日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

マイナス金利政策と銀行の役目

2016年03月12日 08時52分48秒 | 日々雑感
 日銀は量的・質的金融緩和という政策の下、年80兆円というペースで国債を市場から買い上げて長期金利を引き下げている話はよく耳にする。この他、日本株を年3兆円のペースで購入することによって株式市場を下支えしているそうだ。 日銀がこれだけ多くのお金を市場に供給しているにも拘わらず、物価上昇目標は達成されない。安部政権の支持率は相変わらず高いが、株価は一時期の2万円から随分下がり、株価連動内閣の声も聞かれなくなった。

 黒田日銀総裁はついに痺れを切らし「マイナス金利政策」を始めた。この政策は、銀行が日銀に現金を預けっ放しにしないように、管理料を要求し、銀行が保有する資金を企業に貸し出しするのを促進するのが目的だそうだ。また、市場の金利体系を引き下げる目的もあり、実際、住宅ローンの金利も下がり始めたとのことだ。

 銀行が企業に投資しないのは金利のためではなく、企業が新たな事業を始める意欲が無いからであることは、これまでの金融緩和の不出来な結果からも明らかであろう。また、住宅ローンの金利低下にしても、東京圏のマンション価格は高騰し、また路線価格も上昇気味であるとの話であるので、住宅購入が急増するようには思えない。

 渡辺努東大教授も、日銀が金利をプラスの領域からマイナスの領域に下げたからといって、天地をひっくり返すような効果があるとは思えないと言明している。

 木内登英日銀審議委員は、「マイナス金利政策」で収益が悪化した銀行が「貸出金利の引き上げや手数料の引き上げなどを通じて、企業や家計に転化する可能性がある」とし、「金融引き締め効果につながる恐れがある」と逆効果を懸念している。

 両者とも効果が期待できないと言っている訳だが、経済学の権威でもある黒田総裁が敢えてやったからには勝算があるのだろう。しかし、黒田総裁はデフレ脱却の為なら何でもすると言っているので、安部首相と結託し戦争等の荒治療も念頭にあるのではないかと、勘繰りたくなる。第2次世界大戦からの日本の驚異の復興に朝鮮戦争が大いに役に立ったように、戦争は大いなる消費だ。消費拡大にこれ以上期待できるものは無い。

 さて、銀行は、人々からある利率でお金を集め、その金をそれ以上の利率で企業に貸して儲けるのが本来の役目である筈だ。高度経済成長期には、企業は銀行に頭を下げて高率で競って金を借りた。銀行員は何も考えずに右から左へお金を渡してぼろもうけした。そこでは企業に投資するためのノウハウなど知る必要が無かった。当時企業は何をしても成長出来たのだ。その影響が未だに尾を引き企業への投資のノウハウがよく分かっていないことも、経済停滞20年の一因ではなかろうか。経済停滞の根本原因は社会の成熟にあると思いつつも、ついこのように考えてしまう。

 つい先ごろまでは、護送船団方式で政府から保護され、 銀行は日本経済を牽引する原動力であった。しかし、最近は政府の言うまま日本国債を買い、その国債を日銀に買い取ってもらうこと位にしかマスコミに登場しない。日経平均が2万円を超えた時でも、銀行株は冴えなかった。しかし、2016年卒の学生が就職したい、人気企業のベスト1は三菱東京UFJ銀行だったそうだ。ただ今就職活動の真っ只中であるが、相変わらず銀行に対する学生の人気は高いことであろうが、銀行を改革しようとする積極的な人材を採用しようとしているのであろうか。

 銀行は、企業への貸し出しが低調でも、何とか利益を確保するために、普通預金の金利をマイナスにすることを考え出すかも知れない。この考えは、銀行員が考えそうな堅実な考えであろう。しかし、この時は、箪笥預金が増え、金庫屋と泥棒が儲かるだけかも知れない。
2016.03.12(犬賀 大好-215)

東北沿岸の災害復興から想う

2016年03月09日 09時39分47秒 | 日々雑感
 東北大震災より早くも5年経とうとしている。東北沿岸の被災地を安心で安全な地に変えるために 巨費を投じた復興工事が進む。三陸が長年抱えてきた自然のリスクを現代の科学技術で克服しようとする訳である。海に面した旧市街地全体をかさ上げしたり、巨大な堤防で囲む計画だそうだ。海からのリスクを減らすとの観点からは、人間と海を分断するのは当然の発想であろう。

 漁は危険を伴う生業である。その代わり人間は海から多大な恩恵を受けてきた。人間と海の関係性でいったら、陸と海を分断するこのやり方は三陸の発想ではないと、大正大学准教授の山内氏は主張する(2月18日、朝日新聞、オピニオン)。

 三陸の人々は大津波や飢饉など、過酷な自然と折り合いをつけながら生きてきた。戸倉地区水戸辺の高台の石碑には「一切の有為の法踊り供養奉るなり」とあるそうだ。この世にある一切、すなわち木も草も動物も人も土も海もその存在を尊重し、踊って供養するとの意味とのことだ。正に、万物に霊魂は宿るとの考えの下、自然と一体となって生きてきた訳だ。

 一軒一軒の収入が低くても、海や山のもの、家の庭で取れたものをゆずりあって生きてきた。自然からの分離は伝統に反すると言う山内氏の主張だ。同氏はかさ上げにより人間と海は分断されたと心配するが、自然の豊かさも失われたのであろうか。そうであるならば、人間は安全になったからと言って生きる術を失なったのでは、本末転倒であり、氏の主張は肯ける。

 もし失われていなければ、高台に住む人間は自然の豊かさを求めて何かしらの手を打ってくる。自然に向き合うためには、大勢の人間と協力した方が都合がよい。それまでの共同体が壊れるかも知れないが、そこに新たな共同体が生まれるに違いない。高台移転でなじんだ共同体が壊れ、生活の有様ががらりと変わってしまうのでは困る、と氏は嘆くが、自然が戻ってくれば、そこに新たな共同体が生まれるのは間違いない。時間が解決する話であろう。

 1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。その復興を巡り、今でも賛否両論があると言う。奥尻島と三陸は条件が異なるので、一概には判断できないが、行政もこの復興を参考にして三陸復興計画を策定していると信じたい。結論は時間をかけて待つしかない。

 都市生活は一見安全安心であるが、非常に脆弱な構造に支えられている。食料は、遠隔地より多くの人手を介して手に入る。一人でも欠ければ手に入らない。すべての歯車が順調に回り、何事も起こらなければ、一人でも楽して快適な暮らしを気ままに謳歌できる。他人との接触は煩わしいだけだ、とも言える。この気楽さは、正に砂上の楼閣であろうが、何時来るか分からない災害を心配するより、今日を楽しく、のほほんと暮らす方をほとんどの人間が選ぶ。

 三陸ばかりでなく、日本国民のほとんどが戦前までは自然と一体に暮らしてきた。自然からのリスクを減らすことは、自然から分離することである。自然の中の暮らしは楽ではないが、自然無くして生きていくことは出来ない。自然から分離した、安心安全のための生活は現代の科学技術でどこまで保障できるであろうか。
2016.03.09(犬賀 大好-214)

人手不足と労働崩壊の関連を考える

2016年03月05日 09時28分27秒 | 日々雑感
 NHKのクローズアップ現代(2月22日)で労働崩壊の問題が取り上げられた。今、保育や介護、建設現場など、公共サービスや公共工事を担う現場で、低価格の受注競争によって引き起こされる労働現場の諸問題である。

 この背景には、自治体が推し進めているコスト削減があるという。すなわち、保育所等をそれまでの公営を効率化のために民間に委託したり、公共工事の予定価格を違法に下げるからだそうだ。このため、労働者は低賃金労働を強いられ、保育の質や安全の低下や、労働者の技術の継承などが難しくなっている、すなわち労働崩壊が起こっているとの内容であった。

 以上の話を何気なく聞いていると、なるほどと納得させられるが、現在の日本では労働者の人手不足と言われていることを思い出すとき、何か矛盾を感ずる。すなわち、この労働崩壊は過当競争による労働者への皺寄せであると言う。本当に人手不足であるならば、仕事を受注したところで働き手が確保できず、仕事が出来ないはずだ。労働崩壊は、低価格で受注した仕事をこなすために、労働者を低賃金で雇用することから始まる。低賃金でも人手が集まるということは、人手不足では無いとの意味ではないか。

 政府はアベノミクスのお蔭で有効求人倍率が1を超えていると自慢している。また、建築現場では人手が集まらず、外国人労働者の雇用が増えている等の報道もある。確かに今の日本は人手不足であるに違いない。しかし、国の負債が1兆円を超える財政難であるため、自治体でもコスト削減の徹底が必要なことは確かであろう。負債問題と少子高齢化問題は、互いに関係の無い大問題ではあるが、社会には矛盾する現象を引き起こしているのだ。

 経済の基本原則から言えば、労働者はより報酬の高い所に集まる筈である。雇用者は人を集めるために、報酬を高く設定せざるを得ない。従って必然的に報酬は高くなるはずである。低賃金でも人が集まるということは、何故だろう。経済の原則が働かない理由は何故だろう。

 低賃金でもその日が暮らせれば一向に構わないとの風潮があるのであろうか。もし本当であるならば、人手不足にも拘らず、低賃金で働かざるを得ない労働者は、自治体が進める安易なコスト削減や弱い者へのしわ寄せであると、嘆くのは偽善と言わざるを得ない。

 70歳を超えた人間からすると最近の若者の考えがよく理解できないことがある。親の年金を当てにする若者、結婚しない若者等の増加が時としてマスコミの話題になるが、低賃金労働をよしとする風潮と関連があるような気がする。

 番組では、労働崩壊に対し、自治体によっては公共工事の適正価格の設定やその監査の徹底を始めたところもあるとの紹介があった。しかし、労働崩壊の具体的な内容が保育の質や安全の低下や、労働者の技術の継承と言った構造的問題であるならば、いくら報酬を上げたところで、解決に結びつかない。働く者が、その日暮らしの、将来展望を持たない者であれば、彼らに質の向上は期待できないからである。
2016.02.05(犬賀 大好-213)

世界の景気減退は社会の成熟か技術の低迷か

2016年03月02日 09時28分52秒 | 日々雑感
 世界銀行は今年1月6日公表した経済見通しで、2016年の世界経済の成長率見通しを引き下げた。主要新興国の成長鈍化と米国など先進国の低成長によって世界全体の経済活動が弱まるとの見方を示したのだ。その直接的な原因は、中国経済の低迷、原油安等挙げられているが、その根源には社会の成熟あるいは技術の低迷があると思う。

 人類発祥以来、人々は各種の発明・発見を行い、生産技術を発展させてきたが、それでもわずか250年位前までは、ほとんどが人力によってなされていた。しかし、18世紀の後半の第1次産業革命では、水力や蒸気機関などによる機械化を進め、繊維産業等の軽工業が発展させた。19世紀末から20世紀初頭の第2次産業革命では、石油と電力の活用による大量生産を開始した。ライト兄弟が1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功し、フォードが1913年に自動車の大量生産を始めたのもこの時期である。

 第2次世界大戦後の第3次産業革命では電子技術が主役であった。1949年のトランジスターの発明を契機に、トランジスターがIC(IntegratedCircuit)になり、LSI(LargeScale IC)となり、集積密度が飛躍的に上がり、それに伴い周辺の電子部品も小型化され、一方では電子機器を制御するソフトウエアの飛躍的な進歩があった。エネルギー源としては、それまでの水力、火力に加え原子力まで利用を始め、電子化による製品、生産設備システムの自動化 、は人々の生活を格段に便利にした。

 生産技術を始めとする科学技術の発展のお蔭で、世界の人口は飛躍的に伸びた。 しかし、生産技術の面では人間個人の価値は相対的に低下して行った。すなわち、人間の肉体的な力は機械の力に益々敵わくなり、どんどん機械に置き換わって行った。

 更なる生産技術の進歩が必要と、ドイツ政府は、2012年に第4次産業革命と呼ぶべき Industry 4.0プロジェクトを発足させ、2013年には約280億円の予算を割り当てた。インターネットと人工知能の本格的な導入によって、生産・供給システムの自動化、効率化を革命的に高めようとする試みであり、米国ではIndustrial Internet呼ばれているとのことだ。

 これにより機械が自動的に機械を製造するようになると、画期的に産業構造は変わるであろうが、そのときには人間の必要性は大幅に減少する。力では必要なくなった人間が、頭脳の点でも必要が無くなって来るのだ。人間の飽くなき探究心もいよいよ考えに行き詰まり、人間の排除を考え出したと言うことだ。

 この流れは文明論的には当然の流れかもしれない。わずか250年前までは人間が主役であったが、機械がどんどん人間に置き換わり、人間は脇に追いやられた。そして終には人間の存在価値は無くなってしまうのだ。約6500万年の人類の発祥から今日までほとんどが人間は主役であった。そして人間が脇役になったのは高が250年前であり、この分で行くと存在価値が無くなる将来も極めて近い将来かも知れない。

 これまで経済の発展は生産技術の発展と一体であった。現在の世界の生産システムは世界の需要を賄うに十分である。人々の生活は豊かになり、これ以上欲しいものが見当たらなくなった。社会は成熟したのだ。必要は発明の母。成熟した社会では当然技術の停滞は起こる。

 しかし、日本のみならず世界は相変わらず成長戦略を掲げ、景気浮上を模索する。現在は世界的に景気が悪いと言われている。原油の過剰供給による価格下落の為とか説明されるが、その裏には社会の成熟があるのだ。しかも、近い将来は人間不必要の社会が待ち受ける。技術者も人間排除は心外であろうが、その方向でしか考えることが出来無くなっているのだ。しかし、人間を必要しなくなった世界における経済の発展とはどのような状態であろうか。想像できない。
2016.03.02(犬賀 大好-212)