塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本ではどうして海外のモデルを起用するのか

2015-11-09 00:24:22 | 日記
 今ミズノの公式ホームページを閲覧して苦笑してしまいました。

 米村伝次郎先生が今年もブレスサーモの音頭をとっているのですが、コレクションの中には迷彩のような、ミズノらしからぬ意表を突いたデザインもあったのです。

 「へえ、面白いことするなあ」

 と思うと同時に、そのブレスサーモを海外の方がモデルとして登場していたことで、苦笑につながったというわけです。

 日本の服作りは世界でも評判ですよね。

 それはイッセイ・ミヤケのようなデザイナーが手掛けるものだけでなく、ムーンスターのような高い品質で製造された工場製品にも通じます。

 でも、それらを着て颯爽と誌面に登場するのは、その多くが海外出身のモデルの方たちになります。

 日本はやはり海外の方と比べると身長、肩幅で劣りスーツを含めて見栄えが良くないのかもしれません。

 僕がプロのバスケットの試合を見る度に

 「なるほど、アフリカン・アメリカンの方の跳躍力、躍動感はすごいなあ」
 「サッカーでも、海外に出た日本代表選手たちは、こうした骨格や筋力のハンディを考えながらプレイしているのか」

 と感じるものです。

 でも、日本の服はやはり日本のモデルが来たほうが親近感があると思いますね。

 「これ、日本人がモデルなんだね」
 「なんか僕にも着れそうだよ」

 という親近感を持たせることも必要ではないでしょうか。

 ちなみに、昨日とある洋服屋さんで無料のカタログをいただきましたが、そのモデルもやはり海外の方でした。

 サッカーに限らず僕たちは

 海外の方は見栄えが良い
 僕たちは体格が劣る

 というマイナス点を覆すときかもしれません。
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どうしてサッカーは、冬のスポーツなのだろうか

2015-11-09 00:05:44 | 日記
 昨日参加した英語検定の試験会場では、係員は男女問わずスーツ着用で案内をしていました。

 女性の方は個人の判断で、パンツ・スーツかスカートかを選択していましたが、パンツ・スーツの方でも受付ではひざ掛けを愛用していました。

 昨日、千曲、長野のいずれも曇天で僕は上下ブレスサーモを着込んで行きましたが、それでも順番待ちの時は寒いくらいでしたから、ひざ掛けを必要だろうなと感じた次第です。

 長野県独特の議論かも知れませんが、毎年今の時期になると

 女子学生がスカートの下にジャージを履いて登下校することはどうなのか
 ジャージの着用を認めるべきか否か

 という議論が起こります。

 つまり

 1・見てくれの問題
 2・寒さと健康を考慮した際、認めるべきではないか

 というものですば、ならばパンツ・スーツも準備して勝手に取捨選択してもえばよいのではないでしょうか?

 パンツとスカートを準備することは、確かに費用が掛かりますが。

 これらを考えますと、サッカーもどうしてウインター・スポーツとして発達したのかな?と感じます。

 モスクワ、ドネツク、ストックフォルムにトロンヘイムとロシアやウクライナ、北欧という降雪地帯でもサッカーは冬の競技として定着していますが、ドネツクでは氷点下30度でも、試合をせねばならないそうです。

 これがハンドボールはバレーボールのように

 競技場の雪かきしなくてよい
 暖房設備のある室内競技

 ならばわかりますが、2014年の甲府のように、降雪でヴァンフォーレとアントラーズの試合を国立で行う例がありましたよね。

 しかも、今はその国立ですらないわけですから、試合が滞ってしまう可能性だってあるわけです。

 ジャンルイジ・ブッフォンが代表デビューした対ロシア船は大雪で、蛍光ボールの使用だけでなk、ワールドカップのプレイオフという、ブッフォンにとって大変な状況でした。

 以後、代表の主軸として活躍する彼を見ると、改めて空恐ろしさを感じます。
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