塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョの胸中を察する

2012-07-23 23:26:44 | 日記
 モウリーニョはファーガソンはベンゲルとは異なり、ひとつのクラブで腰を据える事
をしません。

 インテルからレアルに移籍して今年で3年。

 いよいよ集大成の時期が来たとかんがえているはずです。

 1年目で国王杯、2年目でリーグ優勝とくれば、3年目の今季は欧州王者と世界王者
を目ざすのは当然の成り行きです。

 イグアインとの再契約が成功し、モドリッチの獲得に固執するのも、2002年以降
味わっていない

 「ビッグイヤー」

 を口付けする時期が到来したと、モウリーニョが考えている為でしょう。

 彼自身優勝すれば、2004年のポルト、2010年のインテルに3度目の欧州王者
という快挙を経験します。

 しかしモウリーニョはトヨタカップを含む、クラブ世界一にはなっていません。

 2004年は既にチェルシーの指揮官としてロンドンにおり、2011年はレアルで
バルセロナと鍔迫り合いをしていましたから、彼の姿はどちらの場合もベンチにありま
せんでした。

 短期で鞍替えするモウリーニョですから、今季目標を達成すればマドリードを離れ、
いよいよポルトガル代表監督に色気を見せるかもしれません。

 そうすればロナウドは大歓迎でしょうし、この稀代のウイングが最盛期を迎える今が
モウリーニョ就任の最大の機会と言えるはずです。
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モウリーニョ、カカと個人面談を行う

2012-07-23 23:14:46 | 日記
 その時に流れに今、必死になって歯向かっているのがカカです。

 ゴール・コムの報道によると、モウリーニョがカカと面談を行い今季の出番が更に減少
すると伝えたそうなんです。

 2009シーズンのレアル加入以降、フィットネスの問題もあり同時期に移籍したロナ
ウドの陰に隠れてしまったカカ。

 当時の代表監督ドゥンガが、本大会に向けた代表遠征にカカを据えたため、無理をして
しまったことも彼には不利に働きました。

 実はレアルの現会長ペレスが再選を果たす前から、レアルはこのブラジル代表を執拗に
狙っていました。

 例えばワールド・サッカーグラフィックの2007年6月号82ページでは

 「私の獲得した選手の名前が記されている石碑には、まだカカの名前は彫られていない。」

 という前会長のカルデロンの言葉が記されています。

 もし彼が2009年ではなく、チャンピオンズ・リーグとバロンドールを得た2007年
にミランを袂を分けていたら、という想像は無粋ですが、ファンなら勘ぐりたくなります。

 当時のレアルは選手を乱獲しており、加入した

 ファン・デルファールト(オランダ代表)
 アリエン・ロッベン(オランダ代表)
 ウエズレイ・スナイデル(オランダ代表)
 ガブリエル・エインセ(アルゼンチン代表)
 ハビエル・サヴォイラ(アルゼンチン代表)

 と在籍したもののその選手の殆どが、他のクラブでプレイしています。

 また監督もカペロにシュスター、ファン・デ・ラモスと相次いで変わりましたから、怪我
に悩まされなかった当時のカカでも、思うような活躍は出来なかったかもしれませんが。

 それでも周囲は全盛期のカカを思い、深いため息を本人と共につくのです。
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時の流れの残酷さ、そして優しさ

2012-07-23 23:07:33 | 日記
 時の流れはきまぐれに、人の人生に影響を及ぼします。

 僕はたまに思う時があります。

 もしイビチャ・オシムが脳梗塞で倒れることなく代表監督を続けていたなら、南アフリカ
ワールドカップで日本代表はどんな勇姿を見せたのか?

 もしオシム政権が存続していたならば、岡田政権発足後に代表とは疎遠となったレッズの
鈴木、当時はジェフの主力であった山岸や羽生は、ワールドカップに参加できたのか?

 もちろん予選の功労者が本戦に参加できないことは、何ら珍しくありません。

 中村俊輔が遂にワールドカップとは縁のないまま代表を退き、五輪代表も大迫と原口が
落選しましたしね。

 時の流れが選手に優しいか、それとも背を向けるかは、年齢の問題もありますし監督の
好みもありますから一概には言えません。

 どんなに体調に気を配り、リーグで結果を残してきても代表監督が見向きもしない例も
あります。

 2010年の前田遼一がそうでした。

 2006シーズン、すぽるとでは

 「セルティック 中村俊輔 UEFAチャンピオンズ・リーグ」

 と中村の一声で映像を流していましたが、今はこの欧州最高峰の舞台が孤高でなくなり
つつあります。

 時代は確実に流れ、そして選手を取り巻く環境も激変していますね。
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新しい環境に馴染む、喧騒と静寂

2012-07-23 01:27:03 | 日記
 皆さんも勤務上、配置転換や部署移動を経験されていると思います。

 例えばスーパーでは一口に食品といっても、畜産、水産、農産、デイリー(乳製品)
などその部署は多岐に渡ります。

 ですから同じ店舗でも、部署が異なれば当然仕事の進め方や取引先が違いますし、中々
思うようにいかず、落ち込む方だっています。

 僕が知っている限り、嫌になって退社した人数は結構な数に昇りますし、それは以前
勤めていた本屋でもそうですし、かつての僕もそのひとりです。

 同じ日本語を話す人間がいる中でこれだけ苦労するのですから、周囲からありとあらゆ
る喧騒は飛び交うサッカーの移籍は、本当に大変だと思います。

 ですので香川が落ち着いた環境で早く練習できるようになれば良いのですが。

 サッカーの場合、移籍する際その金額は元のクラブで活躍したことが評価されます。

 しかしアザールにしてもイブラヒモビッチにしても、ロンドンとパリの街並みに感化
するには、当然時間が必要ですし、時にメディアが

 「騒ぎすぎ」

 だと思います。

 現在町田ゼルビアで指揮を執るオジー・アルディレスが、ワールド・サッカーグラフィッ
クの2007年6月号で

 「日本は最低1年間は待ってくれる」

 と、僕たちの我慢強さを評価していました。

 この文章は名物コラム「菊とフットボーラー」に記されており、僕は機会があれば読み
直すようにしています。
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