(2014.11.22訪問)
今日初めて丹波の里亀岡の地を踏みました。ボクにとってお寺巡りの処女地であります。
さて穴太寺、この寺名なんと読むのか疑問でしたが、お寺のパンフによると「あなおうじ」と、地元では
「あのうじ」と呼ぶことが多いそうで、そう云えば朱印帖は「あなおじ」と書かれてます。そう云えば大
津坂本にも同字で「あのう」の地名がありましたネ。
と云うことで、今日は西国三十三カ所観音霊場第二十一番札所、穴太寺を訪ねました。
▼キレイ。
[ 穴太寺 ]
●山号 菩提山 (ぼだいさん)
●寺号 穴太寺 (あなおうじ)
●勅願 文武天皇 (もんむてんのう)
●開基 大伴古麿 (おおとものこまろ)
●開創 慶雲二年 (705年)
●宗派 天台宗
●本尊 薬師如来 (完全秘仏)
▲拝観料500円 朱印300円 駐車場500円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲西国三十三カ所観音霊場第二十一番札所
▲京都府亀岡市曽我部町穴太東の辻46 Tel.0771-24-0809
▲JR嵯峨野線「亀岡」駅下車 京阪京都交通バス「京都学園大学行」で「穴太口」下車 徒歩10分
▼門前の寺標。
穴太寺縁起 (穴太寺パンフより抄出)
慶雲年間二年、大伴古麿によって開創され、本尊に薬師如来を奉安し建立されたと伝えられています。
その後平安期に、曽我部郷の郡司、宇治宮成が聖観世音菩薩像を奉安、聖観世音菩薩像完成後、宮成が仏師
に礼を渡したが、宮その礼物を渡すのが惜しくなり、仏師に矢を射たが仏師は生きており、放った矢が観世
音菩薩像の胸に突き刺さっているのを見た宮成は、行いを悔い仏門に入りその観世音菩薩像を本尊として祀
ったという。このお話は、穴太寺観音縁起に伝えられ、その後穴太寺は「身代わり観音」の寺として知られ
てきました。
▼T字道路の突き当たりに建つ仁王門。
三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺。
ちょっとマンガチックな仁王さん、黒目を入れた方がイイのでは。
▼阿形仁王さん。
▼吽形に王さん。
▼手水舎専用もみじ参道。残念ながらチリチリです。
▼鐘楼。
▼彩りを精一杯!
▼多宝塔。
三間四方、桟瓦葺。文化元年 (1804年) 再建。
内部須弥壇に釈迦、多宝如来を奉安。
▼観音堂。
桁行三間、梁間二間、入母屋造、桟瓦葺。西国札所のお砂が納められているそうです。
▼本堂。
桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。
本尊 薬師如来 (完全秘仏)、札所本尊 聖観音菩薩立像 (秘仏)、御前立ち聖観音菩薩立像を安置。
本尊のお薬師さんは未だかって開帳されたことがないため、坐像か立像かも判らないそうです。
▼扁額と千社札。貼ってる数が半端じゃないです。
▼本堂正面。
▼孤独の散り銀杏。
▼本堂裏の竹薮と綾錦。
▼イエローボンバー。
▼本堂を斜めから。
▼オシャレ大好き、お花と真新しいファッションの賓頭廬さん。
▼念仏堂のもみじはチリチリです。
桁行三間、寄棟造、本瓦葺。前面小格子の蔀戸と思われます。本尊 阿弥陀如来坐像。
▼この樹は元気、まだ赤くなる気配。
▼この小さな地蔵堂の中に……。
▼お地蔵さんオンパレード! 両サイドにも祀られているのでザッと1000体は。
▼透過光もキレイ!
▼本堂から撮った書院と多宝塔。
▼書院の表門、薬医門の紅葉。残念ながらチリチリです。
▼書院玄関。中央に見えるのは金縁に雲龍水墨の衝立。この衝立撮るのを忘れました。
▼本堂と繋がる渡り廊下。
▼数寄屋風味の主座敷。
▼主座敷から南庭。
▼南庭は池泉回遊式庭園ですが下りることは出来ません。
▼多宝塔が借景になってます。
▼石組とサツキの刈り込みの組み合わせはピンクの花が咲く頃はキレイでしょうネ。
▼額縁を気取ってみました。
▼西庭の額景。
▼コレなんだと思います? 実は蹲なんです。
▼最後にもう一度紅い主張。
▼西国三十三カ所観音霊場第二十一番札所の御朱印です。
今日のフロク
▼穴太の里の イ ロ ド リ
亀岡は京都でも比較的もみじの紅葉が早いそうで、この穴太寺の紅葉はもはやオシマイに近づいています。
穴太寺はもともと楓樹はそんなに多くはありませんし、このお寺は観音霊場の札所「参拝の皆さんは紅葉よ
りも観音さん」お寺のお姉さんはそう云ってました。
では次の訪問は亀岡屈指の紅葉名刹「神蔵寺」を訪ねます。
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