(2012.04.07訪問)
山門へ向かう参道の白壁築地塀、懐かしいなぁ。
またまた、数十年前、はじめて呉服商社のポスター制作で勧修寺でロケをさせていただきました。玉石まじ
りの砂利道をモデルさん二人が付け下げ姿でそぞろ歩き。砂利を踏む草履の音も和の響き、薄汚れた白壁塀
に映る二人の影、美しいですね~、ジャパネスクですね~、カメラはボクではありませんよ、当然プロです。
しかし今日、ちょっと感じが違うんです。白壁塀しっくい塗り替えで綺麗すぎ、砂利道はアスファルト舗装
で綺麗すぎ、塀瓦は乗せ替えで綺麗すぎ。数十年の時代差はこんなもんなのか夢の跡、ちょっとガッカリで
す。しかし、よくよく考えると、あの仕事実にくさいシチュエーションですね、今じゃプレゼン絶対にパス
しませんワ。
[ 勧修寺 ]
●山号 亀甲山(きっこうさん)
●寺号 勧修寺(かじゅうじ)
●宗派 真言宗山階派大本山
●開基 醍醐天皇
●開山 承俊上人
●開創 昌泰3年(900年)
●本尊 千手観音菩薩
勧修寺縁起
昌泰3年(900年)、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺
内大臣と称していたことから、勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く
維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十六世として入山以来、宮門跡寺院となる。その後応仁の
乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興された。
▼参道沿いの白壁築地塀。
▼塀から覗く桜も4~5分というところでしょうか。
▼山門。
▼大玄関。
▼大玄関前の植栽小島で強烈に主張するボケの花。
▼庭園への門です。
▼宸殿。
桁行6間、入母屋造、瓦葺、正面2間の向背付き。内部は書院造。
元禄10年(1697年)明正天皇御所旧殿を下賜された建物。
▼宸殿扁額。明正殿と揮毫されています。
▼ハイビャクシン。
樹齢750年といわれている檜科の常緑灌木で地を這うように生えている変な樹。広い面積ですが1本の樹です。
▼勧修寺型燈籠。ユニークな形の燈籠。水戸光圀寄進と云われているそうです。
▼庭園広場には桜が結構植わってますが、まだまだ4~5分くらいでしょうか。
▼庭園から宸殿。
▼観音堂。楼閣風の建物、大斐閣と呼ばれて昭和6年再建。
▼観音堂ご本尊。妙な色気のベッピン観音様です。
▼氷池園。
勧修寺氷池園と呼ばれる池泉回遊式庭園。平安期にはこの池にはる氷を宮中に献上したそうです。
▼氷池園から見る観音堂。
▼いましたよクロちゃん。ず~っと同じ姿勢です。
▼本堂。本尊 千手観音菩薩。室町時代。
桁行6間、入母屋造、檜皮葺、正面2間の向背付き。
皇居内侍殿の旧材を用いて、寛文12年(1672年)に潅頂道場として建築されたもの。
▼弘法大師修行像。
▼弁天堂。1間四方勾欄付宝形造。お厨子が閉まり弁天さんにはお会いできませんでした。
▼不動明王石像。脇侍は矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)。
▼氷池園越しの千年杉。京都庭園中最高の巨木だそうです。どうも枯れているようなんですが。
▼左の白ちゃんなにを狙っているんでしょう。
▼へんな燈籠です。いや、石のオブジェかな。
▼最後にもう一度、クロちゃん。
この勧修寺、かじゅうじと読める方はあまりいないでしょう。かじゅうじなんです。
宮門跡寺院としての格式は各お堂、境内やお庭を拝観していて十分に感じます。ただ、今のご住職が皇室の
ご出身かどうかは聞き漏らしました。
池泉回遊式庭園には鳥たちもよく来るそうで、この日相当ご年配の方が望遠カメラ三台である一点凝視、何
待っているのか訊くと「カワセミ」だそうです。
それでは心静まるお寺から、胸騒ぎのするキンピカのお寺へ。
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