土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

二尊院、そっくりの兄弟如来が本尊です。

2016年12月12日 | 京都の古寺巡り





(2016.12.10訪問)
 

先週、BSで五木寛之さんの百寺巡礼「二尊院」編を見ていて、フッと思い出したのが、二尊院は確か本堂の改修工事をやっていた筈だが。
早速お寺に電話をすると「本堂の修復改修は終わりました、いつでもお越し下さいお待ちしています」と嬉しい返事。
「そうだ二尊院、行こう。」と云う訳で朝八時ジャスト迷車大和路号は第二京阪にのっていたのであります。
心配が一つ、あの名勝紅葉の馬場の今はどうなんだろう~、あの溢れかえる人の波はどうなんだろう~……、
開門と同時に一番乗り、こんなの初めて、しかもあの「紅葉の馬場」の赤色すっからかん。これはユックリ拝観出来るワイとほとんど独
り占め状態で境内を歩いたのは云うまでもありません。




▼二尊院名前由来の二人本尊、右釈迦如来、左阿弥陀如来。






[ 二尊院 ]
●山号 小倉山 (おぐらやま)
●寺号 二尊院 (にそんいん) 正式名二尊教院 華台寺
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●勅願 伝 嵯峨天皇 (さがてんのう)
●開山 伝 慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)
●開創 承和八年(841年)
●再興 法然上人 湛空上人
●本尊 釈迦如来と阿弥陀如来 (重文)
▲京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27 TEL.075-861-0687
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30 
▲JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約15分
 京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約20分 
 市バス「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩約10分




▼角倉了以が伏見城の薬医門を移築したと伝わる総門。






二尊院縁起
承和八年 (841年) 慈覚大師が創建した華台寺の旧跡と伝えられるが、以後荒廃するも法然上人の高弟湛空が再興。本堂に發遣釈迦如来と
来迎阿弥陀如来の二尊を祀るところから二尊院の名が起った。境内は楓樹が多く、本堂の後の山は、百人一首の歌で名高い小倉山で昔か
ら紅葉の名所として知られている。藤原定家が百人一首を撰んだ時雨亭は、小倉山腹にあったと伝えられている。




            ▼総門木札。






▼名残の紅葉。







▼総門横に山内マップ。







▼名高い二尊院参道「紅葉の馬場」も今やその残り香すらなく、はや冬の気配。人のいないのが嬉しいじゃありませんか。 













▼あの正面築地塀を左に行きます。







▼築地塀から参道紅葉の馬場を振り返ります。つい一週間前まで、赤いトンネルに人が溢れかえっていたそうですよ。







▼黒門。







▼勅使門 (唐門)、この門から入山します。永正十八年 (1521年) 再建。







▼勅使門から新装なった本堂が正面に。







▼本堂。永正十八年 (1521年) 再建。平成二十六年一月から今年九月まで、三百五十年ぶりの平成大改修で美しく蘇った姿です。







▼後奈良天皇による本堂宸筆勅額。







▼本堂内陣。正面奥に本尊が祀られています。







▼右「発遣の釈迦」釈迦如来立像。 ほっけん、現世から来世へと送り出す役目。
 左「来迎の弥陀」阿弥陀如来立像。らいごう、西方極楽浄土へ迎え入れる役目。
 像高両像とも78.8cm、木造、金泥塗、表面截金文様。現状態は金泥がはげ、黒地漆が露出しています。






            ▼釈迦如来立像。






            ▼阿弥陀如来立像。



このお二人本尊、そっくりですが違いはもちろんあります……、
お釈迦さんは右手を上げ、左手を下げる、阿弥陀さんは右手を下げ、左手を上げる左右対称形で、印相に若干の差があります。




▼内陣天井の天蓋。







            ▼本堂にはもちろんレプリカですが「法然上人足曳きの御影」(重文) 軸が置かれています。
            「足曳きの御影」には面白いエピソードがあるみたいですよ。







▼本堂外縁から勅使門。







▼本堂左にささやかな枯山水庭。







▼本堂裏の小倉山の傾斜をうまく使ったお庭。







▼本堂。







▼これが小倉山。標高296m、東山麓に嵯峨野が広がっています。







▼黒門から。







▼本堂にくっ付くように御霊屋、位牌堂です。







▼九頭竜弁財天堂。
 延寿財宝を得、天災地変を除滅する弁天さんをお祀りしています。殆どの神仏の功徳はこの言葉に代表されるようですネ。







▼須弥壇の様子はよく見えません。







▼九頭竜弁財天堂をチョット斜めから。






            ▼角倉了以像。



この方は、慶長十一年(1606年)荷舟が安全に航行できるように保津峡を開削し、丹後丹波と京の経済的な結び付きを強め、嵐山嵯峨野の
発展に大きく貢献した江戸初期京都の豪商、今で云うディベロッパー。角倉一族のお墓も境内墓地にあります。




▼鐘楼。梵鐘は1604年の鋳造でしたが、1992年に再鋳造し「しあわせの鐘」名付けています。旧梵鐘は鐘楼下に置かれています。
 もちろん一撞きさせていただきました。清々しい余韻です。







▼法然上人廟への参道石段。







▼法然廟。一説には湛空上人廟説もあるらしいです。







▼時雨亭跡。歌人で書家の藤原定家が百人一首選定の地遺蹟。石基壇が遺されているのみの極々小さいスペース。
 時雨亭跡については近くの厭離庵、常寂光寺にも跡地が伝わります。この手の遺跡は云ったもの勝ちかな。







▼境内から見た嵯峨野の街。







▼九日から始まった京都嵐山花灯路「いけばなプロムナード」の総門前ビッグいけばなを、きれいだなァ~と思いつつ二尊院お暇です。







▼ご朱印です。






紅葉の馬場に人がいないなんて初めて。ましてあの美しき天然、赤の世界はどこへ行ったのでしょう。自然の移ろい、季節の移ろい
は様々な顔を走馬灯のように変えてゆきます。堂宇伽藍の美をより美しく見せる樹々は、やがてやってくる白い世界に備えてひたす
ら忍び、来るべき緑のシーズンにはそのパワーを全開、グリーングラデーションの美を我々に見せてくれることでしょう。
と云いつつ、皆さん!お寺や仏像巡り、これからが旬ですよ。想像してみて下さい、山寺の人っ子一人いない仏堂で本尊と対峙する、
これ以上の贅沢はありません。ちょっとゾクゾクしますけど。

二尊院これにて オ シ マ イ





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龍安寺、未だ謎多き石庭と云いますが……。

2016年12月08日 | 京都の古寺巡り





(2016.12.03訪問)


仁和寺からきぬかけの路を東に、寂を代表する「石庭」で著名な龍安寺があります。参道や拝観受付にはすでに列が出来ています。
「石庭」を前にして拝観の人々が「鈴なり」寂どころか大盛況。ある一点を凝視している方、石の数を数えている方、目を瞑り何か
を瞑想している方などで、なかなか前列に坐ることが出来ません。
砂と石を見て皆さん何を思い、何を感じているのでしょうか。




▼方丈石庭 (特別名勝)。
方丈前庭に東西25m、南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配した枯山水庭。
室末末期に作庭されたと伝わり作庭者は不明、15個の石の意味も謎のままです。
龍安寺HPで四つの「石庭の謎」を解説してます。






            [ 龍安寺 ]
            ●山号 大雲山 (だいうんざん)
            ●寺号 龍安寺 (りょうあんじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (妙心寺塔頭)
            ●開基 細川勝元
            ●開山 義天玄承 (ぎてんげんしょう) 妙心寺五世住持
            ●開創 宝徳二年 (1450年)
            ●本尊 釈迦牟尼仏
            ●平成六年 (1994年) 古都京都の文化財として世界文化遺産に登録。
            ▲京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13 TEL.075-463-2216
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 8:00~17:00 12月~2月 8:30~16:30
            ▲HP http://www.ryoanji.jp/ 
            ▲JR・近畿日本鉄道 「京都駅」から市バス 50番系統 「立命館大学前」下車 徒歩7分
             京阪電鉄「三条駅」から市バス 59番系統「龍安寺前」下車すぐ





            ▼門前の寺号石柱。道路を挟んだ所の小さな門前に石標ががあります。






龍安寺縁起 (龍安寺パンフレットより抄出)
宝徳二年 (1450年) 室町幕府管領細川勝元が、藤原北家傍流徳大寺家の山荘を譲り受け寺地とし、妙心寺五世住持義天玄承を開山と
して創建された。応仁の乱で全山焼失、明応八年(1499年)勝元の息政元が再興したが寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を
焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とした。方丈前庭は枯山水の石庭として著名で禅苑の名刹である。




▼まだまだ赤の勢い盛んです。







▼庫裡。







▼筆勢豪快な書が迎えてくれます。書家寺西乾山が揮毫した陶淵明の漢詩です。







▼方丈 (重文) のお部屋。                  













▼石庭。                          













▼砂と石が語りかけてくれるのが聞こえますか?     







▼石庭。                          

























▼方丈扁額もシンプルですネ。







▼方丈西庭の紅葉。






            ▼さりげなく佇む石灯籠。






▼方丈北庭の紅葉、まだ青葉も混じっています。







▼吾唯足知。







▼方丈東庭。







▼東庭の龍安寺垣と秀吉がことのほか愛したと伝わる侘助椿の老木。







▼庫裡から紅葉のきれいな参道を見ると拝観者が途切れなくやってきます。







▼勅使門 (重文) 前を通って名勝鏡容池へ。







広い鏡容池の周囲は回遊路が巡り、四季の変化する景観を見せ、今こちらは錦繍の美を見せてくれています。

▼真っ赤です。







▼対岸もとりどりの美を見せ……、







▼間もなく真っ赤に彩られる路を歩き……、







▼池色の変化を見ながら……、







▼緑から赤へのグラデのトンネルを抜けると……、







▼鏡容池を見渡せる所まで来ました。池面に映る空のブルー、ことのほかきれいでした。







▼ご朱印です。






禅の心髄が込められた石庭を前にしてしばしの瞑目を、極端に象徴化された石庭と禅の奥義は如何にと、思った所で結論が出るよう
な高級な脳細胞を、ボクは持ち合わせていませんので、間違ってもそんなことは思いません。
白砂に石が15個、この単純な石庭美を「美」ととらえることが出来たらそれでエエでしょう。

謎残る龍安寺石庭、これにて オ シ マ イ





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仁和寺、宇多天皇が過ごした雅の美とは……。

2016年12月05日 | 京都の古寺巡り





(2016.12.03訪問)


真に紺碧の空、濃紺の深い空の色、一点の雲もナシ。これほどの上質なお天気に恵まれて、今日は京の都の北きぬかけの路、雅と寂
を代表する仁和寺と龍安寺にやってまいりました。仁和寺には御室桜の時期は訪ねたことはないんですが、逆に錦秋の都心寺院も訪
ねた記憶はあまりありません。紅葉情報も終わりに近づき、ぼつぼつ人出もそれなりに、と云う考えが甘かった。京の都はどこもか
しこも人で溢れ返っています。そんな中とりあえず、最高皇族が過ごした生活空間、平安の雅世界の象徴を偲んでみようと仁和寺へ。




▼仁王門 (重文)。重層楼門、五間三戸、入母屋造、本瓦葺、高さ18.7m。徳川三代将軍家光の寄進。






            [ 仁和寺 ]
            ●山号 大内山 (おおうちさん)
            ●寺号 仁和寺 (にんなじ)
            ●開基 光孝天皇 (こうこうてんのう)
            ●開山 宇多天皇 (うだてんのう)
            ●開創 仁和四年 (888年)
            ●宗派 真言宗御室派
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ●世界文化遺産 古都京都の文化財として平成六年(1994年)登録
            ▲京都府京都市右京区御室大内335 TEL.075-461-1155
            ▲拝観料 境内自由 御殿500円 霊宝館500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 12月~2月 9:00~16:30
            ▲HP http://ninnaji.jp/ 
            ▲JR京都駅より市バス26番にて御室仁和寺下車スグ。
             JR京都駅より嵯峨野線(31/32/33番のりば)→JR花園駅下車、徒歩約15分。 
             嵐電北野線 御室仁和寺駅下車 徒歩約2分。 




            ▼門前の寺号石柱。






仁和寺縁起 (仁和寺HPから抄出)
仁和二年 (886年) 第五十八代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。光孝天皇は志半
ばにして崩御、第五十九代宇多天皇が遺志を継がれ、仁和四年 (888年) に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。宇多天皇は寛
平九年 (897年) 譲位、出家し仁和寺第一世 宇多法皇となり、皇室出身者が代々門跡 (住職) を務め、平安~鎌倉期には門跡寺院として
最高の格式を保ちました。応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教な
どは仁和寺院家の真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。 応仁の乱から約160年後の寛永十一年 (1635年) 仁和寺第
二十一世覚深法親王は、幕府三代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫
宸殿 (金堂) 清涼殿 (御影堂) など多くの建造物が下賜され、正保三年(1646年) 伽藍の再建完了。創建時の姿に戻ることが出来ました。




▼仁王門右脇の阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。







▼寺景観のためにも石段下のタクシーはどうかと思いますがネ。







▼仁王門からの境内参道。







▼参道と云うよりも広場ですネ。













▼珍しやピンクの中門です。三間一戸、シンプルと云えども八脚門、切妻造、本瓦葺。






            ▼中門右に四天王のお一人持国天立像。






            ▼左に多聞天立像が睨んでいます。






▼名勝御室桜園です。これから冬に向い来春の開花パワーを溜め込んでいるのでしょうか。






            ▼五重塔 (重文)。立派な塔です。
             総塔高36.18m、一辺5.91m、寛永二十一年 (1644年) 建立。
             塔内部には大日如来、その周りに四方仏が安置されています。






▼五重塔扁額は梵字でアーク、胎蔵界大日如来を表しています。






            ▼五重塔。                          
















▼金堂への参道脇の紅葉。仁和寺は楓は少ない中で、この樹は頑張ってます。







▼金堂 (国宝)。桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 御所の内裏紫宸殿を寛永年間 (1624~1643年) に移築。
 前面戸口横の名物蔀戸は全面ベニヤで塞がれています。ハッキリ言って非常に見苦しく、理由が分かりません。







▼紅葉と金堂屋根。







▼金堂。







▼仁和寺本尊、阿弥陀三尊の中尊。阿弥陀如来坐像 (国宝)。






            ▼中尊左脇侍、観音菩薩立像 (国宝)。






            ▼右脇侍、勢至菩薩立像 (国宝)。



            (写真は三点とも、BS11京都国宝浪漫、仁和寺から複写)




▼金堂。







▼境内。







▼経蔵 (重文)。方三間、宝形造、本瓦葺。寛永~正保年間の建立。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一され
 ています。内部は釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩など六躯を安置。内部中央には八面体の回転式書架 (輪蔵)を設置。

  





▼鐘楼 (重文)。入母屋造、本瓦葺、上層は高欄付、木製袴腰。







▼御影堂中門。
 御影堂は永らく屋根葺き替えを含む補修工事で拝観出来ませんでしたが、拝観可能になりました。






            ▼門前の弘法大師碑。






▼御影堂 (重文)。祖師弘法大師空海像をお祀りしています。方五間、宝形造、檜皮葺。
 内裏清涼殿の一部を賜り、寛永年間 (1624~1643年) に再建。













それでは仁和寺境内から平安の雅、御室御殿へ向いましょう。

▼境内からの仁王門。右手前が御殿への入り口です。逆光でヘタクソが撮るとこんな写真になります







▼参道に面して勅使門が左に建ちます。もちろんココからは入れません。
 四脚唐門、前後に唐破風、入母屋造、檜皮葺。大正二年(1913年)建立。







▼彫刻の見本市風勅使門正面。







▼唐破風内の彫刻。鳳凰をはじめ宝相華唐草文様など、全てが透かし彫り、お見事としか云いようがありません。







▼さて、大玄関です。







▼先ずは白書院。







▼白書院お部屋。畳には御室流生け花が置かれています。
 昭和十二年 (1937年) に福永晴帆画伯による松の絵が部屋全体に描かれています。







▼白書院から見た南庭。広々とした枯山水庭園。中央は勅使門、右は仁王門。







▼宸殿。大正三年 (1914年) 建立。檜皮葺、入母屋造でお部屋は三室。







▼超豪華宸殿のお部屋、これぞ平安の雅。襖絵、壁画は原在泉画伯の花鳥山水画で飾られています。







▼北庭。池向こうに五重塔が。







▼渡り廊下。御殿の建物、お部屋は全て渡り廊下で繋がっています。







黒書院のお部屋は六室。全部屋、堂本印象画伯の襖絵で飾られています。

▼お部屋の一つ。







▼黒書院中庭の光と影。







▼黒書院から霊明殿へ。







▼霊明殿須弥壇。本尊 薬師如来坐像 (国宝) は秘仏のため見えるのはお前立ち像。







▼平安の雅を堪能、唐門を見納めて御殿の拝観オシマイ。






            駐車場に向うため東門へ歩いていたら、左にこんな観音さん、
            今まで全く気付きませんでした。

            ▼金剛華菩薩坐像。
             草花の生命を供養すると共に華芸上達を願い、流祖宇多法皇千五十年遠忌法要の
             記念事業として開眼供養された花の仏さま。です。







▼ご朱印です。







さすがとしか云いようがありません。超高位門跡寺院の精神が詰った豪華絢爛ではない精神的華麗さ豪華さ、境内各伽藍から御殿庭
園をはじめ部屋設えまで宇多天皇の精神は今も各所に残っているのでは。この天皇を第一世とした仁和寺は、往時の高貴な世界の精
神の拠り所として、築地塀の五本線がその歴史を物語っているようです。





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大岡寺、岡観音と親しまれている古刹です。

2016年12月01日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.11.26訪問)



明王寺から水口の街中へと走ります。R307号沿いにこれから訪ねる大岡寺はあります。境内は閑かで参拝者はいません。取り敢えず
庫裏のベルを押しますが反応なし、柱にメモ、人がいない時はこちらに電話して下さいと番号があったので、電話をするも反応なし。
著名な重文薬師如来像に会いにきたんですが、収蔵庫は当然のことながら締め切りでした。




▼参道入り口。






[ 大岡寺 ]
●山号 龍王山 (りゅうおうざん)
●院号 観音院 (かんのんいん)
●寺号 大岡寺 (だいこうじ)
●宗派 天台宗単立 (てんだいしゅうたんりゅう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●創建 伝 白鳳十四年 (686年)
●本尊 十一面千手観音 (秘仏) 
▲ 滋賀県甲賀市水口町京町1番30号 電話 0748-62-8080
▲拝観料 無料 
▲拝観時間 自由
▲近江鉄道「水口駅」から徒歩で15分
 JR草津線 「貴生川駅」下車 車10分
 JR草津線 「貴生川駅」下車  はーとバス和野行「本水口」バス停下車すぐ
 新名神高速道路「甲賀土山IC」から15分 
 新名神高速道路「甲南IC」から15分




▼大岡寺縁起。







▼山門。

 




            ▼山門の寺号木札。






▼山門からは正面に本堂が見えます。







▼境内一望。後の山は282.9mの古城山。







▼こんな樹勢を見ると紅葉真っ盛りと思うでしょ。そうじゃないんですよ、いいとこ撮りです。







▼木製袴腰の鐘楼。







▼まだ緑葉が残っているのですがどこか淋しげ……。







▼本堂。一見今にも崩れ落ちそう、非常に気の毒な姿に見えます。   
 桁行三間、梁間四間、二重屋根、寄棟造、本瓦葺、享保十三年 (1753年) 建立。
 昭和五十四年 (1979年) 上層屋根が崩壊し現在
 トタン葺になっています。













▼本堂前面は格子と左右は蔀格子戸。







▼寺号扁額。軒下の地板と垂木の悲惨な状態、波打つ瓦悲壮感漂いますネ。







▼全面の格子の小さな窓から覗いてみました。
 内陣は四天柱を建て、後方に須弥壇があり、内部は豪華に荘厳されているようです。






            ▼本尊は秘仏なのでこのお像はお前立ち像か、両手に錫杖をお持ちの千手さんです。






▼本堂。







▼こんなに元気なのもまだいます。

        




▼本堂隣の行者堂。







▼堂内背面を繰込んだような室にまるで牢屋のような格子が嵌り中に錫杖を持った像が見えます。どなたでしょうか。







▼行者堂。右に見える大きな鉛筆、奉修鉛筆供養、進学祈願法要と書かれています。







▼これは新しい六地蔵。






            ▼宝篋印塔。






▼山の紅葉も枯れ葉色になりつつですネ。







▼放生池です。






            ▼こんな方がお立ちです。お釈迦さんかなァ~、チョット機嫌が悪そうです。






▼鎮守社か、諏訪大社本宮と鳥居額に書かれています。







▼放生池に架かる石橋も波打ってますが。







▼境内一角に石仏が集められています。

        




▼放生池のきれいなモミジを見ながら大岡寺お暇です。







▼ご朱印です。庫裏玄関の箱の中に一枚残っていた書き置きを朱印帳に貼り撮りました。






水口の由緒ある古刹だそうですが、本堂の酷い姿には驚きました。過去に重層屋根の上層が崩壊し、急遽の修復でトタン葺で赤い
色が塗られ如何にもやっつけ仕事そのものに見え、すでに数年経つそうです。写真をご覧のようにお堂の体を成していません。こ
ういう哀しい姿を見ると、地方のお寺の経営の苦しさ、維持管理のしんどさに同情します。檀家さん頑張ってネ。





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