畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

消化器官

2011-10-26 18:51:44 | 食、農への思い

10月26日(水)   ときどき 

昨日の今日なので、あまり急には、動かないようにしようと、思っていたら、連れ合いは、午後、患者会という。じゃあと、出荷を手伝い、午前中に出荷作業を終わらす。午後は、秀畑に、様子を見に行く。秋、冬野菜を、定植したり、種蒔してあるが、草の具合はどうだろうと。畝間の草は、早めの機械で中耕したいし、不織布は、野菜がある程度育つまで、防虫しておきたい。その両者のバランスを見て、最適の時に、管理機を走らせたい。それには、天気具合も加味しなくてはならない。なにも作業しなくとも、畑にかよっておかないと。車のガソリンが少なくなってきたので、ついでに、宮畑も見てくる。こちらは、進入路や、畔など、周囲の草刈が待っていた。夏野菜は、もう終わるが、インゲンが、ちょうど花をつけ始めた。少し遅すぎたかな。

昨日は、結局、夕飯も食べなかった。食欲がなかったわけではないが、食べないでおこうと思った。だから、当然、アルコールも口にしなかった。蜂蜜をさ湯で割ってカップ一杯飲むだけにとどめた。めずらしいことである。年に10日と無い日となった。そして、9時前には、床に着いた。一日中寝ていたようのものだから、眠れないのではないかと思いながらだったが、30分もしないで、眠ってしまったようだ。そして、いつもと同じような夜と、眠りで、今朝は、同じように起床した。朝食は食べないのが常だ。

ということで、一昨日の夜、飲みながら、食べたのを最後に、40時間ほどの間、蜂蜜湯を三杯飲んだだけで過ごしたことになる。ある程度の空腹感はあるが、どうということはない。食べ過ぎの満腹感の時よりは、よほど快適に動ける。そもそも動物は、空腹感を感じて初めて、食べるための行動を起こすものだろう。自然界に生きていれば、空腹になった時に、都合のよいように、獲物は目の前にぶら下がってこない。餌を食べるために行動を起こすことになる。草食系ならば、好みの草のある所に、肉食系は、さらに大変な労働が待っている。生きて動く動物を、探して捕えなければ、空腹を満たすことはできない。彼らが餌とするのは、捕えられまいとする生命だ。大変な労働が待っている。

人の起源は、雑食だったとしても、そう簡単に、空腹を満たせる環境だった訳ではないだろう。そして、人が栽培や畜産、養殖により、食べものを有り余るほどに作れるようになったのは、つい最近のことだし、そのもう一方には、餓死するほどの現実もある。ほんの、100年少し前には、私たちの前にも、そういう現実はあった。

美味しいものを食べたいし、美味しいお酒も飲みたいし、ひもじい空腹は嫌だ。

でも、消化器官の入口から出口まで、豊かな食物を積め込まざるをえないような、そんな食の在り様は、否定したい。

腰は要。では、消化器官のそれぞれは、何でしょう。

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少量多品目

2011-10-18 18:53:54 | 食、農への思い

10月18日(火)  

秀畑。施肥、畝立マルチ張り。4畝。

いちいち機械を運ぶのは面倒だが、その都度マルチを張らないと、畝間の草は伸びてしまうし、マルチフィルムも、猫や他の動物が穴を開けて、そこに草が顔を出してしまう。小品目の大量生産の場合は、何畝も作るから、機械作業もまとめてやってしまえる。能率はその方がよい。

最近は作る人も少なくなったが、この辺りは、冬レタスの産地だった。稲刈が終わった田んぼに、高い畝を立てて、マルチを張り、レタス栽培が始まった。今では、ほんの数軒くらいしか見なくなったが、今は、レタス苗の植え付け時期だ。それを見ると、「ああ、ここは今年も栽培している」と、ホッとしながら、車を走らせている。そんなレタス畑は、田んぼ一面に植えられ、何枚も続いている。

しかし、我が家は、レタスを、ハクサイを、キャベツを、ブロッコリーを、、、、と、一畝か二畝づつ。それを、2回か3回の繰り返しだ。能率は悪いが、そのすべてが、全滅すると云うことはない。だから、農薬を使わないで、栽培できる。多品目、少量生産だからこそだ。レタスを多量に作る場合、不作になると困るから、計算できる化学肥料を使い、予防のための農薬を使用することになる。

今の産地化農業の欠点であるが、大量生産でコストを下げ、低価格化もされているから、(大量消費=大量の無駄)も実現されている。

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「死の町」

2011-09-10 19:42:35 | 食、農への思い

9月10日(土)   いちじ 

今日も晴れて、蒸し暑い。一日、田んぼの耕起。幸いというか、トラクターはキャビン付きで、冷暖房付きである。蒸し暑く、風の無い日は、冷房のスイッチを入れて、快適な? 運転作業ができる。その上、CDプレイヤー まで付いている。無趣味なもので、CDは持っていない。が、ラジオは良く聞く。今日も、運転中は、ラジオを楽しみながら、気持ちよい作業だ。

それで、明日は、9月11日だ。3月11日から、半年になる。ラジオ番組も、当然、震災や原発事故を話題にしている。そんな番組を聞きながら、そういえば、3月11日も、トラクターを運転する作業中だったことを思い出す。田んぼの肥料の散布中だった。あれから、半年。苗を育て、田植をして、そして、収穫を終えた。けして、短い時間ではない。しかし、震災、津波を受けた東北地方の再出発は、遅々としているように思われる。特に、原発の事故により、高濃度に、汚染された地区は、今後どうしてゆくのか、方針さえ示されていない。しかも、かなりの放射性物質に汚染された地域にあっても、若い世代や、子供たちは、汚染の無い(限りなく少ない)地域に避難するような対策も取られず、日々、放射線被ばくを浴びせられ続けている。

不評だった、政府のトップは交代した。しかし、新首相が選んだ、新大臣も、変わったばかりというのに、早速に、「問題発言」を指摘されている。原発を視察した感想で、避難地域を、「死の町」と表現したのだそうだ。そして、マスコミをはじめとして、いっせいに非難を浴びている。そこに住み暮らしていて、強制避難を強いられている人たちに対して、心を配らない発言だと。

確かにそうだ。原子力発電所を安全で、国家、経済の為に必要なものとして、押しつけた側、加害者側が、云うべき言葉ではないだろう。避難を強いられた人たち、汚染の恐怖に逃げ出したいと思いつつも、どうにもできないでいる人たちにとっては、「お前たちに、云われる筋合いではない」「それをどうにかする責任が、政府や、東電にはあるのだ」という、怒りの気持ちしか、わかないのは当然だ。

しかし、そうであっても、マスコミの、過剰な「死の町」バッシングは、ちょっとおかしいと、思うのは、私だけだろうか。「死の町」発言の非難の行き過ぎで、「死の町」ではない、ということに落ちついたら、それは、もっと恐ろしいことになる、と思う。「死の町」発言に対する避難が、情緒的になりすぎるのはおかしい。経産大臣が、一人の人間として、事故を起こした原発の周囲の町を見て、「死の町」のように感じたのは、もっともなことだろう。原子力発電を国の政策として、強引に推し進めてきた経産省のトップをして、そのように感じさせるほどに、原発の事故は、過酷なものだと云うことだ、と思う。

経産大臣として、「死の町」発言を謝罪するのなら、次のように云うべきだと思う。

原発の事故が、このような、私をして、「死の町」と感じるような状況を生み出した。原発を推進してきた、経済産業省のトップとして、このような「死の町」を生み出す危険のある、原子力発電から撤退するよう、最大限の努力をする、と。

ではないでしょうか。

 

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検出せず

2011-08-14 06:07:04 | 食、農への思い

8月13日(土)   ときどき 

一日何もせずに過ごしてしまった。出荷の日なので、皆さんに読んでもらう資料作りを始める。

県農林水産部が、米の放射性物質調査の結果を発表した。ニュースでも報じられたし、新聞も一斉に報道した。(千葉の早場米「不検出」)と。当市も、7地区のの水田から、玄米を再採取して分析が行われていた。

早春の田んぼの準備、苗作り、田植、草刈や水の管理など、半年も気をもみ、育ててきた米が、どうなるのかと、不安な気持ちで、結果を待った農家は、ひとまずは、胸をなでおろした。そして、一昨日、昨日と、黄金色の水田では、早生の収穫が始まっている。早稲の栽培は、それほど多くはないが、各地区で、数台のコンバインが、猛暑の陽の下、エンジン音を響かせていた。稲刈の始まりである。

3月11日の原発の事故は、大量の放射性物質をまきちらし、風に乗り、広く、東北、関東の地を汚染した。濃度の違いはあるが、東日本の全域を汚してしまった。何年も人が住むことのできない地域を作り、農作物を栽培できない地域を作り、農作物を汚染させた。稲藁を汚染し、それを食べた牛は、被爆した。東日本の水田は、果たしてどの位の汚染なのか、我が地区の、田んぼはどうなんだろう。生産者は皆不安を持って、イネの生育を見守るしかなかった。

九州に次ぐ、早場米地域の房総南部で、とりあえずは、放射性セシウムは、検出されなかった。(20ベクレル/㎏以上検出されることはなかった、ということだろうが)

しかし、ちょっとした風向きの偶然により、ひどく汚染された地域があります。そんな地域では、栽培すらできず、汚染された作物を廃棄せざるを得ません。それを思うと、複雑な気持ちです。

  

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収穫の不安

2011-07-24 18:30:09 | 食、農への思い

7月24日(日)  ときどき 

共同作業。水田の維持管理のための水路、農道、堰土手の草刈。

ほとんどの田んぼが、稲穂の海となり、一月もすると、収穫である。早稲品種で、早いものは、8月の10日ころには刈り取りとなるだろう。だから、一休みの時の話題は、放射能汚染になる。この間、事故原発から離れた、広範囲の水田の、稲藁の汚染が報道されている。米作りをしている農業者にとって、稲藁が汚染されたと云う事実は、他の汚染とはまた違い、自分たちのより身近な汚染と感じることになる。収穫期が近づいた、俺の田んぼはどうなのだろう。イネに放射能は降ってきていないのか。これから、穂に養分が送られ、米として実って行く。その米に放射能は吸収されないのだろうか。

遠く離れた、神奈川や静岡のお茶が汚染されたと、報道されている。千葉県で、すぐ近くの勝浦でもお茶の汚染があった。

我々の地域はどうなのだろう。そんな不安が、ちょっとばかり意識の隅にある。大丈夫に決まっているさ、とは思うが、ちょっと心配だ。そんな気持ちがあるから、皆が集まると、その話題となる。心配を打ち消したい。大丈夫だと云う確信が欲しい。話題にし、話し合うことで、不安は少し和らぐ。避難を強いられるような、おおきな被害を受けている人には悪いが、こんな不安を持たされるのも、被害と言えないことはない。原子力という、人間の制御能力を大きく超えた危険を使うことの被害はの現実だろう。

そして、その被害を受ける我々も、原子力を使うことを容認し、その「恩恵」を受けて生活してきたこと、生活していることは、政府や、東電と同じ側にいる、加害者でもあると、云えるだろう。

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汚染地図

2011-07-23 19:11:28 | 食、農への思い

7月23日(土)  いちじ 

連れ合いは、昼前から、患者会関連のイベントに出かける。久しぶりに、朝から出荷作業。午前中には終わらせ、午後は箱閉めだけにして、昼食。さあ!と勇んで作業場に行ったら、ミョウガが、デーンと鎮座していた。近所の人が、持ってきてくれたのだ。以前にも頼んだことがあるので、今日が出荷の人知って、持ってきてくれたのだ。計量して箱に詰め、伝票のうち直し。予定がくるってしまったが、旬のミョウガ、送れて良かった。

昨日の新聞。特集欄に、放射能汚染のルート図が特集されていた。火山学が専門の、群馬大学教育学部の早川由紀夫教授によるものだと云う。火山の噴火で吐き出される火山灰の分布を、応用したものだと云う。記事を読んだ後で、早川氏が、インターネットで公表している、というので調べてみる。かなり早い時期から、公表していたらしいが、こう云う情報は、自ら求めないと、なかなか伝わってはこない。

最近、問題となった、牛が汚染された稲藁を食べさせられ、内部被ばくをしてしまい、その肉が、人の食料として、汚染食品として流通したこと。その汚染された稲藁は、政府や、東電の云う、「危険地帯」に指定されていない地域で採集されたものだった。広範囲にわたる、放射能汚染を心配し、あるいは、その危険性を、指摘していた、多くの人たちに対して、安全を主張し続けた、政府、東電。

たとえば、この早川氏の、訴えに少しでも、注意をしていれば、肉牛を内部被曝させないで済んだ可能性は、かなり大きいはずだ。

今、政府や、東電、そしてその下で庇護されている学者、識者たちの発表、発言は、信じることはできない。マスコミの報道も、公式的なものは、すべて、疑ってかかるべきだ。唯、政府、東電に批判的な報道から、自らの感で、真実に近いものをかぎ分け、自分から、正しい情報をつかみ取って行かなければ、この事態に、対処できないと思う。

ちなみに、早川氏のブログのアドレスは、下記です。

http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-date-201107.html

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農政

2011-06-17 20:49:18 | 食、農への思い

6月17日(金)  のち 

夜間は、ある程度の雨量を記録したようだ。明るくなると、雨は小降りになり、霧雨か、断続的なパラパラ雨となる。午前中いっぱいはそんなだったが、午後は、曇りとなり、薄日が出ることもあり、蒸し暑くなった。

午前中は、収穫してあったジャガイモや、ニンニクなどの整理。午後は、田んぼの法面の草刈。刈払機で、2時間ほどの作業だったが、汗びっしょりになる。早めに切り上げて、夕方は、農協。戸別所得補償の申請と、環境保全型農業直接支援対策についての説明を聞きに行く。

戸別所得保障の申請受け付けの為、市の農産係と、農政局農政事務所から、係員が来ている。市の窓口では覚束ないからと、農政事務所の係員に連絡を取ってから出かける。基本的なことは話し合えるが、具体的には、市の窓口に書類を出してから、はじめて動き出すことになるという。この制度、販売を目的とした農業で、化学肥料や化学合成農薬を半減させることと、一定の農法(カバークロップ、リビングマルチ、草生栽培、冬期湛水)を組み合わせて実施するか、有機農業に取り組むかした場合、年に、10a当たり8000円を支援するという制度だ。その8000円のうち4000円を国、2000円を県、2000円を市町村が負担することとなる。国としては、すでに予算を取り、県に下ろしており、県もパンフレットは作り、市町村には下ろしている、しかし、私の住む市では、制度は知っている程度の話だ。

市の係との話で分かったことは、現在までの所、申請は出ていない。申請があるだろうとは、想定していなかったらしい(これは想像)。申請があれば、それから、補正予算を組むことになるということ。もし、申請者が私だけなら、私一人の為に、そのための業務や、金額にしては大した金額でなくとも、補正予算を組まなければならないなど、大変ですね、と云うような話になる。県の農林部の、地域農業事務所にも、電話をしてみる。

私たちの住む、「安房地域」では、申請は出ていないという。ただ、隣の市で、検討中の動きがあるという。それは、旧村の有機農業グループの人たちらしい。

これを見てわかることは、国が決めた政策を、一方的に地方に下ろすというやり方が、全く変わっていないということ。地方にとっては、2000円用意しろと突然言われて困ることぐらい。この制度を、積極的に広めようとするかしないかは、係の担当者が、関心を持つか否かに、かかっている。もっといえば、その地域の農業者に、関心を持つものがいて、役所への申請という、事務処理の労をいとわないかどうかにかかっている、といっても過言ではないだろう。

農政。日本の農業がどうなるかは、こんな偶然にも左右されるのだろう。

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放射性物質

2011-04-23 19:42:39 | 食、農への思い

4月23日(土)   いちじ 

大降りにはならないが、ほぼ一日降り続く。南風も強く、暖かい雨だ。雨不足だった、田畑には、よい雨で、野菜も一息つき、田んぼの水も少しは潤ってきた。しかし、喜んでばかりはいられない。いや、危険な雨となる可能性もある。ミカンを栽培している友人から、情報が届いた。甘夏ミカンを、社会福祉協議会に、寄付したそうだ。社協では、福祉施設等で、加工食品にするという。福島の原発事故ゆえに、放射能の測定を依頼した。その分析結果をもらったからと、見せてくれた。

4月の初めに収穫した、甘夏の皮と実それぞれの分析結果です。この数値が、多いのか少ないのか、危険な数値なのか、安全かどうか等は、ここに判断するしかないでしょう。ちなみに、食品安全委員会による暫定規制値は、下記になります。

福島の原発事故の以前は、どんな数値だったのか分かりませんが、250km以上も離れた、私たちの所まで、確実に飛散してきているのは、事実でしょう。そして、この分析は、甘夏ミカンのものですが、福島原発から飛散してきたものだとすると、この地域全体に、同レベルの汚染はあるでしょう。畑の野菜や、ニワトリたちに与える緑餌も、多かれ少なかれ、似たような、数値が検出されるのでしょう。

あわてたり、極端に不安がる必要はないと、思います。しかし、現実がどうなのかは、きちんと把握して、自分なりの、しっかりした判断基準を作っておく必要はあると思います。

今日の作業。 一日田んぼ仕事。田んぼを回り、水の排水口(水手)を見て回り、水位の調整をする。代かき。50a強、8枚。

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25年

2011-04-03 13:39:44 | 食、農への思い

4月3日(日) 

突然ですが、25年前に、私が書いたものです。確か、「自然食通信」という雑誌だったと思います。

はるか、、8000kmも離れた所から、、、、、、、。

そして今、わずか、250km今日の所で。

違いは、爆発によって、空高く吹き揚げられなかっただけです。規模からいったら、今回の方が、はるかに大きく、深刻です。そして、25年、四半世紀も過ぎているのです。この長大な時間の経過は、何だったのでしょう。

記事画像をクリックして、拡大すれば、読めると思います。

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21世紀

2010-12-06 18:45:49 | 食、農への思い

12月6日(月) 

ヤマイモ収穫。収穫終わり。  納屋建築。吊扉作成。3枚とも、枠組みを完成させる。トタン張は後日にし、吊り下げる。外壁のトタンを張る前に、吊戸のレールの部分に、トタンで、ボックス(カーテンボックスのような)を作る必要があり、先に吊り込むことにした。

2000年の夏、大の親友との別れ。そして、秋、高木仁三郎さんとも別れた。(偲ぶ会に記してあるように) 20世紀最後の年は、私にとって、二人の大事な人を亡くした年だった。それから、もう10年。あっという間に過ぎてしまった。21世紀もその十分の一を過ごしてしまったのだ。ただ、毎日毎日を、漫然と同じように過ごしてしまっていたようだ。

この10年は、父の死、義兄、義弟の死と、無くすものが多かった。私自身も、50歳代の後半に、自身の健康の考え方に、大きな変化をもたらされた。それは、生きること、生活することの、軌道修正と云うようなことでもあった。行き当たりばったり的な、その時よければよい的な生き方の変更だった。その時を、精いっぱい生きていればよいと云う考え方の変更であった。が、だからと云ってどういうことなのかは、まだ、はっきり言えない。そんな形で、もう数年生きている。

これから、どれ位、農業を続けられるのか、今のままでよいのか、そのあたりを、少し考えて行かなければならない。そのためには、やはり、なぜ、農業だったのか、原点を振り返ってみなければ。

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