土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

勧修寺、醍醐天皇縁の宮門跡です。

2012年04月10日 | 京都の古寺巡り


(2012.04.07訪問)

山門へ向かう参道の白壁築地塀、懐かしいなぁ。
またまた、数十年前、はじめて呉服商社のポスター制作で勧修寺でロケをさせていただきました。玉石まじ
りの砂利道をモデルさん二人が付け下げ姿でそぞろ歩き。砂利を踏む草履の音も和の響き、薄汚れた白壁塀
に映る二人の影、美しいですね~、ジャパネスクですね~、カメラはボクではありませんよ、当然プロです。
しかし今日、ちょっと感じが違うんです。白壁塀しっくい塗り替えで綺麗すぎ、砂利道はアスファルト舗装
で綺麗すぎ、塀瓦は乗せ替えで綺麗すぎ。数十年の時代差はこんなもんなのか夢の跡、ちょっとガッカリで
す。しかし、よくよく考えると、あの仕事実にくさいシチュエーションですね、今じゃプレゼン絶対にパス
しませんワ。

[ 勧修寺 ]
●山号 亀甲山(きっこうさん)
●寺号 勧修寺(かじゅうじ)
●宗派 真言宗山階派大本山
●開基 醍醐天皇
●開山 承俊上人  
●開創 昌泰3年(900年)
●本尊 千手観音菩薩

勧修寺縁起
昌泰3年(900年)、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺
内大臣と称していたことから、勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く
維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十六世として入山以来、宮門跡寺院となる。その後応仁の
乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興された。

▼参道沿いの白壁築地塀。




▼塀から覗く桜も4~5分というところでしょうか。




▼山門。




▼大玄関。




▼大玄関前の植栽小島で強烈に主張するボケの花。




▼庭園への門です。




▼宸殿。
桁行6間、入母屋造、瓦葺、正面2間の向背付き。内部は書院造。
元禄10年(1697年)明正天皇御所旧殿を下賜された建物。




▼宸殿扁額。明正殿と揮毫されています。




▼ハイビャクシン。
樹齢750年といわれている檜科の常緑灌木で地を這うように生えている変な樹。広い面積ですが1本の樹です。




▼勧修寺型燈籠。ユニークな形の燈籠。水戸光圀寄進と云われているそうです。




▼庭園広場には桜が結構植わってますが、まだまだ4~5分くらいでしょうか。




▼庭園から宸殿。




▼観音堂。楼閣風の建物、大斐閣と呼ばれて昭和6年再建。




▼観音堂ご本尊。妙な色気のベッピン観音様です。




▼氷池園。
勧修寺氷池園と呼ばれる池泉回遊式庭園。平安期にはこの池にはる氷を宮中に献上したそうです。




▼氷池園から見る観音堂。




▼いましたよクロちゃん。ず~っと同じ姿勢です。




▼本堂。本尊 千手観音菩薩。室町時代。
桁行6間、入母屋造、檜皮葺、正面2間の向背付き。
皇居内侍殿の旧材を用いて、寛文12年(1672年)に潅頂道場として建築されたもの。




▼弘法大師修行像。




▼弁天堂。1間四方勾欄付宝形造。お厨子が閉まり弁天さんにはお会いできませんでした。




▼不動明王石像。脇侍は矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)。




▼氷池園越しの千年杉。京都庭園中最高の巨木だそうです。どうも枯れているようなんですが。




▼左の白ちゃんなにを狙っているんでしょう。




▼へんな燈籠です。いや、石のオブジェかな。




▼最後にもう一度、クロちゃん。




この勧修寺、かじゅうじと読める方はあまりいないでしょう。かじゅうじなんです。
宮門跡寺院としての格式は各お堂、境内やお庭を拝観していて十分に感じます。ただ、今のご住職が皇室の
ご出身かどうかは聞き漏らしました。
池泉回遊式庭園には鳥たちもよく来るそうで、この日相当ご年配の方が望遠カメラ三台である一点凝視、何
待っているのか訊くと「カワセミ」だそうです。

それでは心静まるお寺から、胸騒ぎのするキンピカのお寺へ。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

黄檗山萬福寺、普茶料理を思い出しました。

2012年04月05日 | 京都の古寺巡り


(2012.04.01訪問)

三室戸駅から一駅手前の黄檗駅前の懐かしい萬福寺を訪ねました。
数十年前、会社研修で萬福寺座禅会に参加したことがありますが、殆ど忘れています。唯一覚えているのは
普茶料理、動物由来の食材を使用しない精進料理にはビックリしました。饅頭の天ぷらは今も鮮明です。

萬福寺は徹底した中国明代風のお寺で、伽藍配置も対称、中央一直線状に主要伽藍が並び、他の伽藍が対称
に配置されており見事なまでの境内構成です。各堂内の荘厳は赤と緑を中心にとにかくスゴイ感性、江戸初
期の立宗寺院なので古刹のイメージはありませんが、創建当初の姿をそのまま今に伝える寺院は他に例がな
いそうです。

[ 萬福寺 ]
●山号 黄檗山(おうばくさん)
●寺号 萬福寺(まんぷくじ)
●宗派 黄檗宗大本山
●開山 隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師  
●開創 寛文元年(1661年)
●本尊 釈迦如来坐像

萬福寺縁起 (萬福寺HPから抄出)
開祖隠元禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住
職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に
来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と
名付けました。宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。

▼総門(重文)。
三間八脚門、瓦葺き。寛文元年(1661年)建立。
屋根が二段で中央を高く、左右が低い中国牌楼式楼門と云うそうです。




▼参道。正面右に曲がると雄大な三門があります。




▼方丈池。総門を入るとスグ右に方丈池、周囲の植栽の蕾が開き始めています。




▼方丈池のユキヤナギ。




▼三門(重文)。三間三戸八脚、重層楼門、瓦葺き。上層勾欄付き。延宝6年(1678年)建立。




▼三門扁額。開祖隠元さんの揮毫による黄檗山の山号。




▼三門から天王殿を見る。中央通路に架かる扁額萬福寺の揮毫も開祖隠元さんです。




▼天王殿(重文)。桁行5間、単層入母屋造、瓦葺。寛文8年(1668年)建立。
お寺の玄関として建てられているお堂、日本では珍しい配置だそうです。




▼天王殿前に蓮の花をかたどった手水鉢。かなり大きいです。




▼布袋尊に先ずご挨拶。
正面にキンピカの布袋さん、いわば萬福寺のメインキャラクターがボクたちを迎えてくれます。
布袋さんは弥勒菩薩の化身とされているそうです。




▼天王殿左右に四天王像。
堂内左右に四天王が祀られています。上段(左)広目天。(右)多門天。下段(左)増長天。(右)持国天。




▼天王殿後堂には韋駄天像が安置。
端正な韋駄天が布袋さんの後ろに祀られています。四天王と韋駄天は明の仏師范道生の作。




▼大雄宝殿(だいおうほうでん)萬福寺の本堂(重文)。本尊 釈迦牟尼仏坐像。
桁行5間、単層入母屋造、一見重層ですが初層は裳階、瓦葺。寛文8年(1668年)建立。
萬福寺最大の伽藍。チーク材による建立は非常に珍しいものだそうです。




▼大雄殿宝殿扁額。この扁額も開祖隠元さんの揮毫。大雄殿宝殿と書かれています。




▼大雄宝殿須弥壇。堂内中央四柱に囲まれた須弥壇、床は塼瓦敷き。




▼大雄宝殿本尊釈迦牟尼仏坐像と脇侍は十大弟子の阿難尊者と迦葉尊者。どちらがどちらか確認忘れです。




▼大雄宝殿後堂に開山祖師隠元禅師像。




▼堂内両端に十八羅漢像。
羅漢さんもこれだけ並ぶと壮観です。片側ににも同数体が並んでいます。無知ですね、殆どお名前の知らな
い方達でした。




▼大雄宝殿から法堂への回廊。諸堂間は廻廊で結ばれています。すべて塼瓦敷きの床です。




▼法堂(重文)。
桁行5間、単層入母屋造、瓦葺。寛文2年(1662年)建立。問答修行と説法のお堂です。




▼法堂勾欄の卍と卍くずしの文様。開山堂も同様の勾欄です。




▼鐘楼(重文)。重層鐘楼で二層に梵鐘。寛文8年(1668年)建立。




▼巡照版。萬福寺の一日のはじめと終わりに雲水が偈文を唱え巡照版を打ち、各お堂を回ります。




▼伽藍堂(重文)。伽藍守護神おなじみ関羽を祀るお堂。寛文9年(1669年)建立。




▼伽藍堂本尊 関聖大菩薩関羽さんです。




▼雲版。雲形の打って時を告げるもの。




▼開梆(かいぱん)。
斎堂(食堂)前廻廊に吊るされています。魚形の開梆。打って時を告げるもの。
木魚の原型になったものらしいです。




▼禅堂(重文)。坐禅堂、この日も坐禅中に付きお静かにの札がありました。寛文3年(1663年)建立。




▼祖師堂(重文)。
中国禅の祖、達磨大師を祀っています。桁行3間、単層入母屋造、瓦葺。寛文9年(1669年)建立。




▼祖師堂本尊 達磨大師坐像。ボクたちが知るダルマさんとはちょっと違いますが。




▼鼓楼(重文)。重層鼓楼で二層に太鼓。延宝7年(1679年)建立。




▼天王殿から開山堂への回廊に梵鐘、合山鐘。除夜の鐘はこの鐘を撞くそうです。




▼寿塔(重文)。隠元禅師の六角墓。寛文3年(1663年)建立。




▼開山堂通玄門。




▼開山堂(重文)。隠元禅師を祀ります。延宝3年(1675年)建立。




▼開山堂扁額。二代住持、木庵性瑫の揮毫。




▼隠元やぶ。隠元禅師により招来された孟宗竹の薮。総門の左側に茂っています。




▼萬福寺本坊。



国宝指定はないけれど伽藍23棟を含め31件が国の重要文化財に指定されているそうです。
広い境内に数多い伽藍、そのほとんどが廻廊で結ばれているこのお寺は、親切な順路表示で見易いことこの
上なし、禅寺にありがちな妙に勿体振ったところがない気持ちのイイお寺でした。

三室戸寺は西国観音霊場十番札所です。

2012年04月03日 | 京都の古寺巡り


(2012.04.01訪問)

土曜日、またまた憎っくき天気の宇治を性懲り無く訪問しようと、しかし天気予報はヤッパリ雨。急遽、今
日日曜に変更。やっと宇治にも青空が広がっていました。青空ってホント気持いいですね。先週訪ね損ねた
三室戸寺、花のお寺の花の無い時をジックリと、です。
霊宝殿宝蔵庫に安置されている重文5体の仏像を拝観したくて今日訪ねたのですが、開扉が毎月17日、結局
拝観出来ませんでした。なんで調べて行かないんでしょうねマッタク。

▼三室戸寺道しるべ。
京阪電車三室戸駅から東に緩やかな明星山麓の坂道を歩くと、Y路に建っています。



[ 三室戸寺 ]
●山号 明星山(みょうじょうさん)
●寺号 三室戸寺(みむろとじ)
●宗派 本山修験宗別格本山
●開基 (伝)光仁天皇
●開山 (伝)行表禅師  
●開創 (伝)宝亀年間(770~781年)
●中興 智証大師円珍
●本尊 千手観音菩薩(秘仏)
●札所 西国三十三観音霊場十番札所

三室戸寺縁起 (三室戸寺HPから抄出)
約千二百年前、宝亀元年(西暦七七〇年)のこと、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光がさし込むのを御覧に
なって、この奇瑞を大変お喜びになり、右少弁犬養に勅して、霊光の源を尋ねさせられた。犬養は勅をうけ
早速、宇治川の支流の志津川の渓流に沿って登って行くと、古樹がうっそうと生い茂る中に、水が青く澄ん
でいる清淵があり、そこは塵境を離れた幽寂の地で、流水の響きは煩悩の垢を洗う心地を起させたのである。
犬養が清淵に近ずくと、御丈、二丈余り、相好円満、光明赫々とした、千手観世音菩薩が、まぼろしのよう
に、清淵の中から出現されたのを見た。犬養は随喜の涙を押え、掌を合せ厚く頂礼して、清淵に飛び入り、
この御仏を抱き上げてみると、さきほどの尊容ではなく、御丈、一尺二寸の二臂の尊像と化していられた。
犬養は都に帰り始終を天皇に奏上申し上げると、天皇の叡感殊の外深く、早速宮中に尊像をおむかえになつ
たが、その後、行表禅師を招き、御室をこの地に移して、この尊像を本尊として安置して御室戸寺と称する
よう勅されたのである。


▼入山受付に立つ西国十番の寺標。




▼参道。




参道右側にあじさい園とつつじ園の広がりが見渡せます。今は全く色気無し。
▼つつじ園。




▼つつじ満開時はこんな感じです。(ちょっと古い写真ですが2009.05.06に訪ねたときのものです)




▼あじさい園。




▼あじさい満開時のナイターはこんな感じです。(かなり古い写真ですが2001.07.01に訪ねたときのものです)




▼「ようおまいり」の石碑が迎えてくれます。




▼手水舎。




▼手水鉢の台座前にお不動さんが無言の喝。




▼本堂。
桁行5間、重層入母屋造り、正面唐破風付き、本瓦葺きの重厚な建物。文化2年(1805年)再建。
さすがに札所、巡礼白衣に輪袈裟のお遍路さんが大勢お参りされてました。




▼本堂扁額。明星山と山号が揮毫。




▼本堂内陣。中央お厨子前に本尊お前立ちの千手観音菩薩立像。ご本尊はお厨子の中、絶対秘仏。




▼本尊お前立ちの千手観音菩薩立像。
真手二臂で千手観音とは? 皆さん!この観音さん、どこかで拝したことありませんか?
そうです、法隆寺の夢殿救世観音立像、良く似てるでしょう。正面性を強調し天衣は左右対称で鰭状、宝冠
大きく、ややつり目の穏やかなお顔の印象です。明らかに飛鳥時代の像容がうかがえますが、秘仏の本尊を
模して造像されたそうです。造像年代は不詳ですが金泥も美しく比較的新しい作ではないかと思われます。




▼源氏の庭の堂々とした椿の大木。落花盛んです。




▼鐘楼。一撞き打たしていただきました。




▼三重塔。
塔高16m、元禄17年(1704年)建立。可愛いけれど均整のとれたグッドプロポーション。兵庫県佐用町の高
蔵寺のものを明治43年(1910年)移設したそうです。




▼三重塔相輪。




▼三重塔。




▼阿弥陀堂。親鸞聖人父堂、日野有範の墓上に親鸞さんの娘、覚信尼さんがこのお堂を建立、阿弥陀三尊を
お祀りしたそうです。




▼宝勝牛。本堂前に鎮座する牛の石像。口の中に石玉があり、これを撫でると勝運がつくと云われています。
思い切り撫でまくりました。




▼花の寺三室戸寺夏の代表、本堂前の蓮園には250鉢の蓮鉢が置かれていますが、今はご覧の通り。




▼宇賀神石像。財運金運の蛇神で顔は翁、からだは蛇で蓮台に乗っています。あまりにも穏やかなお顔なの
でアップにしました。




▼庭園与楽苑の石碑。参道石段下に広がる五千坪の庭園は花の季節はスゴイ人・人・人ですよ。




▼石庭。




▼池泉。




▼何か用かい、おっちゃん! アイサツ代わりに麩でも投げなよ!とか何とか云ってるような。




▼つつじもアジサイもまだまだ、馬酔木は満開!残念ながら樹は少々。





花のない花のお寺(馬酔木だけは満開でした)も善男善女の花が満開でした。
宇治の地名にもなったこの菟道(うじ)の地に千数百年の伝承を伝えながらその法灯を守っている三室戸寺、
ぼつぼつ何気なく吹く風にも春の息吹を感じるようになったこの日は、あの憎っくき宇治のお天気も青空、
さすが札所のこのお寺、お詣りの方々で引っ切りなしでした。きれいなお寺です。

三室戸寺オシマイ!ですが、次のお寺に続くのであります。