塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

下位に沈むJクラブの動向を思う

2019-07-12 01:28:31 | 日記
 現状のJ1を見渡した場合、16位のサガンがJ2の入れ替え戦、17位の松本と最下位のジュビロが自動降格となります。

 この3クラブの中で、山雅だけは監督交代をせず、同時に選手の放出、加入が聞こえてきません。

 サガンとジュビロは既に監督交代を行い、前者は今季終了後にトーレスが引退すること、後者は中村が横浜FCへ移籍することを正式に表明しています。

 山雅の判断が冷静沈着な形か
 サガンとジュビロの判断が拙速なのか

 サッカーにおける監督の交代と主力の移籍は、実に難しいものです。

 ガンバも下位に沈む中で韓国代表FWのファン・ウイジョが、リーグ1のボルドーに移籍するという話があります。

 リーグ1は日本、韓国共にお隣りのブンデスリーガよりも馴染みが薄いかもしれません。

 しかし韓国代表ならばパク・チョヨン(モナコ)、中田浩二(マルセイユ)など、先人たちが開拓し、そして代表がワールドカップで中身のある戦いをしてきた。

 だからこそ獲得の声がかかるようになった、と言えそうです。

 ガンバが彼の移籍を容認するのかわかりませんが、

 「移籍させて違約金を得るべきか」
 「残留させて、シーズン終了後の移籍を勧めるのか」

 と言う点もあります。

 欧州ならばドルトムント時代のデンベレが、意図的に練習に参加せず、クラブ首脳を立腹させてバルサ移籍を実現させました。

 それはアーセナルでプレイするオーバメヤンも同様で、J1ではこのような力技に選手がでないことを期待したいものですね。
 
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J1が空洞化するなら、どう穴埋めをすべきか

2019-07-12 01:16:29 | 日記
 アジア王者のアントラーズさえ、選手の移籍か残留かで大きな決断を迫られています。

 リーガ・エスパニョーラが各クラブごとにサラリー・キャップを導入し、財政破綻を回避する策をとっていますが、アトレティコのグリエーズマンように、キャップを無視している報酬提示は、

 「どうして彼だけ」

 と当然、他の選手の嫉妬から嫉妬が生じます。

 ですから、アントラーズに限らず主力が欧州移籍を希望、もしくは打診されている場合、クラブの収支を脅かすような高額報酬でも慰留は、明らかに明らかに誤りと言えるでしょう。

 移籍させ、提示金額を引き出せるかの方が得策ように思えます。

 では、若い選手の移籍、中村俊輔のように2部に移籍を求めた場合、J1はその穴埋め、盛り上げをどうすべきでしょうか。

 ひとつの方策としては

 「東南アジアに活路を見出す」
 「Ⅽリーグに注目する」

 というように、外を意識するしかないように見えます。

 簡単に言いますと、タイ代表チャナティップのように、綿密なスカウティングの下で獲得を打診し、彼のプレイに適切な報酬を支払いながら、同時に観光客を誘致するというものです。

 北海道の場合は美味しい食事も魅力的でしょうが、東南アジアのファンには

 「積雪、スキーとスノーボード」

 という故郷では到底味わえない環境があったことも大きいと思います。

 例えばガイナーレなら砂丘という環境条件は有意義かもしれませんし、パルセイロならば善光寺という仏教を代表する建築物が当てはまる気がします。

 ただ、2019シーズン開幕前、ここまで欧州から選手が狙われるような予測は無かったように思います。

 クラブからすれば嬉しいような、悲しいような複雑な心境でしょうね。
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代々継承する様々な要素

2019-07-12 01:05:37 | 日記
 僕が一昨日、長野市まで出かけたのは腕時計専門店を訪問するためでした。

 僕は腕時計に関しては素人の中の素人で、何十年も腕時計を購入したこともなければ、店舗を訪ねたこともありません。
 
 ではどうして訪ねる気になったかと言いますと、高級腕時計の代名詞「パティック・フィリップ」の雑誌広告にあります。

 パティック・フィリップの広告はどんなものでも、上流階級の父親と子息という構成で描かれています。

 価格帯を考えれば、彼らが地位のある家庭から愛されてきたことは当然ですが、欧州では高給腕時計やツイードの上着など、上質な服飾を

 祖父から父親へ受け継がれる
 その父親が修理、メインテナンスを欠かさず息子に委ねる

 という概念が発達しています。

 僕は永久的に結婚することはできないでしょうが、どこかでこの広告に姿に魅力を感じています。

 「もし僕に息子がいれば、何をゆだねるだろうか」
 「息子が僕を見て何科を感じるような人生があっただろうか」

 と自分に問いかけているのです。

 パティック・フィリップは広告の中に、自社製品の素晴らしさと受け継がれる愛情、この2点を集約しているわけですね。

 サッカークラブも同様で、欧州、南米では贔屓クラブは基本、代々受け継がれます。

 スコットランドのように代表、リーグの発展が宗教的価値観と共にある場合は、家庭の価値観、クラブの価値観がそこに大きく影響される面もあります。

 イタリアのように、トリノに生まれた家庭ではトリノかユベントスかで揉めることもありますし、それはミラノ、つまりインテルかミランかと同様の問題と言えます。

 それでもサッカーを愛し、サッカーという競技に敬意を払うという点では、宗教的価値観が無くとも素晴らしいと思いますが。

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