(2014.12.21訪問)
ぼつぼつ「ボケ」という言葉が身に迫る年齢に差し掛かって参りました今日この頃、観音霊場十五番札所今
熊野観音寺の十一面さんは頭痛、ボケ防止、病気封じにご利益大の霊験新たかな本尊として、とみに人気が
高いとチョットばかり耳にはさみ、今日やって来た次第であります。このお寺はボケ封じ観音一番霊場とい
うこともあり多くのボケ予備軍の参拝が絶えることなしと聞いたんですが、参拝者はチラホラ、ボケ封じご
利益も錦秋の紅葉には勝てないのでしょうか、ネ。
▼多宝塔。
[ 今熊野観音寺 ]
●山号 新那智山(しんなちさん)
●寺号 今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)正称 観音寺 泉涌寺塔頭寺院
●勅願 伝 嵯峨天皇 (さがてんのう)
●開基 伝 空海 (くうかい)
●開創 伝 大同二年(807年)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●本尊 十一面観音菩薩 (秘仏)
▲拝観料 無料 朱印300円 駐車場 無料
▲拝観時間 8:00~17:00
▲京都市東山区泉涌寺山内 Tel.075-561-5511
▲西国三十三カ所観音霊場第十五番札所
▲http://www.kannon.jp/enkaku/index.html
▲京都市バス「泉涌寺道」下車 徒歩約10分
京阪電車「東福寺」駅下車 徒歩約15分
JR「東福寺」駅下車 徒歩約15分
▼泉涌寺参道を少し行くと左手に観音寺参道入口見えます。
今熊野観音寺縁起 (今熊野観音寺HPより抄出)
弘法大師が東山山中で熊野権現から一寸八分の十一面観世音菩薩像与えられ、この地に一堂を建立、一尺八
寸の十一面観世音菩薩像を刻んで、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじ
まりです。
そのご後白河上皇がこの地に熊野権現を勧請され、当山のご本尊を本地仏として定められ、「新那智山」の
山号を賜りました。後白河上皇は持病の頭痛を当山の観音夢告で平癒されたので、爾来世の人々からも頭痛
封じの観音様として尊崇されるようになりました。
▼鳥居橋。
観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川といい、その川を越えるのが鳥居橋です。古くからこの地
には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも云われているそうです。
▼この石段を上ると本堂前庭。
▼手水鉢。
▼子護大師。
▼五智の井。
空海さんが錫杖で岩根をうがたれて湧き出した水、五智水が井戸水として湧出しているのが五智の井です。
▼本堂。小さいながらも堂形がいかにも観音さんのお住まいという感じですネ。
桁行三間、梁間三間、重層入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。正徳二年 (1712年) 建立。
▼本堂正面。
▼本堂中陣の半端じゃない豪華絢爛荘厳。
▼本尊十一面さん (秘仏) のお前立ち十一面観音立像。
須弥壇奥のお厨子に絶対秘仏の十一面さんがおられます。
本尊は、伝空海さん作十一面観世音菩薩、像高一尺八寸の絶対秘仏。
▼長押上の浮き彫りの彩色がスゴイ!
▼本堂。
▼創建時の三重石塔。文化財の指定はないようです。
▼大師堂。護摩修法と修行道場として使用されているようです。
三間四方の宝形造、本瓦葺。
▼大師堂扁額。
▼大師堂の正面、入堂は出来ません。
▼須弥壇には本尊弘法大師空海さんが祀られてます。
▼大師堂。
▼ボケ封じ観音にお年寄りが慕ってます。
今日は何を隠そうこの方にお会いするため来たのです。
▼どういうグループかよく判りません。
▼玄武に背負われて観音さんはどこへ行く…。
▼本堂前から多宝塔を見ると、
▼ちょっと拡大してみます。
この多宝塔は医聖堂と称し、医と宗教が手をたずさえて、
心身とも健康に暮らせるような社会が築かれますよう、
願いを込めて昭和五十九年 (1984年) 建立されたそうです。
▼鐘楼。
▼鎮守の稲荷社。
▼同じく熊野権現社。
▼空海さんが掘り当てた五智水。この岩の下から今もコンコんと。
▼本堂裏、霊光殿の石仏阿弥陀さん。
▼境内の山手をぐるっと回る西国観音霊場の参道。
▼参道に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安されています。
▼御朱印です。
お年寄りのご夫婦が、ボケ封じ観音像の前で、一心に手を合わされ、唱える心経が幽かに聞こえています。
古来からの信仰と祈りが今に連綿と続き、精神聖域としてこの空間は歴史由緒とともに清浄な空気が、深閑
な山懐に抱かれて静かに流れている、そんな中でのご夫婦の心経の声でした。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ