(2017.07.22訪問)
正壽院から次に訪ねるお寺は実はスグ近くのはずでした。されどガイドはすれども一向に着かず。あげくは細~い山道をズンズン、
こりゃダメだと引き返し、第三候補のお寺をサーチ、これ又ガイドはすれども行き先不明。正壽院の所で書きました「賢いやっち
ゃ新大和路号のナビは!!」の前言を撤回、付き合いきれんはこのナビは、マッタク。
と云うことで、じゃドコを訪ねるか、この辺りでボクが知っているお寺と云えば、禅定寺しかありません。このナビめ有名寺院だ
けはしっかりガイドするんですワ。
▼県道に面した参道石段です。
[ 禅定寺 ]
●山号 白華補陀洛山 (ふだらくさん)
●院号 観音妙智院 (かんのんみょうちいん)
●寺号 禅定寺 (ぜんじょうじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開基 平崇上人 (へいそしょうにん)
●創建 正暦二年 (991年)
●中興 月舟宗胡禅師 (げっしゅうそうこ)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100 電話 0774-88-4450
▲拝観料 500円 ご朱印300円
▲時間 9:00~16:00
▲http://zenjyoji.jp
▲JR「宇治駅」京阪電車「宇治駅」から京阪宇治バス「維中前」下車 徒歩約2km
京滋バイパス「笠取IC」から約9km
▼石段横にさり気なく建つ寺石標。
禅定寺縁起 (禅定寺HPから抄出)
正暦二年 (991年) 東大寺五十三代別当、平崇上人が藤原兼家の帰依を受け、私領の山野に五年の歳月を費やして堂を建て、十一面
観音菩薩像を安置したのが始まり、ついで長保三年 (1001年) 上人は田畑一千町歩を寺に施入。鎌倉、室町、戦国時代の兵火など
で創建当初の伽藍は壊滅。その後江戸時代延宝八年 (1680年) 加賀の国曹洞宗大乗寺の月舟宗胡禅師を迎え曹洞禅の道場として復
興が果たされた。
▼石段を上りきった所に壱の門。
▼仁王門。白壁に花頭窓を備えたユニークな山門です。三間一戸、切妻造、本瓦葺き、江戸享保四年 (1719年) 建立。
▼補陀禅林と書かれた仁王門扁額。
▼金剛力士阿形像。仁王門建立と同時期の造立と云われています。
▼金剛力士吽形像。
▼仁王門を潜ると左に建つ五輪塔。南北朝時代の造立の大和型の貴重な五輪塔。
▼本堂。茅葺きの大きな建物ですが、豪農の母屋の雰囲気、お寺のお堂には見えません。
▼本堂前面。中央ガラス戸を開けたのはボクです。正面から入堂させて頂きました。
▼本堂内陣の荘厳。中央須弥壇の奥に本尊阿弥陀三尊が祀られています。
▼変化に富んだお庭が本堂前に広がっています。
▼池畔に閑かに佇む観音さん。
▼鐘楼。
▼観音堂。
▼園通閣と書かれた妙に大きい扁額。
▼観音堂内陣。メインというか本尊が見当たりません。
▼豪華な須弥壇台座の彫刻と漆芸。牡丹を挟んで阿吽の獅子が睨み合っています。
▼まさか本尊をこんな祀り方をしないでしょう。
▼右脇殿の地蔵菩薩坐像。貫禄ですネ。
▼左脇殿の薬師如来坐像。相当酷いことになってるお薬師さん。
左手の薬壺、時にはご自分のために使っていいんですよ。
▼天蓋と瓔珞。
▼放生池に架かる太鼓橋。
▼平成大涅槃図。墓地の法面を飾っています。横45m、縦8mの大壁画です。一般の人たちも参加して平成十一年開眼。
▼仁王門手前に宝物殿。
▼正面に十一面観音菩薩立像 (重文) が安置、堂々体躯の仏像。お顔は丸く、お身体やや肥満気味でズングリムックリはご愛嬌か。
漆箔は殆どはげ落ち黒漆地が出ていますが衣文の彫りは丁寧で緻密です。藤原時代作、像高286.3cm、木造寄せ木造、漆箔、
頭飾胸飾をはじめ飾り物が非常に豪華です。
(写真は禅定寺HPからお借りしました)
▼ 小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から禅定寺のページです。
▼ご朱印です。
宝物館に収められている素晴らしい仏像の数々、ほとんどが藤原仏で禅定寺草創期からのものだそうです。お寺は今でこそ本堂と
観音堂しか残ってはいませんが、これらの仏像を見る限り往時の禅定寺の寺勢が偲ばれます。おそらく各種堂宇伽藍が甍を競い、
今残る仏像達がそれぞれのお堂で信仰を集めていた。とそんな想像が湧いてくるほど素晴らしい仏像の数々でした。
禅定寺 オ シ マ イ
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