父の退院2週間後の診察日がやってきた。
じっと家に閉じこもった状態が続くと、病院であれ、外出できる用事ができるとどこかホッとする。
10時の検査に間に合うよう早めに父を起こしたのはいいが、そのあとひと悶着が起きる。
「さっさと用意をさせたい母」と、きちんと時間配分をして行動しているつもりの父との間で“主導権争い”になったのだ。
はいて行くズボンひとつとっても父は譲らない。
「何を着て行ってもいいじゃないの」と怒鳴る母。
そう言われれば言われるほど、父が意固地になり声を荒らげる。
彼がこんなに声を荒らげるのは初めてだ。
自分の意志を無視されて無理強いされるのを嫌うたちだ。
認知症の周辺症状は、こんなことの繰り返しで悪化するのではないか。
時間に若干余裕があったので、とりなすつもりでわたしが父の主張するズボンとベルトを取りに和室に行く。
満足そうに父がベルトを選ぶ。
母としては、わたしが父の味方みたいになっているのが、気に入らないのかもしれない。
いつまでも忌々しそうな声で文句を言っている。
ある程度父の好きなようにさせればいいのにと思うが、母自身、心身共に余裕がなくなっている。
軽度の認知障害のゆえんか、感情が表に出やすくなった。忌々し気なため息が増えた。
母のこうした不機嫌な声を聞くとわたしは自分が責められているような気がしてしまう。
母の怒鳴る声も聞きたくない。うんざりだ。「もう、いやだわ!」と思わずわたしは声に出してしまう。
急がば回れ。結局、予定していた時間よりも早めに用意が整い、タクシーを呼ぶことができた。
もしもあの場に父と母、ふたりきりだったとしたらあそこまでこじれただろうか。
わたしという仲介役がいたから彼らは安心していがみあったのではないか。
タクシーに乗るとふたりともおとなしくなった。
外面がいいのだ。
外でケンカをすることはない。
病院に着くと、有無を言わせず車いすに父を乗せた。
検査のために3か所を回らなくてはならない。
歩かせていたら、1時間後の診察時間に間に合わない。
不案内な建物の中、番号表示を頼りに小走りに車いすを押す。
狭い廊下に患者さんがびっしりと座っている。大きな病院にありがちな光景だ。
ある時は人を追い抜き、ある時はよけながら、慣れない車椅子を押す。
父を車いすに乗せて押す娘の心境はいかに? などと自問自答しようとしたが、気持ちが急いているせいか、じっくりと味わうこともできない。
ひたすら目的の検査室目指して邁進する。
父の着替えを背負い、とぼとぼと後をついてくる母を時々振り返る。
父も、母がちゃんと付いてきているかどうか心配なようだ。
なんたって彼女の方向音痴はお墨付きなのだ。
心電図検査が終わり、父を車いすに乗せて検査室を出ようとしたら、衝立の向こうでドスンという音がした。
ほどなく隣のスペースが慌ただしく異様な空気に包まれた。スタッフが「AED!」と叫んでいる。
検査中の人が倒れたらしい。
あたりが騒然とした。
ひとりの男性スタッフが押し殺した声で、「こちら検査室5番」とマイクに向かって何度か呼びかけると、あっちからもこっちからも、あれよあれよという間にスタッフが集まってきた。
病院中の職員が全員集合したような数だ。
不謹慎ながら、まるでドラマを見ているようである。
先日、退院時のミーティングで司会をしていた地域連携室のスタッフも、紙と鉛筆を持ってやってきた。
救命の補助に来たというよりも、みなさん、お勉強のためにやってきたのだろうか。
患者さんは息を吹き返したらしく、励ますスタッフの声が聞こえる。
肝心のストレッチャーがなかなか来ない。
人はあんなに大勢集まったのに、一刻も早く患者を移動させるストレッチャーを持ってくるような気の利いたスタッフはいなかったようだ。
ストレッチャーの通り道になるからと、わたしたちは、邪魔にならない位置にしばし待機させられた。
この騒ぎを検査室の待合室で目撃していた母がひとこと、「お父さんが倒れたのかと思った」。
それでそんなに落ち着いているのが不思議である。
11時の診察予約時間を大幅に過ぎた。
検査の結果は、心臓への負担がひと月前よりも格段に減り、安定しているとのこと。
もちろん検査結果が良くてなによりだが、それで老化が止まったわけではない。
先生もなにやら忙しそうにせかせかとしていたので、お礼を言う暇もなく、こちらもせかせかと薬の一包化をお願いして診察室を出た。
普段、寝てばかりいることにたいしては、特段問題視されなかった。
それもこれも、だって90歳だもんね、ということだろうか。
ここで優先されるべき関心事は、あくまでも心臓の状態なのだ。
支払いを済ませてから病院の食堂に寄る。
貴重なひとときだと思うのだが、疲れていたのかなんなのか、昼の時間をかなり過ぎていたこともあり、あまり味あわずにガツガツと食べた。
入れ歯を持ってくるのを忘れた父だが、カツカレーをほぼ完食した。
歯の代わりをするために、歯茎というもの、固く発達するものであるらしい。
病院の送迎バスに乗って、駅まで出て、床屋に行った。
入院以来伸び放題の父の髪の毛と髭のカットがようやくできた。
お昼過ぎのタクシー乗り場。
日差しはあるが、風が猛烈に冷たい。
車がなかなか来ない。
わたしともうひとりの男性との間で、タクシーの順番を巡ってちょっとした小競り合いが起きる。
物騒な世の中、もしもわたしがひとりだったら、不本意ながら順番を譲ったかもしれないが、この寒風の中、両親を待たせるわけにはいかない。
一刻も早く乗車したい。
前に並んでいた女性が味方になってくれたこともあって先を譲らず。
相手の男性も、老いた父親を連れていたので同じ気持ちだったかもしれない。
ようやくやってきたタクシーにわたしたちは先に乗り込んだが、あと味の悪い思いが残った。
じっと家に閉じこもった状態が続くと、病院であれ、外出できる用事ができるとどこかホッとする。
10時の検査に間に合うよう早めに父を起こしたのはいいが、そのあとひと悶着が起きる。
「さっさと用意をさせたい母」と、きちんと時間配分をして行動しているつもりの父との間で“主導権争い”になったのだ。
はいて行くズボンひとつとっても父は譲らない。
「何を着て行ってもいいじゃないの」と怒鳴る母。
そう言われれば言われるほど、父が意固地になり声を荒らげる。
彼がこんなに声を荒らげるのは初めてだ。
自分の意志を無視されて無理強いされるのを嫌うたちだ。
認知症の周辺症状は、こんなことの繰り返しで悪化するのではないか。
時間に若干余裕があったので、とりなすつもりでわたしが父の主張するズボンとベルトを取りに和室に行く。
満足そうに父がベルトを選ぶ。
母としては、わたしが父の味方みたいになっているのが、気に入らないのかもしれない。
いつまでも忌々しそうな声で文句を言っている。
ある程度父の好きなようにさせればいいのにと思うが、母自身、心身共に余裕がなくなっている。
軽度の認知障害のゆえんか、感情が表に出やすくなった。忌々し気なため息が増えた。
母のこうした不機嫌な声を聞くとわたしは自分が責められているような気がしてしまう。
母の怒鳴る声も聞きたくない。うんざりだ。「もう、いやだわ!」と思わずわたしは声に出してしまう。
急がば回れ。結局、予定していた時間よりも早めに用意が整い、タクシーを呼ぶことができた。
もしもあの場に父と母、ふたりきりだったとしたらあそこまでこじれただろうか。
わたしという仲介役がいたから彼らは安心していがみあったのではないか。
タクシーに乗るとふたりともおとなしくなった。
外面がいいのだ。
外でケンカをすることはない。
病院に着くと、有無を言わせず車いすに父を乗せた。
検査のために3か所を回らなくてはならない。
歩かせていたら、1時間後の診察時間に間に合わない。
不案内な建物の中、番号表示を頼りに小走りに車いすを押す。
狭い廊下に患者さんがびっしりと座っている。大きな病院にありがちな光景だ。
ある時は人を追い抜き、ある時はよけながら、慣れない車椅子を押す。
父を車いすに乗せて押す娘の心境はいかに? などと自問自答しようとしたが、気持ちが急いているせいか、じっくりと味わうこともできない。
ひたすら目的の検査室目指して邁進する。
父の着替えを背負い、とぼとぼと後をついてくる母を時々振り返る。
父も、母がちゃんと付いてきているかどうか心配なようだ。
なんたって彼女の方向音痴はお墨付きなのだ。
心電図検査が終わり、父を車いすに乗せて検査室を出ようとしたら、衝立の向こうでドスンという音がした。
ほどなく隣のスペースが慌ただしく異様な空気に包まれた。スタッフが「AED!」と叫んでいる。
検査中の人が倒れたらしい。
あたりが騒然とした。
ひとりの男性スタッフが押し殺した声で、「こちら検査室5番」とマイクに向かって何度か呼びかけると、あっちからもこっちからも、あれよあれよという間にスタッフが集まってきた。
病院中の職員が全員集合したような数だ。
不謹慎ながら、まるでドラマを見ているようである。
先日、退院時のミーティングで司会をしていた地域連携室のスタッフも、紙と鉛筆を持ってやってきた。
救命の補助に来たというよりも、みなさん、お勉強のためにやってきたのだろうか。
患者さんは息を吹き返したらしく、励ますスタッフの声が聞こえる。
肝心のストレッチャーがなかなか来ない。
人はあんなに大勢集まったのに、一刻も早く患者を移動させるストレッチャーを持ってくるような気の利いたスタッフはいなかったようだ。
ストレッチャーの通り道になるからと、わたしたちは、邪魔にならない位置にしばし待機させられた。
この騒ぎを検査室の待合室で目撃していた母がひとこと、「お父さんが倒れたのかと思った」。
それでそんなに落ち着いているのが不思議である。
11時の診察予約時間を大幅に過ぎた。
検査の結果は、心臓への負担がひと月前よりも格段に減り、安定しているとのこと。
もちろん検査結果が良くてなによりだが、それで老化が止まったわけではない。
先生もなにやら忙しそうにせかせかとしていたので、お礼を言う暇もなく、こちらもせかせかと薬の一包化をお願いして診察室を出た。
普段、寝てばかりいることにたいしては、特段問題視されなかった。
それもこれも、だって90歳だもんね、ということだろうか。
ここで優先されるべき関心事は、あくまでも心臓の状態なのだ。
支払いを済ませてから病院の食堂に寄る。
貴重なひとときだと思うのだが、疲れていたのかなんなのか、昼の時間をかなり過ぎていたこともあり、あまり味あわずにガツガツと食べた。
入れ歯を持ってくるのを忘れた父だが、カツカレーをほぼ完食した。
歯の代わりをするために、歯茎というもの、固く発達するものであるらしい。
病院の送迎バスに乗って、駅まで出て、床屋に行った。
入院以来伸び放題の父の髪の毛と髭のカットがようやくできた。
お昼過ぎのタクシー乗り場。
日差しはあるが、風が猛烈に冷たい。
車がなかなか来ない。
わたしともうひとりの男性との間で、タクシーの順番を巡ってちょっとした小競り合いが起きる。
物騒な世の中、もしもわたしがひとりだったら、不本意ながら順番を譲ったかもしれないが、この寒風の中、両親を待たせるわけにはいかない。
一刻も早く乗車したい。
前に並んでいた女性が味方になってくれたこともあって先を譲らず。
相手の男性も、老いた父親を連れていたので同じ気持ちだったかもしれない。
ようやくやってきたタクシーにわたしたちは先に乗り込んだが、あと味の悪い思いが残った。
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