[ 岡 寺 ]
岡寺は正式には、「東光山 真珠院 龍蓋寺」真言宗豊山派長谷寺の末寺。
西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。
岡寺という寺名は、明日香村の東、岡山の中腹に位置してるところから地名によ
る名称といいます。
尾曽から15~6分で岡寺駐車場に到着。早速駐車場のおじさんが集金に来ます。
車は数台止まっていました。いつもは石舞台から徒歩、参道入り口の治田神社一
ノ鳥居から急坂で石段続きになるので、仁王門前まで来るのにもうバクバク状態。
この日の参拝は駐車場からなので仁王門前まで徒歩数分、楽ちんちんです。
仁王門。
立派な山門、なんと云っても日本最初の厄よけ霊場の岡寺、左右両脇に仁王さん
が睨みをきかせています。慶長17年(1612)建立の重要文化財です。
手水舎。
本堂。
本尊は、云わずと知れた如意輪観音坐像。塑像で最大、最古のお像です。
像高458,1cm、当初は半跏像だったとの説もあるそうです。ただこの観音はボク
達が知っている如意輪観音の特徴はありません。岡寺は本尊が常に開扉されてい
る数少ないお寺の一つです。
開山堂。
本堂の左に建つ三間堂。本尊は阿弥陀三尊。多武峰談山神社より明治3年に移築
されたお堂だそうです。
大師堂。
昭和初期の建立。本尊は弘法大師。
三重宝塔。
文明4年(1472年)倒壊の記録があり、以後再建することなく昭和61年に514年
ぶりに再建されたそうです。
楼門。
奈良県指定文化財。書院の前に建つ入母屋造の楼門。古くは鐘楼門で2階は平安
時代作の兜跋毘沙門天が祀られていたといいます。建立は仁王門と同様に慶長年
間だそうで小型の鐘楼門としては珍しい遺構であるといわれています。
鐘楼堂。
基壇上に建つ袴腰の鐘楼。この日は1つだけ撞かせていただきました。
龍蓋池。
このお寺の正式名「龍蓋寺」の原点になっている池です。開基義淵僧正が悪龍を
この池に閉じ込めて蓋をしたと云う伝承からきているそうです。開基義淵僧正は
伝承伝説の多い人ですが、わが国法相宗の祖と仰がれ、良弁さん、行基さんをは
じめとする奈良時代の高僧たちは義淵さんの教えを受けたと伝わっています。
境内から観た仁王門。
岡寺も花のお寺、石楠花のお寺として室生寺と覇を競っていますが、今は全山緑
一色です。
岡寺は正式には、「東光山 真珠院 龍蓋寺」真言宗豊山派長谷寺の末寺。
西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。
岡寺という寺名は、明日香村の東、岡山の中腹に位置してるところから地名によ
る名称といいます。
尾曽から15~6分で岡寺駐車場に到着。早速駐車場のおじさんが集金に来ます。
車は数台止まっていました。いつもは石舞台から徒歩、参道入り口の治田神社一
ノ鳥居から急坂で石段続きになるので、仁王門前まで来るのにもうバクバク状態。
この日の参拝は駐車場からなので仁王門前まで徒歩数分、楽ちんちんです。
仁王門。
立派な山門、なんと云っても日本最初の厄よけ霊場の岡寺、左右両脇に仁王さん
が睨みをきかせています。慶長17年(1612)建立の重要文化財です。
手水舎。
本堂。
本尊は、云わずと知れた如意輪観音坐像。塑像で最大、最古のお像です。
像高458,1cm、当初は半跏像だったとの説もあるそうです。ただこの観音はボク
達が知っている如意輪観音の特徴はありません。岡寺は本尊が常に開扉されてい
る数少ないお寺の一つです。
開山堂。
本堂の左に建つ三間堂。本尊は阿弥陀三尊。多武峰談山神社より明治3年に移築
されたお堂だそうです。
大師堂。
昭和初期の建立。本尊は弘法大師。
三重宝塔。
文明4年(1472年)倒壊の記録があり、以後再建することなく昭和61年に514年
ぶりに再建されたそうです。
楼門。
奈良県指定文化財。書院の前に建つ入母屋造の楼門。古くは鐘楼門で2階は平安
時代作の兜跋毘沙門天が祀られていたといいます。建立は仁王門と同様に慶長年
間だそうで小型の鐘楼門としては珍しい遺構であるといわれています。
鐘楼堂。
基壇上に建つ袴腰の鐘楼。この日は1つだけ撞かせていただきました。
龍蓋池。
このお寺の正式名「龍蓋寺」の原点になっている池です。開基義淵僧正が悪龍を
この池に閉じ込めて蓋をしたと云う伝承からきているそうです。開基義淵僧正は
伝承伝説の多い人ですが、わが国法相宗の祖と仰がれ、良弁さん、行基さんをは
じめとする奈良時代の高僧たちは義淵さんの教えを受けたと伝わっています。
境内から観た仁王門。
岡寺も花のお寺、石楠花のお寺として室生寺と覇を競っていますが、今は全山緑
一色です。