
(2016.12.17訪問)
先週に続いて迷車大和路号は、朝七時半第二京阪にのっていたのであります。
今日は三尾の名刹、栂の尾高山寺、槙の尾西明寺、高の尾神護寺の三名刹を訪ねます。
いずれも周山街道、今のR162号線、清滝川沿いの急峻な山麓に甍を誇る名刹です。
周山街道は西の鯖街道と呼ばれ若狭小浜を結ぶルートで、クルマの量も半端じゃありません。
八時半高山寺駐車場に到着。え〜もうこんなにと云うくらいクルマが止まっています。
受付のお母さん「一番乗りですよ、独り占めですよ、ごゆっくりどうぞ」嬉しいけど不思議。
あのクルマの人たちいったい何処へ行ってるのでしょう、オープンしてるお店など一軒もないのに。
▼きょうは表参道からの参拝です。右の道路は周山街道、クルマジャンジャン通ります。

[ 高山寺 ]
●山号 栂尾山 (とがのおさん)
●寺号 高山寺 (こうざんじ)
●宗派 真言宗単立 (しんごんしゅうたんりゅう)
●勅願 伝 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開創 伝 宝亀五年 (774年)
●中興 明恵上人 (みょうえしょうにん)
●開創 建永元年 (1206年)
●本尊 釈迦如来
▲京都市右京区梅ケ畑栂尾町8 TEL.075-861-4204
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲http://www.kosanji.com
▲拝観時間 8:30~17:00
▲平成六年(1994年) 古都京都の文化財として世界文化遺産に登録。
▲JR「京都駅」からJRバス栂ノ尾、周山行きで「栂ノ尾」下車徒歩3分
▼栂尾 高山寺と刻されていますが見えます? 富岡鉄斎の筆ですよ。

高山寺縁起
奈良時代、宝亀五年 (774年) 光仁天皇の勅願により開創、神願寺都賀尾 (じんがんじとがのお) 坊と称した。建永元年 (1206年)
後鳥羽上皇の院宣により、明恵が神護寺の一院、栂尾十無院を贈られ、華厳宗の根本道場として再興した。
後鳥羽上皇の勅語「日出先照高山之寺」により、寺名を「高山寺」と改める。応仁、文明の乱(1467-1477年)や天文十六年
(1547年) 細川晴元の兵火で大半の伽藍を焼失。寛永十一年 (1634年) 再興。
▼参道をまっすぐ行くと……、

▼両脇に灯籠が……、元は大門があったらしいです。

▼ドンドン行きます。楞伽山(りょうがせん)の山麓、鬱蒼の樹々に囲まれた参道を行きます。

▼途中右手に石水院の白壁が見えますがココは最後に訪ねます。


▼錦秋の名残。

▼最後の石段、やっと金堂の屋根が見えてきました。

▼金堂。本尊釈迦如来。桁行三間、梁間三間、一重入母屋造、銅板葺、一間向拝付き。
寛永年間、御室仁和寺真光院から古御堂を移築。前面は蔀戸。

▼金堂内陣。

▼中央に本尊が祀られていますが、お顔は見えません。
格子から覗くと中はほとんど見えない暗さです。しかし今時のレンズは人間の目よりも明るいんですネ。格子にレンズをくっつけ
て撮影してます。

▼小さいお堂ですが安定感でドッシリしています。

▼ 金堂から少し行くと開山明恵上人廟です。

▼この覆屋の中に開山明恵上人五輪塔が納められています。

▼仏足石。

▼仏足石参道の石碑。かっては仏足石信仰が結構盛んだったみたいです。
刻書がいいじゃないですか。

▼開山堂。本尊明恵上人坐像。方三間、宝形造、銅板葺。江戸期再建。
高山寺での法要の多くはこのお堂で行われているそうです。

▼開山堂横に聖観音立像が微笑んでいます。

▼開山堂。正面左右の火頭窓がユニークなお堂ですネ。

▼茶園碑。

▼高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られ、栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育て
たところ、眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。「日本最古之茶園」碑が立つ現在の茶園では、現在も五月に茶
摘みが行われているそうです。(高山寺HPから抄出)

石水院にやってきました。
創建当時、現石水院は金堂の東にあった。安貞二年(1228年)の洪水で石水院は流失。その後、東経蔵が石水院の名を継いで、
中心的堂宇となり明治二十二年(1889年)に現在地へ移築、住宅様式に改変された。明恵上人時代の唯一の遺構である。
(高山寺HPから抄出)
▼石水院山門。中にもう一つ門が見えますネ、開かずの門のようで西庭への門のようです。


▼こんな苔が瓦を覆っています。

▼石水院客殿玄関です。

▼客殿を通り渡り廊下を石水院お部屋へ、オッ向こうに見えるのは……、

▼廂の間の……、

▼相変わらず可愛い顔した善財童子君でした。

▼欄間に石水院と書かれた扁額。富岡鉄斎筆だそうですよ。

▼廂の間の前に西庭が広がります。

▼石水院の南面の間の長押に「日出先照高山の寺」の扁額。
建永元年 (1206年)後鳥羽院の院宣により、華厳興隆の勝地として明恵が栂尾の地を賜ったのが高山寺の起りである。その際に下
賜された後鳥羽院宸翰の勅額といわれる。(高山寺HPから抄出)

▼明恵上人樹上坐禅像 (国宝)。
明恵は貞応元年 (1222年) 栂尾で最晩年を過ごす。
高山寺の後の山、楞伽山には、上人坐禅の遺跡が今も残る、
二股に分かれた一株の松がり縄床樹と名付け、常々そこで坐禅入観したという。
(高山寺HPから抄出)

▼木彫りの狗児 (重文) 明恵が座右に置いて愛玩した遺愛の犬と伝える実寸大の子犬の木彫、快慶作と伝わるそうです。

▼絶景が額縁になる石水院南縁。紅葉や溢れる緑があってこそ。


▼独り占めの絶景も今はこの通り……。

▼石水院北庭。

▼今まで鐘楼があるとはつゆ知らず。

▼石垣の白塀、石水院を囲んでいます。

▼白塀に沿って裏参道へ続きます。今日はこちらからお暇です。

▼九十九折の参道を下ると駐車場、バス停へ。
最近の参拝者は、この裏参道利用者が多いそうです、そりゃ駐車場直結だもんネ。

▼ご朱印です。

紅葉の季節が済むと人々は、名刹と云えども用は無いらしい。境内は散り紅葉の朽ちて土に帰る痛々しい姿が、初冬のお寺の一層の
寂寞さを感じさせています。ついついこの歌を口ずさみたくなりますネ。
♪ 京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女がひとり~
♪ 大島つむぎにつづれの帯が 影を落とした石だたみ~
♪ 京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり~
物思いに沈み、哀愁が漂う石畳に、影を落として暫し佇む、大島つむぎの細身の女人、そう歳の頃三十代前半……、
こんな女性を探したんですが、ついぞ見かけませんでした。
次は、三尾名刹第二弾! 西明寺を訪ねます。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
