塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

剣客商売から学ぶ、年齢の重ね方

2018-01-31 00:24:30 | 日記
 池波正太郎先生の代表作、「剣客商売」の主人公である秋山小兵衛は、連載開始時の年齢が60歳、小兵衛の世話係から妻となるおはるは20歳の形で人気を博します。

 池波先生が語られていますが、先生と同世代の愛読者、言い換えれば小兵衛と同年代の男性読者は、物語の設定という条件付きであっても、40も年下の明るく料理がうまいおはると同居する彼が羨ましく手仕方が無かったそうです。

 「私が死ぬまで連載をやめないでください」
 「連載が途絶えていることが気がかりです。老いてもいまだに矍鑠とした小兵衛の存在が頼りです」

 という手紙が何通も届いたと聞きました。

 今では「アンチエイジング」という言葉が聞かれますが、昭和の時代にはまず無かった言葉ですよね。

 よく加藤茶さんが、とんでもなく若い女性と再婚したときに

 「妻は茶さんの収入を目当てにしている」
 「本当にうまくやっていけるのか」

 という「やっかみ」とも感じられる批判もありました。

 小兵衛とおはるは年代も違いますし、喧嘩もしますが、お互いがお互いを敬っていることがわかる、その文体から先生は人間の心が通う出来事を伝えたかったのだと思います。

 サッカー好きが増えれば、小兵衛とはいわないまでも

 栄養素を知り、睡眠を知り、病気しらずでいられる
 応援し、声をだすことで声帯が鍛えられる

 という、ある種の医療費削減が期待できるかもしれません。

 スタジアムには若い美人もいますし、僕のような小心者はともかく、妙齢の男性と若き女性の交際がある、逆に妙齢の女性が選手を熱心に応援する姿が当然となる気がします。

 小兵衛は融通無碍であるのですが、あらゆる角度から物事を判断することはサッカーにも役立つ気がします。
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セレソンの議論、横綱の議論、それは同じ目線ではなかろうか

2018-01-31 00:03:15 | 日記
 連日、大相撲の報道がなされるなかで、横綱に求める「品格」という言葉が用いられます。

 立ち合いや技の技術、人間性、親方を敬い後輩を見守る眼差しなど、簡単に言いますと人間的に周囲が自然と尊重する佇まいと、品格という言葉に集約している印象を受けます。

 横綱の立ち位置が難しいのは、大相撲の頂点という意味以外にも、かつて親と教師、祖父母が子供、孫に伝えてきた教育概念である

 弱い者いじめをするな
 嘘をつくな、立派な態度をとれ
 悪い事をしてもお天道様が見ているぞ

 という、清廉で隠し事をしない振る舞いの模範だったためではないでしょうか。

 前頭や小結が立ち合いや技で意表をついても、横綱は真正面から受けて立てというのは、教育価値観、神道とも無縁ではないと思います。

 これ、ブラジルと似ていますよね。

 ワールドカップ5度の優勝を持つ彼らは、美しいセレソンを常に求め、1970年のセレソンに結果的に先祖返りとなります。

 ジーコは3度ワールドカップに出場したが優勝してはいない。従ってペレ、ガリンシャと同格ではない
 94年のワールドカップでは確かに世界王者となったが、ただそれだけ

 というように、優勝だけでなく機能美と戦いぶりも徹底的に問われる。

 それがセレソンであり、日本の大相撲における横綱と同じ論点で批判されている印象を受けます。

 僕は今夏のワールドカップ、ドイツの2連覇は現実的だと思いますし、一方でデシャン率いるフランス、当然チッチ率いるブラジルも優勝の可能性は大きいと思います。

 一方でメッシとロナウドは最後のワールドカップになると感じますし、ポルトガル、アルゼンチンの戦いぶりも注目が集まると思います。

 初優勝を狙う彼らは、優勝するだけで価値があるでしょう。

 しかしセレソンには今回、

 1・美しく価値優勝する
 2・それは1-7という壊滅的な敗れ方をしたドイツ戦を払拭できたのかどうか

 という2重の重みもあるわけですが。
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