畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

初霜

2010-12-05 18:19:25 | 食、農への思い

12月5日(日)  

温かい晴天。風も弱い。納屋建築と、ヤマイモの収穫。

朝の犬の散歩から帰った連れ合い。「初霜だよ」。ごく薄っすらとだが、刈り草や、田んぼの稲藁が白んでいたという。かなり遅い初霜だと思う。ヤマイモも、何度も霜にあたるようだと、悪くなる。急いで、収穫しなければと、出かけた次第。後、種にしようと思っている、ショウガも、掘り取って、サツマイモと同じに、深く貯蔵しなければ。

夢を見た。久しぶりで、友人と会い、なにやかやと話している。場所はどこか分からないが、畑だったり、会社の事務所だったり、背景は、列車の窓の風景のように流れている。何を話していたのか覚えてはいないが、取りとめのないことをただ話している。

彼は、大学入学以来の友人で、以来の親友だった。学生時代も、多くの時間と、空間を共有した。アルバイトの延長から、その会社に就職することになったが、それも一緒だった。一年ほどで、部署は別になったが、100名足らずの小さな会社ゆえ、何かあると、一緒に飲みに行ったり、話したりは続く。労働組合のなかった会社で、私たちは中心になり、組合を作り、その活動も、ともにやった。私が、会社を辞め、移住することになる、一年ほど前に、彼は、先に会社を辞めることになった。その後は、お互い、生きる場所は、別々になってはいったが、親友であることに、変わりはなかった。

2000年夏。訃報を聞いた。それも、ニュースを聞いていた友人からの電話だった。アルプスで滑落した、登山者の名前、彼の名前のようだった。即、電話をかける。電話口に出たのは、義姉だった。滑落死をしたのは、彼だった。告別式では、別れの言葉も、声にならないほどの、号泣で、別れた。滑落死ゆえに、最後の別れも、棺の上に飾られた、生前の写真だった。

その彼と、何年振りかで、再会していた。何かのお告げだろうか? 

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偲ぶ会

2010-10-10 16:53:18 | 食、農への思い
10月10日  のち 

豪雨だった。朝には、時間20㎜を超える雨が二時間も続いた。昼過ぎには、小雨から、霧雨状に変わるが、降り続いた雨は、総雨量で150㎜ほどになる。カラカラ天気と、豪雨と、緩やかな、日本的天気は、遠ざかって行くようだ。
午後、雨上がりころに、母を退院させてくる。再び、日常に戻るが、どちらが楽だろう。

昨日、偲ぶ会。
もう10年になる。私たちが、移住し、農業を始めるきっかけになった、仲間の一人、「仁」さんがなくなったのは、2000年の10月だった。そして、昨日10月9日は、東京で、10年の大きな集まりがあった。土曜日は、我々は、外せない出荷の日。
連れ合いにとっては、同じ職場の、「職員反戦」の仲間として、60年代末からの付き合い。私は、「全共闘」の学生としてだが、同じ空間で、かかわり合っていた。
その後、私たちは結婚して、一人娘も生まれたが、それぞれに、あるいはともに、社会的な運動には係わっていた。自然の問題、農業の問題もそんな中にあり、私たちの生き方も、いろいろと話し合った。
そして、70年代後半、「仁」さん夫妻をはじめ、仲間の数家族と共同で、里山の森林を購入。プレハブ小屋を立て、年に何回も通い、ほんのささやかな自然の中での生活を体験してきた。味噌作り、餅搗き、シイタケ栽培、炭焼など、里山の、自然をごく一部だが取り入れる、疑似生活を、楽しんだ。その場は、我が家から、10分ほど歩く所の、原点だ。
5~6年続いた疑似生活。私たちは、都会の生活の方を切り捨てることに決めた。そして、1983年に、移住した。
「仁」さんを始め、仲間に支えられ、私たちは、少しづつ、農業での生活を作ってきた。ようやく、私たちの生活も、安定してきたころ、「仁」さんに癌が発見された。手術をし、その療養のためにもと、「仁」さん夫妻は、原点であった場所に、家を新築した。2000年夏、その別荘で、少しはゆっくり過ごせたのだろうか。そして、秋だった。(その年、8月には、私の学生時代からの親友が、夏山で、滑落。告別式では、別れの言葉も出せないほどに、大泣きして、送ったばかりだった。)
そして、翌、5月には、隣町に移住していて、私たちと、ミカン山を一緒にやっていた、Mさんを、癌で送った。
Mさんの夫、友人。ともに、「仁」さんともかかわりがあった。そんな地元の友人たちとの、偲ぶ会だった。

すでに彼岸は過ぎて、今や花も終わってしまったが。

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コオロギ

2010-10-09 17:47:33 | 食、農への思い
10月9日(土) 

しとしと雨は、朝、早くから降り始める。
畑作業ができそうもないので、出荷を手伝う。たまたま、休みの人も多く、野菜も少ない端境期。午前中には、箱詰めも終わる。雨も、午後には強まり、傘をさして移動するにも、袖口や、ズボンも少し濡れるほどに、降ってくる。
夏の間、太陽熱処理をしておいたハウス。定植した、キュウリ、インゲンは、虫の害も少なく、きれいに、元気に育っている。しかし、種まきをした、チョウホウナ、カブ、ホウレンソウ。発芽をして、双葉を出すまでは良かったが、以後、毎日、少しづつ少なくなっている。最初のうちは、いっせいに発芽したわけでもないので、発芽がそろわないな、ぐらいに思っていた。が、どうもおかしいと、膝をつき、地面に顔を付けるようにして(老眼の域に達したので)、よく見てみる。双葉を切り取られた直後の、小さな茎が、かすかに、命水を絞り出すように直立しているのが、目に入る。これから本葉を出し、生育しようと云う前途を無残に断たれた姿。もう再生することはない。
コオロギだ。バッタや、ツユムシの類もいるだろう。この連中は、ハウス内はもちろん、ハウスの周りの草むらに、当たり前にいる連中だ。青虫や夜盗虫などのように、野菜の害虫とは断定できない連中だ。しかし、いわゆる草も含め、生きた植物がない状態のときに、発芽したばかりの、小さな植物の命の狩人にはなれる連中だ。だから、ハウス内では、播種する野菜を育てるときは、おおいな被害をもたらす、そんな害虫になる。
「虫聞き」とは、昔の貴族たちの、優雅な遊びだったそうだ。そして、今も、秋の虫たちのきれいな音色は、多くの人たちを楽しますだろうし、虫たちの音色は、自然の豊かさの、バロメーターでもあるだろう。松虫の(チンチロリン)、轡虫の(ガチャガチャ)、鈴虫の(リーンリーン)、馬追の(スイ―ッチョン)、そして、(コロコロ)は蟋蟀=こおろぎだ。
立場によって、場合によって、こうした虫たちも、害虫になることもある。
ある意味、農業とは、いやな職業でもある。

これから、何人か集まり、しのぶ会だ。
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食べること

2010-05-10 21:44:02 | 食、農への思い
5月10日(月)  いちじ 

千葉市で、料理屋「優」をやっている、Iさんたちが、3人で、訪ねてくれた。一年ちょっと振り。野菜の話をしながら、一休み。
ヒヨコ、(と云っても、もう二カ月もたってしまったので、かなり、ニワトリに近くなっているが)をみてもらい、畑に出かける。ちょうどよいタイミングで、ソラマメの収穫が始まったところ。御土産がてらに、取ってもらう。葉物と、これからの夏野菜の植付中の畑に回り、帰ってくると、早、5時近く。しばらく、話して、もう帰ることに。
前日の、夜遅くまでの営業。そして、明日も営業日。そんな中、わざに来てくれた。短い時間だが、我が家の、野菜を使い、食べてくれる人たちと、直接、話せてよかった。

彼らのような、若い世代の人たちが、食べることに、真剣に向き合ってくれていて、私たちも、作りがいがある。
食べることが好きで、しかも食べることを大事にする。
食べることが好きなだけなら、いわゆる、グルメブーム。おいしいものを求めて、希少なものを求めて、高価なものを求めて、喰いあさる。食べることを大事にするのは良いが、安全なもの、身体に良いものを追いかけ、味覚を殺して、健康食。
こんな食べ方、両方とも、どうでもよい。ご勝手に。
食べることは好き、そして大事なこと。この二つの芯から、食べることを作る。それが、人が、身体と、心で、食べること。食べることを喜び、喜んで食べることだと、思う。
彼らと別れ、彼らと話したことを、思いつつ、こんな、禅問答のようなことを、綴ってしまった。
如何に。
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道の駅

2009-11-14 18:30:55 | 食、農への思い
11月14日(土) 

前に、道の駅のことを書いた。農家の人たちが、野菜などを販売する、地元の農産物のコーナーは、どこにもある。それ以外にも、農産物直売所などが、あちこちで、人気があるようだ。これらの、農産物のことを、考えてみたい。
農産物の直売所は、それを運営している会や、個人の考え方が、農産物にも反映されている。並べてある農産物などの、説明を見れば、大体は判る。
道の駅とか、観光客相手の物産館なども、運営方針がはっきりしていれば、農産物の素性も、ある程度は、信用できる。しかし、中には、販売だけを目的とするようなところもある。山間の温泉などに行ったときに、地元農産物と云って販売している所で、輸入農産物を見ることもある。たとえば、ゴマや、雑穀類など、ラベルの隅に小さく、原産国が書かれていることもある。また、全く表示のないものもある。蕎麦などでも、粉の産地が分からないものなど、少なくない。
さて、地元の農家の新鮮野菜だが。これも少し疑った方が良い。産地は、大丈夫。地元である。問題は、どう作られたかである。
最近は、農協や、市場への出荷に関しては、生産履歴について、かなり厳しくなっている。特に、産地物は競争もあり、農薬の使用などは、かなり厳しくなっているようだ。
新鮮野菜コーナーは、どうだろう。ここにも、生産履歴等をきちんと管理している生産者もいる。と同時に、その辺のことにあまり関心のない生産者もいる。そして、大量に生産することなく、販売する農家同士の競争もある。見た目のきれいさは、「大事な」判断材料。少しでも虫に食われないように、神経を使う。そうした時に、ちょっと余計に、農薬を使いすぎる、と云うことはないだろうか。
自家用だけで、野菜を作っていたときは、わざわざ、農薬を買う必要はなかった。しかし、自分の野菜が、他の農家と一緒に、並ぶとなると、どうだろう。
道の駅や、物産館が、生産者の元気を、刺激する面はある。同時に、こうした矛盾も生み出すと思う。

雨なので、出荷作業。早めに終わり、のんびりしていた。レンコン団子を作る。これから、油で揚げて、一杯飲むのだ。
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研修

2009-08-19 19:29:02 | 食、農への思い
8月19日(水)  ときどき 

水曜日なのに、連れ合いは朝から出かけて、出荷作業を担当することに。有機農産物の認証調査員の研修だそうな。年に一度は研修をするように、農水省からのお達しがあるそうだ。
日本で、有機農産物の認証制度が導入されるとき、実際に、有機農業をやっている農業者が、認証にかかわっていないと、よくないだろうと思った。それで、連れ合いに、調査員の研修を受けないか進めた。有機農業研究会の会員が中心となる、認証団体なので、研修を受けておいた方が良いとの判断だった。
しかし、現実には、農水省が、役人的感覚と、官僚的事務作業を多く取り入れた、認証方式になり、実際の面白さは、あまりないようになっている。現場からの声や意見も、成立過程では、かなり主張してはいた。しかし、消費者が、購入する農産物が、有機農産物であることを、証明することになるのだから、かなり厳格な、○×方式になるのは、いたしかたない。使ってよい資材や肥料。慣行農業ほ場との位置関係。生産された、農産物の量的管理、使用シールの管理。細かい生産記録など。
実際の生産の現場より、その周辺の煩雑さが際立つような、認証制度だと思うが、農産物が、第三者を介する、流通に組み込まれる以上、しようがないのだろう。とりわけ、この間の、食品の流通に見られる、偽装や、虚偽が、当たり前のようになっているからには。
そんな調査員の研修。それが少しは、わが家の農業のプラスになってくれればよいのだが。
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補助金

2009-01-26 19:57:31 | 食、農への思い
1月26日(月) 

昼からは、歯科医。通い始めて、2ヶ月になる。しかし、やっと6回目。本格的な治療に入った。それにしても、時間がかかる。予約患者が多い、ということだろう。今の、治療法は、昔とかなり変わったようだ。極力、抜歯はしないのだという。痛かった歯を、やっと抜いた。3本抜いたが、抜いた後を、縫うのにも、驚いた。まだまだ、当分かかりそう。
ところで、農村集落の共同作業。このところ、多くなっている。それは、国からの、補助金が来るからだ。以前にふれたこともある。棚田を筆頭に、山間の農地の保全を対象に、中山間地と認定された、農地の耕作、農地維持のための共同作業に対する、補助金。
昨日の、水路掃除も、そうである。農地、水、環境保全事業を対象に、土地改良区に、支給される補助金だ。
農家、あるいは、農村の団体にとっては、ありがたいことだ。しかし、こうした補助金は、今、問題になっている、公務員の天下り先の、政府の法人の事業である。実際に、現場に使われるより、かなりの額の不必要な予算も使われているのだろう。
矛盾を感じる。

久しぶりに、鶏舎作りを再開。
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産業廃棄物

2009-01-20 18:40:03 | 食、農への思い
1月20日(火) 

朝は冷え込みもなく、それほど寒くはない。しかし、一日中、どんよりとした曇り空。気温は上がらず、寒い日だった。暦によると、大寒。それらしい日だった。
借りているハウスの、使用していない方の天井のポリが、破れてしまった。このままにしておくと、風の強い日に、バタバタして、ハウスを傷めかねない。止めている金具を外し、ポリシートを撤去する。使用済みのポリ、農業の産業廃棄物だ。農協で、回収するので、たたんで持ち帰る。
今の農業、どうしてもいろいろの資材を使う。野菜の育苗には、ポリポット類。稲はプラスチックの育苗箱。ハウスやトンネルの被覆資材。マルチシート等々。極力、害の少ないような資材を使うようにしているが。例えば、ビニールよりポリと云うように。しかし、その種類や、量は、私たちの様な、零細農家でも、かなりの量になる。
このところ、ハウスやトンネルの被覆資材の、ビニールやポリ、マルチフィルムは回収するようになって、助かっている。
しかし、それ以外の資材の使えなくなったものは、ゴミとして、回収してもらうしかない。
悩ましい限りだが、今は、そうせざるを得ない。

午後は、田んぼの畔の草刈り。枯れている草を刈り、後日、草燃しをして、田んぼの準備に入る。
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落ちない為に

2008-12-20 19:42:07 | 食、農への思い
12月20日  のち  のち 

早朝は雨が降る。何時頃から降り始めたのか分からないが、2~3㎜は降っただろうか。そして、暖かだった。本当に12月なんだろうか。今年も、もう、カウントダウンするほどになったと云うのに。
二人で、出荷作業。ベーコンも作っているので。夕方、一時間ほどは、草刈りに。

私たちは、一軒の農家として、個々のご家庭、飲食店の皆さんと、一対一の関係で、農産物を使ってもらっている。それが、もっとも、偽装に至らない関係だと思うからだ。お付き合いいただいている皆さんとは、いまだ、お会いしていない方も、少なくはない。しかし、少なくとも、何回かは、直接、お話をしていると思う。また、何らかの形で、お便りのやり取りもある。それらを、総じて、「顔の見える関係」といってよいだろう。
私たちは、農業を始める前から、生産者と消費者の関係は、この「顔の見える関係」であるべきだと、思ってきた。
大きな組織に、野菜を供給する場合、どうしても、その組織に縛られる。また、不特定多数の消費者を対象にした場合、市場の常識に縛られる。そうすると、生産者自体の我儘が、通らなくなる可能性が出てくる。組織に供給しなくてはならない、という束縛。消費者に買ってもらわなくてはならない、という束縛。この束縛に、縛られると、足もとが危うくなり、落とし穴に落ちてしまうようになる、可能性が出てくる。
私と貴方という、一対一の関わりの場合は。よほどのことがない限り、対等でいられる。作っている野菜が、うまくいかなかった場合でも、「すみませんが、キャベツの時期ですが、お送りすることができません」と、云える関係を、続けることができる。偽装に至らない、最大の方法だ。
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続 落し穴

2008-12-19 20:06:03 | 食、農への思い
12月19日  いちじ 

昨日ほどではないが、暖かい。午前中は、歯科通のため、半端なので、出荷準備。
午後、草刈り。五時のチャイムが鳴るまで、疲れた。なんとなくだが、夕方の明るさが、少し長くなったよう。
昨日は、途中でサッカーの中継を見て、お酒も手伝って、中途半端だった。

再び、厨房で、
仕入れ担当 「料理長! 前沢牛が、欠品になったと連絡です。」
料理長   「こんな時のために、二店と付き合っているんだ。こんだ肉店から入れろ。」
仕入れ担当 「こんだ肉店にも、前沢は回ってこないそうです。」
料理長   「しょうがない、他をあたって、何とかしろ。」
仕入れ担当 「だめです。どこにも、前沢はありません。産地で何かあって、物が回っていないようです。」
料理長   「うーん? 店を閉めるか。」
店長    「だめですよ。予約が、5組も入っているんです。それに、オーナーやホテル側に何と云うんです。」
料理長   「しかし、物がなければ、料理は出せないじゃないか。」
仕入れ担当 「料理長、それほど変わらない代品は、納入できると云っています。」
料理長   「しかし、それでは、看板と、、、、」
店長    「緊急事態です。この際、一度くらいは、、、、」
仕入れ担当 「そうですよ。料理長の腕なら、大丈夫です。」
料理長   「仕方ない。」(予約のお得意には、俺から一事云うか)
           落ちた。

料理長   「いらっしゃいませ。」
客 その一 「おっ、料理長。ごちそうになっているよ。まったく旨い。」
客 その二 「本当だ。久しぶりなので、きょうは、ことさら旨いよ。」
料理長   「、、、、 ありがとうございます。ごゆっくり。」
          完全に、落ちてしまった。

私は、この落し穴が、最も怖いと思っています。そしてこの穴に、一度落ちてしまうと、もう、慣れっこになってしまうと思う。二度目は、少しは抵抗が。その抵抗は、どんどん弱まり。最後は、嘘に麻痺してしまい、なにも感じなくなってしまう。
どうすれば、なにが、そうならない防波堤になるのだろう。
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