(2016.12.17訪問)
西明寺から清滝川沿いにそぞろ歩くこと数分、赤い高雄橋に到着。ココを渡ると彼岸の浄域、神護寺の境内になります。早い話がこ
の橋を渡るとスグあの地獄が待ってるんです。何が彼岸で浄域じゃなんて悪たれつきたくなる三百数十段の石段を上りきると、今日
の目的、神護寺のスター本尊薬師如来にお目見え出来るんです。三尾名刹最後の第三弾神護寺、上ってやろうじゃないか地獄の石段!
▼金堂。
[ 神護寺 ]
●山号 高尾山 (たかおさん)
●寺号 神護寺 (じんごじ) 正称 神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開基 和気清麻呂 (わけのきよまろ)
●開山 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 天長元年 (824年)
●再興 文覚上人 (もんがくしょうにん)
●本尊 薬師如来立像 (国宝)
▲京都市右京区梅ヶ畑高雄町5 TEL.075-861-1769
▲拝観料 600円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲JR「京都駅」からJRバス「高雄京北線」で「山城高雄」下車、徒歩約20分
国道162号線を「福王子」交差点から「京北高雄」方向へ約6km
▼渡れば彼岸の結界橋、高雄橋。
神護寺縁起 (神護寺HPから抄出)
桓武天皇への平安遷都、都造営の提唱者として知られる和気清麻呂は、天応元年 (781年) 国家安泰を祈願し河内に神願寺を、ほぼ同
じ時期、山城に高雄山寺を建立。高雄山寺はそれまでの奈良仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考
えられる。その後、清麻呂の子息 (弘世、真綱、仲世) は最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き仏教界に新風を吹き込んでいる。空海
は留学生として最澄とともに入唐するが、二年で帰国、三年後にようやく京都に入ることが許されるや高雄山寺に招かれ、天長元年
(824年) 真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付嘱、伝教大
師最澄らに密教灌頂を授け真言宗立教の基礎を確立した。平安後期二度の災害で全山壊滅、時の豪僧、文覚が後白河法皇の勅許と源
頼朝の援助で復興、それ以後真言宗として今日に伝えている。
▼イヤダイヤだと行く参道。
▼いつまで続くかこの石段。
▼ヤットヤット山門が見えてまいりました。
▼山門。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に二天像を安置。元和九年 (1623年) 建立。
▼右に持国天。
▼左に増長天。
▼堂々の山門。扁額には神護国祚真言寺と書かれています。
▼山門を潜ると、お寺の境内とは思えないこの広さ。
▼常には開かずの勅使門。
▼その左隣に和気清麻呂廟。清麻呂さんのお墓は山手ズーッと上にあります。
▼袴腰の立派な鐘楼。軒下の組み物の造作が凄く、垂木は二重で扇垂木と云って隅から扇状に置く方法らしく、とても鐘楼建築とは
思えない豪華な鐘楼です。
▼下から見ると……。
▼明王堂。
▼五大堂。入母屋造の三間堂。元和9年(1623年)の建築。
▼毘沙門堂。本尊毘沙門天立像 (重文) 桁裄五間、梁間三間、入母屋造、銅板葺、一間向拝付。
元の金堂、本尊の薬師如来像もここに祀られていたと云います。元和九年 (1623年) 建立。
▼大師堂。本尊板彫弘法大師像 (重文)入母屋造、杮葺。元は空海さんの住房「納涼房」を復元復興した堂宇。
▼金堂坂。坂下から見ると僅かに金堂屋根が見えます。
▼金堂が姿を現しました。
▼金堂。本尊薬師如来立像 (国宝) 本尊左右に日光月光菩薩立像 (重文) 十二神将立像が祀られています。
中央三間が入り口。桁裄七間、入母屋造、本瓦葺。昭和九年 (1934年) 民間寄進により建立。
昭和の名建造物と呼ばれているそうです。
▼金堂正面戸口。
▼堂外から須弥壇の様子。中央奥に本尊お薬師さんがお立ちです。
目の前のお薬師さんは、変わらず厳しいお顔、像高170cmの凄みを感じます。仏師は本来なら柔和な如来をこのような厳しいお
顔に仕立てたのは、奈良後期から平安初期の時代の混沌さを思い詰めた結果なのか、興味の湧くところです。
これだけ間近で拝見出来るのは初めて、一部彩色するも壇像形式で今はほとんど真っ黒ケ、如来の慈悲など全く感じることは出来
ず威圧感のみが残る印象です。
▼金堂斜観。
▼金堂横奥に立つ不動明王石像。
▼こんなお顔です。
▼金堂裏高台に建つ多宝塔。金堂と同様、昭和九年 (1934年) 民間寄進により建立。
▼塔初層の扉が辛うじて撮れました。
▼塔内には非公開の五大虚空蔵菩薩坐像が祀られています。
数年前に描いたペン画、蓮華虚空蔵菩薩と法界虚空蔵菩薩のお顔です。
▼見上げると紺碧の空、今日一でした。
▼錦雲峡。高尾の地はヤッパリ山深い地であることを実感。中央の流れは清滝川。
▼ご朱印です。
桓武、清麻呂、空海、最澄、文覚、後白河、頼朝と希代のビッグネームが揃い、時の権力と結ぶと、高尾の山寺も今日のようなビッ
グスケールの寺院として繁栄する一例を見た思いがします。
三尾名刹第三弾、神護寺 これにてオ シ マ イ
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