土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

壺阪寺、ご本尊十一面さんは「目の佛」。

2014年11月04日 | 奈良の古寺巡り



(2014.10.25訪問)


いよッ綾太郎!
♪妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~♪

お里澤市壺阪霊験記の名調子に乗って、迷車大和路号は高取山山腹を走っています。
目の病に効能新たか本尊十一面千手千眼観音菩薩に逢いに壺阪寺を目指しています。
壺阪寺、本名南法華寺、西国三十三カ所観音霊場第六番札所でもあります。数年前に一度訪ねたこのお寺、
めったやたらビッグ石像の多いお寺の印象、今回は、やっぱりビッグ石像の多いお寺でした。


▼天竺渡来大観音石像。




[ 壺阪寺 ]
●山号 壺阪山 (つぼさかやま)
●寺号 壺阪寺 (つぼさかでら) 正称 南法華寺 (みなみほっけじ)
●開基 伝 弁基上人 (べんきしょうにん)
●開創 伝 大宝三年 (703年)
●宗派 真言宗
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像
▲拝観料600円 朱印300円 駐車場500円
▲拝観時間 8:30~17:00
▲西国三十三カ所観音霊場第六番札所
▲http://www.tsubosaka1300.or.jp/
▲奈良県高市郡高取町壷阪3番地 Tel. 0744-52-2016
▲近鉄阿部野橋より吉野行き「壺阪山駅」下車(特急で約40分)バスまたはタクシー


▼大講堂。桁行十間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。平成十二年落慶の新しいお堂。
 駐車場直結の入山受付のスグ隣に建つ長~いお堂。




壺阪寺縁起 (壺阪寺HPより抄出)
創建は「南法花寺古老伝」によると、大宝三年(703年)元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行中、愛用の
水晶壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀ったのが始まりといわれる。その後、元正天皇に奏
じて御祈願寺となった。平安期、長谷寺とともに定額寺に列せられ霊験の寺として挙げられている。また、
藤原道長が寛弘四年(1007年)吉野参詣の途中に当寺に宿泊したという記録も残っている。この頃、子島
寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊
場信仰とともに大いに栄えていった。その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされ
た。しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退。
勢時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなっ
た。近世には豊臣秀長の家臣本多利久が高取城主となり、本多氏とその後の藩主植村氏の庇護を受け復興し
ていった。


         ▼寺標。





▼仁王門。三間一戸、十二脚門。両端に金剛力士が睥睨。建暦二年(1212年)建立。





▼金剛力士阿形さん。像高3.3m、木造。





▼金剛力士吽形さん。像高3.3m、木造。





▼手水舎。





         ▼多宝塔。本尊 大日如来坐像、平安時代造像。
          壷阪寺開創千三百年を迎えるにあたり発願、平成十四年落慶の新
          しい宝塔。





▼灌頂堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平成十七年落慶の新しいお堂。
 本尊 十一面千手観音菩薩、室町時代造像。 





▼灌頂堂内陣。中央須弥壇に本尊 十一面千手観音菩薩、右脇陣に豊臣秀長像、左に本多俊政 (利久息) 像。





▼高台の八角円堂 (本堂) を望む。





▼天竺渡来大釈迦如来石像 (壺阪大仏) と三尊大石像。



 奥大釈迦如来石像 (壺阪大仏) 像高10m。
 前中央十一面千手観音石像像高3.3m、
 前右文殊菩薩石像像高3m、
 前左普賢菩薩石像3m。


▼壺阪大仏と十一面千手観音。





         ▼壺阪大仏と高台の大観音石像。この二像相当距離が離れてるんです。





▼慈眼堂。重層、四方三間、宝形造、本瓦造。複雑な建立経緯をもつお堂です。詳しくはHPをどうぞ。





▼中興堂。四方三間、宝形造、銅板葺。壺阪寺の復興に尽力した諸大徳を祀っています。





         ▼三重塔 (重文)。塔高23.06m、本瓦葺。明応六年 (1497年) 再建。





▼仏伝図レリーフ。向かって左から右へ釈迦の前世から涅槃までが10面に分けて彫刻。
 昭和62年安置 高さ3m、全長50m、重さ300トン。





▼この場面は、第7面「五比丘との再会と初転法輪」の場面です。





▼普照堂(礼堂)(重文)。
 本堂への礼堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。中央三間が木製扉仕様。確かな建立時期は不
 明だが文正元年(1466年)以前に建立されたものであることがわかっているといいます。
 内部は本堂と行き来で隔壁がありません。





▼普照堂扁額。





▼本堂。八角円堂、創建は大宝三年 (703年)。本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像。





▼礼堂から本堂仏殿。





▼本尊 十一面千手千眼観世音坐像。像高2.4m、木造。詳細不詳。
 独特のお顔と頭上の化仏を見てください、通常の十一面とは相当の違いが判りますネ。
 御本尊は「眼の佛」として広く信仰を蒐め、四十の慈手その一手一手が衆生の苦しみを救うと説き、正面
 向かって右に赤い玉を持った手が日摩尼手で眼を救う御手と云われているそうです。





▼眼鏡供養観音石像。像高3m。
 お名前そのままの観音さん。眼の弱い人の生活を補ってきためがねの供養観音。





▼大石堂 (納骨永代供養堂)。総重量1,500トンにおよぶ壮大な石の御堂。
 まさにアジャンタ石窟寺院そのまんま、かな。
 行った事ないんで知りませんけど外から見る雰囲気は、中へ入るのが躊躇われます。





         ▼大石堂仏舎利塔。





         ▼大石堂一字金輪曼荼羅。





▼天竺渡来の大石像のエリアへの関門天竺門。





▼北方への視界が開け、畝傍山から甘樫丘、明日香の里を始め、二上山、葛城山、生駒山が一望。





▼釈迦涅槃石像と大観音石像。





         ▼天竺渡来大観音石像。何はともあれデカイです。
          全長20m、全重量1200トン。この石像はインドハンセン病救済
          事業の縁でインドから招来したもの。 昭和五十八年開眼。





▼釈迦涅槃石像。全長8m。すべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。平成十一年
 安置。大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として
 製作されたそうです。





▼お釈迦さんの御手と御朱印。





ビッグ石像の大半は天竺彫像です。全てが手彫りで刻面の艶やかな事この上なし、特にお顔は全員男前のす
ばらしい彫刻。デカすぎて現地では分割彫りして日本に運ばれて現場で組み立てたと云います。若干継ぎ目
が目立ち始めているのがあるのは惜しい。

大石像ばかりに目がいき,肝心のご本尊十一面さんに我が身のお願いチョロッ、ご祈祷も、お札も、お守り
も結局何も購入せずでした。これではご利益ないでしょうネ。
「そりゃそうやネ」とはうちの奥さんのお言葉でした。




↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ