![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/09/3591115f89d6142e30ebc4844d4869cc.jpg)
(2014.06.29訪問)
比叡山を西にいただく、坂本の地にある聖衆来迎寺を訪ねました。このお寺は信長の比叡山焼き討ちでの難
を免れたそうで、それ故に近江の正倉院と呼ばれ、結構な寺宝を多く残していると聞き、訪ねることにしま
した。
が、堂内拝観やお庭拝観は事前申し込みが必要で、「二~三日前に申し込んでください」との文が方丈玄関
口に掲示され、御朱印も書置きが置かれ日付記入用の筆ペンが用意されていました。
と云うことで、境内写真だけ撮らせていただいて、スゴスゴと帰ったことは云うまでもありません。
▼本堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/33/864039878bc148a7b42b946cba825fe2.jpg)
[ 聖衆来迎寺 ]
●山号 紫雲山(しうんざん)
●寺号 聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)
●開創 伝延暦九年(790年)
●開基 伝最澄
●中興 恵心僧都源信 長保三年(1001年)
●宗派 天台宗
●本尊 阿弥陀如来
▲滋賀県大津市比叡辻2-4-17 TEL.077-578-0222
▲拝観料 境内自由 御朱印300円 本堂客殿拝観は事前申し込み350円
▲拝観時間 9:00~15:00
▲JR湖西線「比叡山坂本」駅下車 徒歩約15分
京阪電車石山坂本線「坂本」駅下車 徒歩約20分
▼参道両側に続く穴太積石垣に白壁。
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聖衆来迎寺縁起(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
延暦九年(790年)に最澄が地蔵教院を建立して開基、長保三年(1001年)に、延暦寺の恵心僧都源信が紫
雲に乗じた弥陀聖衆の来迎を感得して「紫雲山(しうんざん)聖衆来迎寺」と定めたと伝えています。
十六世紀には坂本城主であった明智光秀をはじめ、丹羽長秀、豊臣秀吉などの庇護を受けました。
▼寺標。
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▼参道前の小さな石橋。
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▼参道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/15/aad3d6618c8832cc90235902ef5228d8.jpg)
▼表門。一間一戸、切り妻造、本瓦葺。坂本城の城門を移築。安土桃山時代建立。
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(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
表門は、明智光秀が築城した坂本城の城門を移築したとの寺伝がありましたが、平成二十一~二十三年に行
われた解体修理により、櫓門の二階部分を取り除き一階部分の上に本瓦葺の屋根を載せたと考えられること、
使われた工具の加工痕が坂本城築城の年代と一致すること、聖衆来迎寺と明智光秀との深い繋がりがあった
ことから、坂本城の城門を移築したことがほぼ明らかとなりました。滋賀県内では最古の城門の遺構であり、
また聖衆来迎寺の歴史的景観を構成する要素としても重要な建造物です。
▼境内。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8f/ab7bb166a58c8d72d0f0dcb5b0516cf9.jpg)
▼手水舎。入母屋造、桟瓦葺の豪華な手水舎。井戸から汲み上げで手水鉢へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/6a/25a174b42e83f4840afe72ab857079c0.jpg)
▼基壇上に建つ立派な鐘楼。桁裄、梁間一間、切妻造、本瓦葺。元禄六年(1693年)建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/3d/766781a76bb09e9250fcc6d372aae6aa.jpg)
▼本堂。桁行五間、梁間六間、寄せ棟造、桟瓦葺。本尊 阿弥陀如来。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b0/cd1d0dfec6d6af9bdb5493a20bed3e71.jpg)
(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
本堂は、寺蔵文書から寛文五年(1665年)に建立されたことが分かります。桁行五間、梁間六間の比較的
規模の大きな仏堂で、内部は内・外陣が前後に区分されていますが、内陣が正面側に突出部を持つ凸字形の
平面形式であり、近世に見られる凸型平面の天台宗仏堂の初期の本堂として貴重です。また内部は大虹梁を
縦横に架けて柱を省略して変化に富んだ構造を見ることができ、さらに全面に極彩色が施され、技法的にも
意匠的にも非常に質の高い建築です。
▼扁額と云うより奉納額かも、よく判りません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d1/4771496c8b23a1dc7a186fdd0d00d812.jpg)
▼本堂外縁。三方縁を木造と同形に花崗岩で作られています。こんな例があるんですね、とにかく凄い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4c/88b60f4b027f7e2cb24fbedb95553e01.jpg)
▼中央階段、外縁受け、周辺溝の縁石まで花崗岩。
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▼本堂屋根の鬼瓦。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/68/a80e289adc97455b75bd916ae6b1df9c.jpg)
▼客殿(重文)。桁裄十間、梁間六間、南面入母屋造、北面切妻造、杮葺。
内部は六室からなり書院、茶室付き。狩野探幽の障壁画で飾られているそうです。
寛永十六年(1639年)建造。
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▼客殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/76/847d17308cd0a1835484dec06977a68a.jpg)
▼開山堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。本尊 恵心僧都源信像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/b5/235071d78240b6ea5accc44f18dd67e9.jpg)
(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
寺蔵文書に寛永十五~十六年(1638~39年)に再興の記述があり、様式手法からもこの時の建立と考えら
れます。桁行三間、梁間三間で、小規模な仏堂ながら、内部を内外陣に建具で区分した、三間堂としては類
例の少ない平面の仏堂です。外観は柱が太く、軒は二軒繁垂木で軒の出が深く、正側面の中備に蟇股を備え、
さらに内陣は極彩色を施すなど、華やかで堂々とした、江戸時代初期を代表する優れた三間仏堂です。
▼開山堂。向拝軒お堂軒の蟇股のデザイン彫りが凝りに凝っています。全てが透かし彫りで鳥や草木が見事。
文だけでは判りませんよね、一転にわかの雨でウロウロ、写真撮り忘れました。
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▼森蘭丸の父、森可成(もりよしなり)の墓。この方のお墓がこのお寺に在ったお陰で、信長比叡山焼き討
ちでの難を免れたと云います。森可成は織田信長の家臣、織田軍と浅井朝倉軍との阪本合戦で討ち死した
武将。
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▼本坊。
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▼書院玄関前に放生池。
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▼御朱印です。御朱印は書置きで、朱印帳に貼り付けて撮ってます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/97/c63734b62a52ce79e7ba7f257be76921.jpg)
自分でも何回も書いてるんですが、事前調べやるべし、聞くべし、電話するべし。
またまた反省、アホですねまったく!
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