日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

日本の安全保障は独自外交しかない

2015年09月23日 09時15分07秒 | 日々雑感
 今回法制化された安保関連法案の内容は、単純化して表現すれば、次のようになるであろう。「日本は安全保障条約により米国が守ってくれる筈であるが、それを一層確かなものとするためには米国に対してもっと協力する必要がある。そのために自衛隊を世界のどこにでも派遣し、米軍を支援できるようにする」。
 安保関連法案の成立により、これで日本は安全になったと喜んでいる国会議員がいるが、果たして米軍は全面的に日本を応援するであろうか。冷戦時代はとうの昔に終わった。世界は米国主導の資本主義経済が優勢である。儲けの対象と見た場合、日本より中国の方がはるかに魅力的であろう。既に米国の対中国の貿易額は、輸入、輸出額共に日本より大きい。中国は国土・人口共に大きいし、また中国は独自の技術は少なく、米国技術の売り込みはいくらでも出来る。グローバル化が一層進む世界で、尖閣諸島が例え中国の所属になったところで、米国にとって痛くも痒くも無い。このような状況下で自国の危険を冒してまで日本を応援するとは思えない。
 安保関連法案の成立賛成の立場の人の意見は、「中国の台頭など安全保障環境が厳しさを増しているとして、抑止力を高めるために安保法案が必要だ」と言うことであろう。また、「自衛隊が米軍を防衛できないというのでは、日米が共同して日本を守るとの日米安保条約の趣旨から均衡がとれない」等である。
 抑止力を高めるために自衛隊の強化を図るとすれば、中国はそれ以上の強化を図り、軍拡競争になる。最大の抑止力は核兵器であろうが、その点では既に中国は有しており勝負はついている。自衛隊だけでは太刀打ちできないとなれば、米軍の後ろ盾をあてにするしかない。前述のように、冷戦時代は終わった。商売の相手と見た場合、日本より中国の方がはるかに魅力的であるため、米国が全面的に日本を応援する時代ではない。
 日米安全保障条約は、冷戦時代のソ連共産主義の防波堤の意義が大きかった。冷戦が終わり、その意義も問われている。現在日本は米軍の駐留経費の75%を負担するまでしているので、どちらかと言えば撤退したい米国にお願いし、日本を守ってもらうとの意義が大きいと思われる。この意味で、日本は米国に更なる協力を申し出て、日本に駐留してもらわなくてはならないのだ。
 軍事力も米国もあてに出来ないとなると、これからの日本は憲法9条を前面に出し独自の外交で国を守るしかない。戦後70年間、日本の外交は米国一辺倒であった。日本は米国にすっかり依存していることを忘れて国際感覚を失い、過去を正当化するような歴史認識を振りかざし、近隣諸国を刺激するまでしている。軍事力に頼らない独自の外交がどのようにすれば可能か分からないし、外務官僚は外交村の利権を守るために必死で反対するであろう。理想論である、現実的でない、と。今回の騒動の一番の成果は若者が政治に関心を持ち始めたことだと言う。過去にとらわれない若者の発想、行動力に期待したい。(犬賀 大好-166)

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