塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

シティ、ユナイテッドとの勝ち点差は10に

2013-02-03 23:06:42 | 日記
 劇的という形はどこか陳腐ですが、2012シーズンのプレミアの覇権をシティが奪ったことは、ユナイテッドと
チェルシーの間を行き来していることに飽き飽きしていたファンを、随分満足させたはずです。

 とくに44シーズンもの間、リーグ優勝から離れていたシティですから、どんな形であれ優勝の喜びは格別だった
のは間違いありません。

 ファンはこの

 「劇的」

 という形に、目くらましを受けたのではないでしょうか?

 現在シティはユナイテッドと勝ち点10の差をつけられ、チャンピオンズ・リーグでも既にグループ・リーグで敗
退しています。

 あのアグエロのゴールがクイーンズ・パーク・レンジャーズゴールに突き刺さった瞬間、ファンの誰もが

 「ユナイテッドに追いつき、今追い越した!」

 という幻想に囚われたのかもしれません。

 確かにシティは昨年の王者です。

 しかし現実はユナイテッドと同じ勝ち点89はユナイテッドと同じであり、アグエロのゴールが生まれていなかった
なら、シティは2位でシーズンを終えていました。

 つまり

 「周囲、そして本人たちが思うほど、シティはユナイテッドとの差を埋めてはいない」

 という見解が今シーズンは成立します。

 インテル時代もそうでしたが、マンチーニはある一定の時期を迎えると、理由はわかりませんが主力と意思統一が
出来ず、クラブを去る傾向にあります。

 今、マンチーニはインテルでフィーゴと対立したのと同様、主力達との不和が聞こえています。

 「ユナイテッドとの差はファン・ペルシ」

 と語り、テヴェスが

 「マンチーニの批判はモチベーション」

 と唱えるなど、小さな亀裂が大きなほころびにならないと良いのですが。

 やはりどんなクラブでも意思疎通を常にはかり、連覇を狙うことがどれだけ難しいかがシティの現状をみるとよくわ
かります。

 (参考資料 ゴール・コム 2013年2月3日
       ワールド・サッカーダイジェスト 2012年6月21日号)
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遠藤の代役問題、果たしてその根底にあるものは

2013-02-03 22:52:31 | 日記
 昨年ガンバが降格した瞬間に頭を過ったのは

 「代表に遠藤を呼ぶのはしんどいな。」

 というもので、同意する方も多いと思います。

 逆に言えばこの問題、オシム政権が発足そた2006年の秋から2013年の現在まで、全く手つかずのままおよそ
7年の月日が経過した形です。

 遠藤はジーコ政権でも招集の常連でしたが、ワールドカップ本戦はベンチから戦況を見つめているだけでした。

 中田、福西に実力、コンディションの面で劣っていたようには思えませんが、ガチャピンと自分でも指摘する飄々と
した風貌が、ジーコの誤解を招いたのかもしれません。

 しかし、その後成立した3政権ではいずれも中盤の要として君臨し、

 「J1に留まりながらでも、成長できることを証明してくれた稀有な選手」

 と、専門誌が評価するまでになります、

 僕はオシム、岡田、ザッケローニのいずれも

 「遠藤の実力はわかっているよ。だから招集しないだけで皆さんも彼の力は知っているでしょう」
 「遠藤が累積警告や試合中に負傷した際、慌てふためくような事態は避けたいからね。」

 というように、彼の離脱を思い浮かべていた節が全くありません。

 つまり、

 「遠藤が風邪をひいたならば、日本全体が風邪をひく」

 という現在の現象は、歴代の監督たちが遠藤の代役、言い換えれば中盤の活気づけを怠ってきた形と言えます。

 遠藤に限らず監督から出場を伝えられたなら、よほど体調不良でない限り出場しなくてはなりませんし、逆に言えば
遠藤自身をもうならせる後輩の出現も無かったのでしょうか?

 今高橋がわずかではありますが、出場時間を得るようになりましたがザッケローニが90分彼を起用する気配はあり
ません。

 2014年の夏、

 「遠藤の代役は誰が最適か?」

 という話題が日本を席巻する形にならないことを祈ります。
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アンチェロッティと3人のオーナー達

2013-02-03 02:11:48 | 日記
 あくまで僕の主観ですが、恐妻家の場合常に横から妻が口を出す印象があります。

 夫のやることなすこと、その全てに口を挟み否定的な意見を吐き、にも関わらず自信を持ちなさいよと告げられた日に
は、開いた口がふさがらないのではないでしょうか?

 ザンパリーニの癇癪も監督からすればはた迷惑な代物ですが、自分の希望する布陣を強要し、独断で獲得した選手の起
用を押し付けられるのも、監督からすればうんざりでしょうね。

 僕はアンチェロッティを見るたびに

 「彼はよくやっているな。」

 と痛感します。

 アンチェロッティの十八番である4-3-2-1に対し、ベルルスコーニは2トップを要望しその違いがメディアに騒
がれる要因となりました。

 チェルシーでもフェルナンド・トーレスとドログバの併用という難問をアブラモビッチから提示され、表面上は至って
涼しい顔で4-3-1-2を導入します。

 そしてPSGではただでさえ各国代表がひしめくなか

 ルーカス(ブラジル代表)
 ベッカム(元イングランド代表)

 の加入が決定し、ベンチも更衣室もその様相はまるで世界選抜の慈善試合のような形になっています。

 それでもアンチェロッティはオーナーの強権に噛みつくことなく、その戦力を最大限に活用する術を必死に編み出そうと
しています。

 オーナー側からすれば、この一見従順に見せる態度、これがアンチェロッティ招聘の理由になるでしょうし、その反面
首を切りやすいをおもっているのでしょう。

 アンチェロッティはクラブ・マネージメントをアリゴ・サッキから学び、パルマで監督業を始めた際は今のような受難性
に乏しく、エースのゾーラをチェルシーに手放し、バッジョの加入に嫌悪感を示したくらいです。

 4-4-2に固執する時代から、より柔和な形へ。

 この臨機応変に姿勢を変化させたことで、彼は今の名声を得ましたがむしろもっと安穏とした生活を送りたいのではない
でしょうか。
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恐妻家という存在、オーナーと指揮官の関係

2013-02-03 01:59:03 | 日記
 僕も結婚はしてみたいと思う反面、結婚には向いていないと思います。

 ですが長男である以上、僕が妻を迎えない限り我が家の存続は出来ませんから、致し方ないと思うようにしてい
ます。

 僕が結婚で一番恐れて例る事、それは妻が実は周囲と夫に怒鳴りちらすような乱暴な女性だと気付かず結婚する
ことで、世間一般ではこの点を

 「恐妻家」

 と呼びます。

 風呂と手荒い、寝室以外では常に妻の発言と存在におびえているかれのような生活はまっぴら後免ですし、言いたい事は
普通の声で伝えて欲しいではありませんか。

 物にあたったり、意味なく大声を挙げることは相手を侮辱していますし、自分を尊大に見せるはしたない行動だと
思うのです。

 恐妻家をサッカーで例えるならば、夫が監督、オーナーが妻と言えるでしょうね。

 最適の例がパレルモのオーナーであるザンパリーニでしょう。

 彼が2000年代初頭、ヴェネツイアのオーナーを務めていた際に名波浩が移籍したことで、その存在が日本でも
知られるようになりました。

 確かに彼は商才のある人間で、ルカ・トニのフィオレンティーナへの売却が記憶に新しい所ですし、近年ではウル
グアイ代表のカバーニをナポリに躊躇なく売渡し、大金を手にしました。

 それ以上に有名なのが、ザンパリーニが見せる独断専行の監督交代であり、人々は彼の癖を

 「癇癪」

 と捉えています。

 ヴィッセル神戸の三木谷社長にも見受けられますが、商才に長けた人物は監督人事をある意味不採算部門と捉えている
可能性があります。

 不採算なら潰してしまうか、新しくやり直したらいい。

 ビジネスという物中心の世界ならまだ良いののでしょうが、人間という感情のこもった相手を前にしては、これだけ度
重なる監督交代が相次げば、選手は困惑し監督からも恨まれてしまいます。

 ザンパリーニの顔色を伺いながら指揮を執る監督は見ていて貧弱な気がしますが、そうでなければ彼は無職になってし
まうわけで、プロの世界でも労わりの新庄は必要だと思いますね。
 

 
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