塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スウェーデン、アンブロからドイツの老舗へ

2013-02-16 23:05:50 | 日記
 スウェーデン、サプライヤーをアディダスに変更しましたね。

 僕は2013年新作をフットボール・マックスで見ることが出来ましたが、同じくリニューアルしたスペインと比較
しますと、そのシンプルさに好感が持てます。

 スウェーデンは2012シーズンまでアンブロと契約していましたが、それ以前はアディダスを指名していたんです
ね。

 90年代前半はナイキがサッカーに本格参入した時期で、この頃から現在まで続く両者のつばぜり合いが始まったの
です。

 90年代前半のアディダスはショルダーの部分に、ブランド・アイディンティティである3本線をダイナミックに配
置する思い切ったデザインを展開していました。

 無効とはなりましたが93年のチャンピオンズ・リーグを制覇したマルセイユ。

 もし彼らの写真を雑誌で見ることが出来る方は見てください。

 今とは比較にならないくらいのジャンボな3本線が肩に描かれていることがわかります。

 逆に言えばそれまでライバルはプーマやアンブロだけだったアディダスが、ナイキという振興ブランドから追われる事
に危機感を持っていた証になります。

 当時のアディダスは巨大市場である北米で全く結果が出せず、特にバスケットの世界ではナイキだけでなくリーボック
にも勝てない状態でした。

 この3本線をデザイン化した背景には

 「古豪の意地」

 も隠されていたに違いありません。

 ナイキはその独創的なデザインと革新的なテクノロジーで、常に業界の先頭を走ってきましたが彼らだっていつか衰退
する可能性はあります。

 それだけスポーツ・ブランドの競争は厳しく、だからこそ傘下に収める企業も含めて業界再編が繰り広げられるのでしょ
う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラブとスポンサーの在り方、大学生の就職はどうか

2013-02-16 22:48:49 | 日記
 今季よりテクニカル・スポンサーをブラジルのフィンタに変更し、クラブ名も

 「ザスパクサツ群馬」

 に改めるザスパ草津。

 距離的に近いせいか長野パルセイロは彼らのU-23というよく練習試合を行いますし、今季よりコーチに就任する籾谷
と昨年引退を表明した佐田は、このザスパから移籍してきた選手でした。

 ちなみにザスパを長年サポートしているスーパーマーケットの

 「ベイシア」

 は長野市、千曲市にも出店しており、実は僕は山梨学院時代ベイシアの新入社員に募集し、面接で落選した経験を持ちます。

 他県のスーパーですが、ベイシアは長野市周辺でも広く親しまれているのは間違いありません。

 こうして改めて周囲を見回してみると、現在のJリーグは全国区、地元展開関係なく数多くの企業の賛同を得て成立してい
ることがわかります。

 例えば長野パルセイロは胸スポンサーに長野都市ガスと言う、地元に根差した企業をロゴを付けていますし、山雅は信濃毎
日新聞と並ぶ長野県を代表する企業

 「エプソン」

 の支援を受けています。

 こうしたスポンサーとクラブの関係を煮詰めていくのも、サッカーを学ぶ上で大切だと思います。

 もし僕が今大学4年生ならば

 「長野パルセイロを支援する企業」
 「松本、木曽方面に営業所が無い会社」

 を面接したいと思うでしょう。

 パルセイロのホームページには協賛企業が掲載されており、すべての企業が新入社員を募集しているとは限りません。

 ですが自分の贔屓クラブを支援する企業で働けたらと願う学生ファンは案外多い気もしますし、その情熱が仕事でも大きく
開花するかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

センター、それはアンドレア・ピルロのこと

2013-02-16 01:50:29 | 日記
 大島さんと前田さんの立ち位置を現す言葉、それがセンターですね。

 現代サッカーでもセンター、言い換えれば中盤に優れた感覚を持つ選手がいれば、次元の異なるサッカーを監督は
展開できます。

 アンドレア・ピルロ

 イタリアには90年代、ディメトリオ・アルベルティーニという素晴らしいレジスタが存在していましたが、ピルロ
は既にこの

 「メトロノーム」

 と呼ばれた名手を確実に凌駕しています。

 もし2010年の夏、彼が敬愛するアンチェロッティの誘いに応じチェルシーに移籍したならば、ジャンフランコ・
ゾラを凌ぐ支持を得た可能性もあるでしょう。

 今PSGに在籍するマルコ・ヴェラッティがピルロが引退した以降のアズーリの核になると言われていますが、この
不世出の名手を過去に消し去る作業は容易ではありません。

 遠藤保仁がいない日本

 僕たちもいずれこの現象を受け止める必要があるのですが。

 ピルロの素晴らしさを僕なりに観察しますと

 1・欠場の少なさとカードをもらわない落ち着いた態度
 2・優れたフリーキックとパスの精度
 3・広い視野を確保し、味方フリーマンを瞬時に理解できる

 この3点になるのですが、インテル、ブレシャ時代、彼の前にロベルト・バッジョが存在したことも有名ですね。

 故障が少ないのはピルロがアンチェロッティに直談判し、一列下の位置、現在のレジスタで起用して欲しいと願いで
たことも影響しているでしょう。

 つまり前線でプレスの包囲網のかかるよりも、確実に味方の姿を確保できるレジスタの位置こそが、彼が輝く最善の
場所だったのです。

 AKBのファンの多くは大島さんがセンターの位置にいることを、半ば当然と考えているものでしょうか。

 イタリアと日本の関係者は、ピルロと遠藤が代表を退いた後に背筋が寒くなる思いをしないよう、今から手を打つ必要
があります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両雄並び立たずに解決策はあるのか

2013-02-16 01:34:25 | 日記
 もう在籍していませんが前田敦子さんがAKB48在籍時、大島優子さんとその人気を二分していたことは僕も
知っています。

 今振り返りますと、ふたりの間柄は60年代のアズーリを象徴するふたり

 インテルのサンドロ・マッツオーラ
 ミランのジャンニ・リベラ

 と同じ意味合いを持っていたように思えます。

 60年代も2010年代の今も、優れたMFが共存できるか否かは常に議論の対象となります。

 例えば今日本も、4-2-3-1の3の中央を本田、香川のどちらを先発させるかで意見が分かれますが、ふたり
がポジションを固定せず、流動的に動き回ることでその問題点を解決しようとしています。

 「両雄並び立たず」

 という言葉は、当時彼らのためにあったようなものでした。

 1970年のワールドカップ、イタリア代表指揮官バルカレッジはマッツオーラとリベラを同時起用ではなく、

 「スタフェッタ」

 と呼ばれるリレー方式を用い、ふたりの出場時間を確保しようとします。

 前半をマッツオーラ、後半にリベラを出場させるこの方法論は、守備力に問題を抱えるふたりを同時に起用する事
で無意味な失点をしたくないという思惑があったのは間違いないでしょう。

 今ならば3-3-2-2でふたりを同時に配置し、後方の6名で守備ブロックを形成する案も浮かんだでしょうが、
当時はそうもいかなかったのですね。

 この70年ワールドカップ、アズーリの前線にはあのジジ・リーバが存在していましたが、リベラを含む大抵の選
手がリベラと距離を置いており、決勝のブラジル戦のリベラは

 「6分間」

 しかピッチに立たなかったのですが、スタフェッタが用いられなかったのは今も解明されていません。

 もしコンサート中、謳っている最中に前田さんと大島さんの位置が突然入れ替わったなら、観客は唖然とするでしょ
うし、同様の光景が70年のイタリアで見られたのです。

 (参考資料 日本スポーツ企画出版 サッカー・ダイジェスト 伝説のライバル)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする