塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

言葉で周囲に気づかいをみせること

2015-11-26 01:46:42 | 日記
 他人に寄り添うという姿勢は、そんな簡単にできるものではありません。

 例えばサッカーの場合、仮に50000人の観客が集まったとし、ボランティアの方が500人と仮定しますと、一人で500人を相手にする勘定となります。

 ですから僕は観戦に出かけた際は、ファンがボランティアの方を向くほうが融通が利くと考えています。

 寄り添うという形で僕が実践しているのは「翻訳」です。

 つまりご年配の方にはストライプを「縞柄」、チェックを「格子」というように言い換えますし、ダウンは羽毛、中綿は半纏の素材というように、具体例を出すことで、お互いが連想ゲームのように

 「このことだね」

 とわかるようにするのです。

 また、意図的にゆっくり。ゆっくり話すことで、お互いの呼吸を合わせます。

 その反対が携帯電話売り場でしょうか、僕は音痴であることを自認していますから、前もって情報は仕入れてゆくほうですが

 「この何とか割引というのは何だろうか」
 「どうして自分のほしい機種が無いのかなあ」

 と思っても、あちら側はあちら側の倫理、言葉で話しているように感じます。

 ドイツでラングニックが監督として一定の評判を得ていますが、彼が表舞台に立ったのは、解説が素晴らしいものだからでした。

 90年代のドイツは

 「3バックとリベロといゥ最終ライン」
 「世界の潮流である4バックとの乖離」

 が指摘されており、ラングニックはこの4バックの利点を皆が納得できる形で説明できる、まれな存在だったのです。

 ですから、彼は教授と呼ばれるほど高い信頼を得るようになりました。

 それだけ言葉を発するときは、周囲への気遣いが必要というわけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラジルのメディアは舌鋒鋭いというものの

2015-11-26 01:25:16 | 日記
 ブラジルメディアはその殆どがセルジオ越後状態と言います。

 つまり日本的な中庸だとか、長期的展望における記事の執筆がないのかもしれません。

 逆に言い換えれば自己批判が無いという見方もできますし、批判の方向が見当違いということもある一方で、その点についてはまるでジダンばりの巧みなフェイントでかわす。

 という塩梅でしょうか。

 ブラジルはワールドカップの優勝5度を誇り、サンパウロ、フラメンゴにコリンチャンスなど人気クラブが南米王者、そして世界王者に輝いています。

 しかし

 度重なる給料の遅配
 ティシェイラやジョアン・アベランジェという権力の中枢にいた人物の汚職、献金問題
 ファンの度重なる暴動

 など、世界王者がまるで運営のお手本と放棄しかたのような、くだらない問題、ばかげた問題がいくつもあるのに、メディアは

 ドウンガを筆頭に代表監督を批判
 代表の戦いぶりを批判

 しますが、上記には目をつぶっているようです。

 まず、選手を批判する前に、これらを解決する糸口を探す法が先決ですよね。

 ワールド・サッカーダイジェスト2015年11月5日において

 審判が拳銃をピッチで見せた問題
 週刊誌「ヴェージャ」が、ロマーリオの銀行口座問題をねつ造

 という記事がありますが、同じ記者としてこんな恥ずべき問題を追及もしないで、何をしているのだろうか。

 もし僕がブラジル代表の選手なら、そう思うでしょうね。

 僕はメディアが明らかに暴走していると選手がダ判断したならば、その報道内容について問いただすほうが良いと感じています。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする