を、ストレッチャーに乗せられた父を小走りに追いかけた。
もう少しゆっくり歩いてくれればいいのに……。
付き添いの母はリュックを背負ってよたよた付いてくる。
廊下のつなぎ目で、ストレッチャーが大きな音をたてて上下する。

前回と同じ、2階の〇病棟だ。
父は病室に運ばれたが、わたしと母は面談室で待つように言われた。
先月、地域連携室のスタッフを交えて退院後の生活について話し合いがあった部屋だ。
ここでもまた書類を書かされた。
長い長い時間が経った。
あとまわしにされているような気がしてくる。
ようやく、パソコンを押してやってきた看護師が、パソコンの画面を見ながら、「重度の脱水症と腸炎の疑いのようです」と説明する。
機械的な説明のしかたのように感じる。
「当面、口にできるのは、水かお茶。本人の希望を聞いて部屋に置いておいてください」とひとこと。
なんだかそれも味気ない口振りのように感じられて違和感が残った。
もう90歳ですからねえ、という言葉が浮かぶ。

父に面会する。
相変わらず、入院は不本意のようだ。
今回の体調不良が重度の脱水症なら、退院しても同じことが起きる可能性がある。
本人の「食べたくない」「飲みたくない」を優先させて命を縮めてしまうのか、それとも無理やりにでも飲み食いさせて、少しでも永らえてもらうのか。
重度の脱水と聞いて、自分たち家族の、管理の甘さも思う。
と同時に、87歳の母が言った「わたしだったらもうそっとしておいてほしい」は、そのまま鵜呑みにはできないものの、軽視できない言葉だとも思う。

翌日、入院に必要なものを持って面会がてら病院にひとりで行くと、点滴で養分がからだの隅々まで行き渡ったのか、父の血色も昨日よりずっといい。
父本人は、すぐにでも家に帰るつもりのようだ。
退院は、口から摂食できるようになってかららしい。
父曰く、「お母さんには、ベッドでぴょんぴょん跳ねていたと伝えてくれ」。
相変わらず強がりだ。
周りはもう90歳だからなんて言うが、本人は生きる気満々なんだと思う。
その気持ちをやはり優先したい。
30分の面会時間があっという間に過ぎた。
「もういいから帰れ」と父。
娘には遠慮があるのか、それとも家にひとりいる母を気遣ってなのか。
「また来るね」「元気でね」と言って、父の手の平を軽くたたく。
女性の指のようにほっそりとやせた父の指は、ひんやりとしていた。

コメント
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