箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

ご縁のある木・・・

2020-08-25 | *編集・春/4月

ご縁のある木・・・

 ウツギ谷の北の七丁石から西に折れ、谷山谷から才が原池へ

向うには山越えをしなければなりません。

その山に名前があるのかどうかは分かりませんが、山の尾根に

でると何年か前の大型台風で倒れた沢山の樹木が、無残な姿を

さらしています。

それが早や朽ちかけて、もうすぐ森に還る松の大木であったり・・・

完全に倒れているのに、まだ少しだけ残る根から養分を得て、

その幹から直角に新たな芽を太陽にまっすぐに向けて出している、

たくましいソヨゴの木などもあります。

 

ハイカーの方も余り通らないような・・・

そんな森の中で私は腰を下ろし、一人静かにコーヒータイムにするの

が、この上ない楽しみの一つなのです・・・

目を閉じて森に浸り、そよ風が葉音と共に奏でるハーモニーを聴いて

いる・・・   もうそこはまさに私の別世界です。

季節に遊ぶ鳥たちのさえずりも心地よく、しばし時を忘れてしまい

ます。

 

もう6年ほど前の初夏のある日、私はそこでそんな穏やかな一時を

過ごしていました・・・

ふっと、目にとまるものがありました・・・

可愛い小さな木の芽が顔を出していて、それが木漏れ日を浴びて

緑葉輝いているのです・・・ 

 しかし?   あれ・・・?

近づいてよくみると なんと!  なにやら人工物の輪の中から首を

覗かしている感じです・・・

よくよく見ると、古い五円玉の穴から出ているではありませんか・・・

よくまあよりによって器用な事で・・・ 

 

それにしてもこんな所で・・・

ハイカーの方にも余り出会うことは稀なのに、どうして・・・?

この五円玉の古さから見て、もう数十年も前のことかも・・・?  

例えば、どなたかが汗を拭う時、取り出したタオルと共にポケットの

五円玉が飛び出したりして・・・?  

などと、勝手に想像を巡らせましたが・・・ 

再び新芽を見ると、その葉からみてカシの木? のような気が

しました。

(自宅の庭にも同じような木があり、よく似ていますので・・・) 

 

いずれこれが大木になったら、どうなるのだろうか・・・?

私は今のうちに取り除いてやろう・・・ と、手を伸ばしかけたの

だが、やめにしました・・・  

これも自然の営みなのだ・・・ 不用意に人の手を加えるのは

よそう・・・と、思ったのです。

 

 

それから何度となくここを通ったのに、もうすっかりと忘れて

いました・・・

昨年、同じところで一休みをしていて思い出し、探してみました・・・

しかし、場所が違ったのか?  とうとう探し出す事はできません

でした。

 

それが今日のこと・・・

それも何の前触れもなく・・・  あれ?

目の前に高さ1m位の、ヒョロリとした木が立っているのが目にとまり

ました・・・

そして、何気なく根元を見たとき ビックリです・・・!

あの時の五円玉が、かすかに見えるではありませんか・・・

かすかに!  と、言うのは、直径2-3cmの太さに成長した幹に、

すっかりと入り込んでいるからでした・・・

なんとも痛々しいような・・・?  

それでいて、奇妙なありえない格好に可笑しくて・・・ すごいな! 

と、感動したり・・・  生きている木の力のすごさ・・・

自然の包容力に感心したり・・・  

いろんな思いが数秒の間に交錯し、混乱の極みに陥ってしまい

ました・・・ 

 

あの時に外しておいてやればよかったのに・・・ 

そしたらこんなに苦労をして育たなかったろうに・・・ と、

一瞬 自責の念を感じました・・・

しかし反面、いや いや・・・ これはまさに自然の営みなんだ・・・ 

生きる環境を受け入れて順応し、この木はそれなりに個性的で、

面白味のある木として立派に生きているんだ・・・ などと心は複雑

です。

 

異物を飲み込んで成長している樹木は、森の中で時々目にして

きました。

箕面ゴルフ倶楽部脇の山道で、「無断立ち入り禁止」の看板と共に、

長い距離に張られた有刺鉄線・・・

それが無造作に松やケヤキ、モミジなどの生木に直接打ち止めされて

いて・・・

長い年月の間に樹木が生長し、徐々にその鉄針を飲み込んでいき、

今では幹の半分ぐらいまで入り込んでいるものもあります・・・

樹木の中央から右と左に、それぞれに錆びた有刺鉄線が出ている

姿は無気味で、痛々しさを覚えます・・・

 

また別の所では、木の幹に取り付けられていたブリキの

表示丸板・・・そこには 「火の用心・・・」 「ゴミは持ち帰って・・・」 

「木を大切に・・・」(大阪府) (森林事務所・・・) など、かなり昔に

取り付けられたような古い錆びたブリキ板が幹に食い込んでいる

姿をみました・・・

幹は何かの拍子にそれをくわえ、そのまま長い年月を超えて、

徐々に取り込みながら成長していくので、自然と幹の奥深くへ

入ったままの姿なのです・・・

一度そんな異物を取ってやろうとおもって、思い切り引っ張ってみま

したが、もう到底外れませんでした。

 

ビール缶のキャップが、木の枝のコブとなって半分飲み込まれている

姿も見ました・・・

投げ捨てられた丸いキャップが、上手くストライク! で、枝に

引っかかり、そのまま枝が成長していき、飲み込んでしまった様子

です。

 

 

それにしてもです・・・

あの小さな五円玉の穴から芽を出したカシの木の赤ちゃん・・・

成長するに連れてなんとも、一生 ご縁(五円)のあるお付き合い に

なってしまいましたね・・・

’13 4・30


大ケヤキの木の下で精気をもらう!
 落合谷から前鬼谷(ぜんきだに)&後鬼谷(ごきだに)を登り、
ようらく台園地へ抜ける山道に大きなケヤキの木があります。
ハイキング マップにも表示されていますが、それは大きな
ケヤキの木です。
私はよくこの巨木の下で一休みをします。
 
見上げるとその枝っぷりと言い、無数にあるような木の葉・・・
おそらく何十万枚という単位でしょうね。
広げた枝に、今は若葉が次々と芽を吹き出しています。
夏になり葉が大きくなると、まさに天を覆う感じになりますよ。
 
我が家にも小さなケヤキの木がありますが、ケヤキと言う木は
春の新芽、夏の若葉、秋の紅葉と落葉、冬の裸になった小枝群
・・・と、四季を楽しませてくれて、私の大好きな木の一つです。
ケヤキの樹高は最大50mにも達するそうですからすごいですね。
 
私はこの ”大ケヤキ” に着くといつもする行事? が 一つ
あります。 
それは両手を木の幹に当てて、ゆっくりと見上げると共に息を
吸い込み、徐々に息をはきながら根元まで目を下ろす・・・
再び、ゆっくりと息を吸い込みながら木を見上げていきます・・・
この、息を吸い込む時が実に神秘的で、いつも素晴らしい感覚を
味わうのです。
見上げる太い幹から伸びる中枝、小枝、その先にある数十万枚の
葉っぱから私が両手を当てている所を通じて ”大ケヤキ” 全体
の巨木の精気が、私の全身に流れ込んでくる感覚です。
 
頭のてっぺんから足のつま先まで・・・ビビビビ・・・と、しびれる程
なんですよ。
落合谷~落合尾根へ ふ~ふ~ 言いながら上って来ると、私の
老体も足もガクガクになる時がありますが、ここで深呼吸をして
 ”大ケヤキ” からの精気を全身にもらうともうバッチリで、元気に
また上っていけるので、いつも不思議でなりません。
足が軽くなるんです。
もうこれは私だけの実感ですが、一度もの好きな方がおられました
ら試してみてください。
効果は保証しませんが、気持ちのいいものです。
 
私は大きな木の下で雨宿りをしたり、大きな木に背中をつけて
一休みをしたりしますが、木の根元に座っていると大きな安らぎを
覚え、安心感とか・・・何ともいえない落ち着いた抱擁感を覚え、
まるで子供の頃、母親に抱かれているような温かい気持ち良さに
なります。
 
癒されて瞑想に耽る境地かな・・・ ?
余談ですが、お釈迦様が大きな菩提樹の木の下に座って悟りを
開かれ仏陀になられたことはよく書かれていますね。
アフリカには今も人間は木から生まれ出でた・・・と言う 神話が
各地にあるそうですし、日本の 「神道」 は「松の木」を
神様が降臨する「神聖な木」としていて、神様を呼び込んで祝福を
受ける為に、お正月には門松や飾り松を家の前に飾る習慣が
昔からありますね。
 
木を国旗にあしらっている国もあれば、企業でも木をシンボルと
してロゴ化している所も多くあります。
子供のころ学校の理科室で見た人体図で肺胞と心臓の血管が
木の枝のように太い幹から中枝、小枝、毛細血管へと続いていた
のを思い出します。
森(木)は人間のはき出す二酸化炭素を吸い込み、人間に必要な
酸素をはき出す ”地球の肺” そのものですから、何か人間の
構造と地球の循環の神秘性を感じます。
 
私は春になるとこの ”大ケヤキ” の 幹に耳を当てます。
あの何万枚かの若葉へ水を行き渡らせる為に、太い幹は懸命に
大地からの命の水をくみ上げ、そして一枚一枚の葉に至るまで
の吸水、配水作業をしているはずですから、その技は人知を
超えたものですね。 
そして、その音を一度聞いてみたいので幹に耳を当ててみる
のです・・・
実はよく聞えません・・・いつも聞いたつもりでいます。
 
昨年の夏、この ”大ケヤキ” の前を通った時、小学生の子供が
お父さんとこの木の幹に 聴診器 を当てていました。 
夏休みですからね。
お父さんはお医者さんかな?
確かに聴診器で聞いたら、木の吸水の音が聞けるかも
しれません・・・? 
 
ところであの聴診器はどこで売っているのでしょうか・・・?
今、これを書きながら急に興味がわいて来ました。
しかし、一人・・・森の中で木に聴診器をあてている姿は、何とも
滑稽な感じがしますね。
なにをしているんですか・・・?
私ですか・・・?   樹医なんですよ・・・なんてね!  (笑)
 
 
でもこの ”大ケヤキ” の根元に座っていると、私も悟りの
一つでも開け無いものでしょうか・・・ ?
遠くでウグイスが・・・
ホホ--- ボ ケ キョ--- と 鳴いたように聞えましたが・・・!
 
聞き違いかな ?  (笑)
 
 
07-4 (完) 
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