土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

悟り刹那の釈迦如来か、名像の蟹満寺を訪ねました。

2010年11月24日 | 京都の古寺巡り


(2010.11.20 訪問)
R24へ戻り北進、井手町の少し手前木津川に入る小さな川沿い東に2~3km、蟹満
寺は在ります。

[ 蟹満寺 ] かにまんじ
山号 普門山(ふもんざん)
寺名 蟹満寺
宗派 真言宗智山派
本尊 釈迦如来坐像(国宝) 白鳳~天平初期 銅造 像高240cm

蟹満寺縁起
この地一帯は「狛」の地名が残り、古代には蟹幡郷と云う美称を持つ地で幡=織
物を業とする渡来系氏族が住んでいたと云われ、白鳳時代にその氏族によって創
建されたらしい氏寺と考えられているそうです。蟹満寺発掘調査の結果は相当大
きな寺院があったのではと推測されているそうです。
蟹満寺を有名にしている説話に平安時代の説話集今昔物語の「蟹の恩返し伝説」
があり寺名とも関係していると云います。説話の絵解きが額装され本堂内に飾ら
れています。御住職の滔々とした声でマイクを通して説話を聞くことが出来ます。

●寺名石標。



●本堂偏額。



●本堂。
本尊 釈迦如来坐像(国宝)。像高240cm、重さ2tの金銅像。
今年4月改築されて落慶法要が営まれたまっさらピッカピかの本堂です。



真新しい本堂中央須弥壇に国宝釈迦如来坐像がどっしり。造像は白鳳後期から平
城遷都前後の作といわれており、金銅仏としては時代的に前期黄金時代の造像と
云ってもよいのではないでしょうか。ただこのお像の由緒縁起は諸説があり定か
ではないと云います。今は古色蒼然、黒光りしていますが、おそらく当初は金色
燦然と鍍金されており仏師の精魂込めた情熱とエネルギーが拝する人々の心に熱
く伝わったのではないでしょうか。これ程のお像が山城の国に居られるというこ
とにはじめ驚きましたが、よく考えてみればお寺から南へ木津川を渡ればそこは
南都平城京。少し下がれば藤原京、大伽藍が覇を競い仏教文化の華が咲き競う絢
爛の地であることを思えば宜なるかなです。

数年前に描いたペン画、釈迦如来坐像のお顔です。



今の蟹満寺の境内は相当狭く、堂宇も本堂のみと云っていいと思いますが、国宝
釈迦如来坐像に拝するだけでもこのお寺の訪ね甲斐がありました。

山背古道巡り お・し・ま・い

役行者の足跡はこんなところまで。神童寺を訪ねました。

2010年11月24日 | 京都の古寺巡り


(2010.11.20 訪問)
海住山寺からR163へ戻りR24へ向かいます。例のひどい道とは大違いでクルマは
スイスイ、土曜日というのにどうしたことでしょう。神童寺への道は茶畑が点在
し、クルマも人も見えません。いい感じの道がつづきますが、お寺に近づくほど
怪しくなってきました。

[ 神童寺 ] じんどうじ
山号 北吉野山(きたよしのさん)
寺号 神童寺
開基 聖徳太子  
宗派 真言宗智山派
本尊 蔵王権現

神童寺縁起
寺伝によると聖徳太子開基寺院の一つと伝えられ、その後吉野山と密接な関係を
持つ修験道の霊地となり、役行者が修行中神童二人の助けを得て金剛蔵王権現を
感得し、刻したと云うことから神童寺と呼称されるようになったそうです。

●山門。この山門は、興福寺一乗院からの移築で、屋根大棟両端の鴟尾が鯱です。
珍しい例だそうです。山門下に立ったときの期待感ワクワクだったのですが…。



●寺石標。名のある書家の墨跡か、落款も朱が。



●本堂。(重文)
本尊 蔵王権現立像。(重文)
1406年建立。山門をくぐるとすぐ本堂です。境内は狭く、往時の寺勢を感じるこ
とは出来ません。重文指定の仏像が多数おられるそうですが、先客グループがお
寺の方の案内で説明を受けていましたので、ボクは今回パスしました。



●本堂横の大銀杏。境内の紅葉はまだまだ、唯一この銀杏がこのお寺の秋を主張
しているようす。



●十三重石塔。本堂横に立つ鎌倉時代の石塔です。



●鐘楼。本堂からは高台になっている地に、鐘楼と宝物館が建っています。



●護摩壇。鐘楼と宝物館に挟まれ、最近護摩行が行われたみたいです。



山門石段下がすぐ道ですが、これまた狭く、行交いもままならず近くに駐車スペ
ースはありません。ズル駐車をしていたので、早々に神童寺を辞し白鳳のお釈迦
様に会いに行きます。