塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

連呼された28年振りというフレーズ

2013-02-11 23:34:08 | 日記
 日本五輪サッカーを語る上で常に引き合いに出されるのが、1996年のアトランタ五輪で起きた

 「マイアミの奇跡」

 ですが、それ以前に日本は1936年のベルリン五輪でスウェーデンに3-2で勝利を得ると言う大金星を達成して
います。

 確かに五輪でブラジルを破ったことは一大センセーションを巻き起こしましたし、最終予選の対サウジアラビア戦で、
西野監督がアル・ドサリに白井博幸をマン・マークに付けて見事2-1で勝利するなど、当時の五輪代表の戦いは大き
な意味合いを持ちました。

 彼らのアジア、そして五輪での振る舞い、それがフランスへ向けての試金石になった面は確かにあります。

 しかし、五輪には出場したという確固たる歴史があり、ワールドカップ未体験とは別の意味があったことも間違いあ
りません。

 当時は

 「28年ぶりの五輪」

 というフレーズが連呼され、サウジアラビアに勝利しアトランタへの切符を手にした瞬間、川口は泣き崩れ主将を任命
された前園は、日の丸を背にしてスタジアムで凱歌を挙げました。

 しかし、それはあくまで「28年振り」であって、「初」ではありませんでした。

 ですから「無理」という言葉は、選手を取り巻く環境が知らず知らず内に無理という感情を巻き起こし形になりました
し、石井政権で中国に引き分け、ソウル五輪に出場できなかった記憶など、どうしてもマイナスの空気が漂っていました。

 結局行きつくところは

 「強い信念」

 というある意味、今とは逆行した気持ちの部分が強いのかもしれません。

 強い精神と持つにはどんな練習をすべきなのかわかりませんが、メンタルの弱い僕には厳しい現実です

 (参考資料 サッカー・ダイジェスト アトランタ五輪展望号 日本スポーツ企画出棺
       後藤健生 日本サッカー史代表編 双葉社)
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無理と言う言葉

2013-02-11 23:24:38 | 日記
 僕たちは日常の中で「無理」という言葉を用います。

 この言葉にはふたつの意味合いがって、例えば「そんなの無理だよ」という仲間内で使う相槌の意味、もうひとつは本来
の意味での無理、言い換えれば出来ないという事です。

 真剣な意味合いで「無理」というのは、ある意味自分で勝手に壁を作っているからと批判されるかもしれません。

 しかし誰しもが全てにおいて成功体験があるわけではなく、無理はという概念の背後には成功した向きが少ない、もしくは
全くないことを意味します。

 例えば日本代表がワールドカップに初出場した1998年、出場に最も近付いたのは1993年と、その歩みは最近の事
であり、それまでは途方もない代物でした。

 ですから選手もファンもその殆どが無理と思っていましたし、カズ、ラモスはその現状を打破しようとしましたが、王国
ブラジルにルーツがある彼らですら、ワールドカップは未体験でした。

 1993年、日本はJリーグが開幕し、バブル経済が破綻したとはいえまだ経済に活気がありました。

 もし仮に

 「ジャパンマネー」

 を駆使して世界に名の知れた指揮官、極端な話クライフやメノッティなどの対戦相手がそれだけで萎縮するような存在を
招聘しても、意味は無かったでしょう。

 それは指揮官と選手の力量が乖離しすぎており、監督の要求をこなせるだけのフィットネスと戦術理解はできなかったで
しょう。

 確かにオフトはワールドカップ未体験でした。

 でも「無理」とは言いませんでしたが、彼も穿った言い方をすれば世界での成功体験は乏しいものでした。

 その無理を突破できたのは、川口、城、そして中田という五輪代表の存在があった為ですが、それ以前に五輪には出場し
ていたわけですから、比較するには若干の無理があったことも事実です。
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ロマーリオが見せた揺さぶり

2013-02-11 01:11:40 | 日記
 先日のラトビア戦で岡崎を1トップに起用した背景には、前田とハーフナーという空中戦に秀でた選手がいる反面、
敏捷性に優れて相手センターバックをう惹きつけるFWがいないという点を考慮したものでしょうか。

 それは監督の選手選考も無関係ではありませんが、岡崎と前田のいずれかが左右にマーカーを惹きつけ、ボックス
中央に本田、香川が突進するという形。

 この点をザッケローニ監督は示唆したのでしょう。

 大津が右サイドで途中出場を果たしましたが、左翼では宮市の復帰が待たれますがF・マリノスの斎藤を使っても
面白いと思います。

 彼がドリブルに秀でていることは知られていますし、カットインしたサイドの空間をサイドバックが駆け上がると
言う構図は単純でしょうが、威力は十分にあると思います。

 代表歴のあるレイソルの田中も、コンディション次第では当然復帰するでしょうが。

 代表というのはどんなに秀でた選手でも、代表監督とその戦術の相性が悪ければ、望んでも招集されないものです。

 ブラジルではエジムンドやロマーリオが規律の面で感得から敬遠されることがありましたが、ロマーリオの態度は
いつでも

 「傲慢不遜」

 な物でした。

 それは彼が常に

 「俺を使わなければ監督が困るだけ」

 と唱えている為で、実際ロマーリオの素晴らしいゴールが歴代の代表監督を助けてきたことは間違いなく、だから
こそロマーリオからすれば

 「いずれ監督が請う形になる」

 ことを見抜いており、メディアを通じて揺さぶりをかけていました。

 日本では越権に近いこの形は受け入れられないでしょうが、朗らかな態度で微笑みながらザッケローニ監督に訴える
方法があるでしょう。

 序列は一段ずつではなく、飛び越える形が一気であってもおかしくありませんから。

 
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デジッちで見る先輩、後輩の間柄

2013-02-11 00:58:14 | 日記
 Jリーグ公認企画となり、更なる人気企画に昇格したやべっちFCの名物企画「デジッちが行く」

 この映像だけで判断するならば、選手たちは宿舎でただはしゃいでいるように思えますが、当然この時期にかけられる
負荷は相当な物で、映像に映っていない場所ではマッサーとドクターが、選手の体調管理を徹底しているはずです。

 番組内でも出てきましたが

 「移籍組なので怪我はしたくありません」

 という声が、大変切実に感じました。

 僕は先輩と後輩の間柄が凄く嫌で、山梨学院在籍時はサークルはおろかゼミナールすら選択しませんでした。

 僕が女性とうまく距離感が計れないのも、こうした他人と接する機会を敬遠してきたことが理由だと感じています。

 僕はかしこまっているわけでもなく

 「その服素敵ですね、どこで買ったんですか?」
 「販売の方ですか、僕もそうなんです。」

 というように穏やかに、時には相手を褒めながら会話を行うように心がけていますが、成功していないことを踏まえ
ますと、やはり相手が不愉快に感じる事があるにもかかわらず、僕が気づいていないのかもしれません。

 今回のデジッちでは、F・マリノスの中村と栗原の寝顔が紹介されましたが、風通しが良いのか単なる受けを狙って
の代物なのか、良く考えてみる必要がありますが、ある意味無礼講なのかもしれません。

 僕は先輩から野次られたり、意味のない練習を課せられ卓球部に入部するのではなく、無所属にすれば良かったと思
う時は幾度もありました。

 でも学校は進級があり必ず上級生は卒業します。

 しかし企業や法人ではウマの合わない人間とも付き合わねばならず、僕のように個人で動くことを望んできた人間に
とって、この上下関係は非常に大変です。

 ある意味では無意味なこの上下関係を理解しないと、外国籍選手の混乱は拍車がかかるでしょう。
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