東北大震災より早くも5年経とうとしている。東北沿岸の被災地を安心で安全な地に変えるために 巨費を投じた復興工事が進む。三陸が長年抱えてきた自然のリスクを現代の科学技術で克服しようとする訳である。海に面した旧市街地全体をかさ上げしたり、巨大な堤防で囲む計画だそうだ。海からのリスクを減らすとの観点からは、人間と海を分断するのは当然の発想であろう。
漁は危険を伴う生業である。その代わり人間は海から多大な恩恵を受けてきた。人間と海の関係性でいったら、陸と海を分断するこのやり方は三陸の発想ではないと、大正大学准教授の山内氏は主張する(2月18日、朝日新聞、オピニオン)。
三陸の人々は大津波や飢饉など、過酷な自然と折り合いをつけながら生きてきた。戸倉地区水戸辺の高台の石碑には「一切の有為の法踊り供養奉るなり」とあるそうだ。この世にある一切、すなわち木も草も動物も人も土も海もその存在を尊重し、踊って供養するとの意味とのことだ。正に、万物に霊魂は宿るとの考えの下、自然と一体となって生きてきた訳だ。
一軒一軒の収入が低くても、海や山のもの、家の庭で取れたものをゆずりあって生きてきた。自然からの分離は伝統に反すると言う山内氏の主張だ。同氏はかさ上げにより人間と海は分断されたと心配するが、自然の豊かさも失われたのであろうか。そうであるならば、人間は安全になったからと言って生きる術を失なったのでは、本末転倒であり、氏の主張は肯ける。
もし失われていなければ、高台に住む人間は自然の豊かさを求めて何かしらの手を打ってくる。自然に向き合うためには、大勢の人間と協力した方が都合がよい。それまでの共同体が壊れるかも知れないが、そこに新たな共同体が生まれるに違いない。高台移転でなじんだ共同体が壊れ、生活の有様ががらりと変わってしまうのでは困る、と氏は嘆くが、自然が戻ってくれば、そこに新たな共同体が生まれるのは間違いない。時間が解決する話であろう。
1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。その復興を巡り、今でも賛否両論があると言う。奥尻島と三陸は条件が異なるので、一概には判断できないが、行政もこの復興を参考にして三陸復興計画を策定していると信じたい。結論は時間をかけて待つしかない。
都市生活は一見安全安心であるが、非常に脆弱な構造に支えられている。食料は、遠隔地より多くの人手を介して手に入る。一人でも欠ければ手に入らない。すべての歯車が順調に回り、何事も起こらなければ、一人でも楽して快適な暮らしを気ままに謳歌できる。他人との接触は煩わしいだけだ、とも言える。この気楽さは、正に砂上の楼閣であろうが、何時来るか分からない災害を心配するより、今日を楽しく、のほほんと暮らす方をほとんどの人間が選ぶ。
三陸ばかりでなく、日本国民のほとんどが戦前までは自然と一体に暮らしてきた。自然からのリスクを減らすことは、自然から分離することである。自然の中の暮らしは楽ではないが、自然無くして生きていくことは出来ない。自然から分離した、安心安全のための生活は現代の科学技術でどこまで保障できるであろうか。
2016.03.09(犬賀 大好-214)
漁は危険を伴う生業である。その代わり人間は海から多大な恩恵を受けてきた。人間と海の関係性でいったら、陸と海を分断するこのやり方は三陸の発想ではないと、大正大学准教授の山内氏は主張する(2月18日、朝日新聞、オピニオン)。
三陸の人々は大津波や飢饉など、過酷な自然と折り合いをつけながら生きてきた。戸倉地区水戸辺の高台の石碑には「一切の有為の法踊り供養奉るなり」とあるそうだ。この世にある一切、すなわち木も草も動物も人も土も海もその存在を尊重し、踊って供養するとの意味とのことだ。正に、万物に霊魂は宿るとの考えの下、自然と一体となって生きてきた訳だ。
一軒一軒の収入が低くても、海や山のもの、家の庭で取れたものをゆずりあって生きてきた。自然からの分離は伝統に反すると言う山内氏の主張だ。同氏はかさ上げにより人間と海は分断されたと心配するが、自然の豊かさも失われたのであろうか。そうであるならば、人間は安全になったからと言って生きる術を失なったのでは、本末転倒であり、氏の主張は肯ける。
もし失われていなければ、高台に住む人間は自然の豊かさを求めて何かしらの手を打ってくる。自然に向き合うためには、大勢の人間と協力した方が都合がよい。それまでの共同体が壊れるかも知れないが、そこに新たな共同体が生まれるに違いない。高台移転でなじんだ共同体が壊れ、生活の有様ががらりと変わってしまうのでは困る、と氏は嘆くが、自然が戻ってくれば、そこに新たな共同体が生まれるのは間違いない。時間が解決する話であろう。
1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。その復興を巡り、今でも賛否両論があると言う。奥尻島と三陸は条件が異なるので、一概には判断できないが、行政もこの復興を参考にして三陸復興計画を策定していると信じたい。結論は時間をかけて待つしかない。
都市生活は一見安全安心であるが、非常に脆弱な構造に支えられている。食料は、遠隔地より多くの人手を介して手に入る。一人でも欠ければ手に入らない。すべての歯車が順調に回り、何事も起こらなければ、一人でも楽して快適な暮らしを気ままに謳歌できる。他人との接触は煩わしいだけだ、とも言える。この気楽さは、正に砂上の楼閣であろうが、何時来るか分からない災害を心配するより、今日を楽しく、のほほんと暮らす方をほとんどの人間が選ぶ。
三陸ばかりでなく、日本国民のほとんどが戦前までは自然と一体に暮らしてきた。自然からのリスクを減らすことは、自然から分離することである。自然の中の暮らしは楽ではないが、自然無くして生きていくことは出来ない。自然から分離した、安心安全のための生活は現代の科学技術でどこまで保障できるであろうか。
2016.03.09(犬賀 大好-214)