塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

俳優ポール・べタニーの言葉から

2022-05-02 21:50:50 | 日記
 「他人の立場を想像する練習ができている」
 「おかげさまで批判的な人間にならずにすんでいる気がするし、そうでありたいと思っている」

 男性誌「ザ・レイク」、僕はすべての号を所有してはいませんが、俳優を毎号特集しロング・インタビューを刊行する点は、実に読み応えがあると思います。

 冒頭の事は2022年3月25日に刊行された最新号、42ページからの引用で俳優のポール・ベタニーが発しています。

 日本代表でいえば

 「ファンは森保一日本代表監督が背負う重責を想像する練習ができている」
 「だからこそ(監督ライセンスはおろか采配を振るったことさえない)我々が批判的にならずに済む」

 という事でしょうか。

 実際、日本代表に限らず批判も提言も去れない代表監督は、一人もいませんけどね。

 ヨヒアム・レーブが2014年のFIFAワールドカップ優勝の好成績を維持できたのは、2017年のFIFAコンフェデレーションズ・カップまであり、2018年は全く別物の成績となってしまいました。

 ワールドカップ優勝5度、その優勝はペレが現役自体だった崔い3度優勝と、ある意味で固め打ちの印象もあるセレソン・ブラジレイラですが、非公式であるものの、当時FCバルセロナを退団し契約先を探していたグアルディオラが

 「私はブラジル代表を率いる準備ができている」

 と語りましたが、協会は彼の申し出を断り、やはりその結果に大きな批判が巻き起こります。

 日本も「政治と金」に関して常に大きな批判があるわけですが、僕は批判をしませんよ。

 僕は山梨学院大学法学部に在籍経験をもちますが、日本国憲法、大日本帝国憲法、民放は刑法など日本国の法律に精通していませんし、講義の憲法集は聞いてはいましたが、教授に尋ねようなどという姿勢はありませんでしたから。

 やはり、自分の手に欠けているものを批判することは有機がいりますし、どこかアンフェアな気がするんですよね。
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イビチャ・オシム逝去に関して

2022-05-02 21:25:44 | 日記
 イビチャ・オシムは生前、こう語ったはずです。

 「試合前の練習、対戦相手の研究は机上の理論でしかない」
 「君たちは試合にでたら、目の前の出来事に対応し、懸命にプレイしたらよいのだ」
 「勝敗の責任はすべて私にある」

 彼のような指揮官が国会でも企業にもあふれていれば

 「記憶にございません」

 という答弁、過労死やセクシャル・ハラスメント、モラル・ハラスメントに悩む従業員はいなくなるのではないでしょうか。

 彼が指揮を執ったジェフ千葉は、当時のJクラブの監督招聘に関して珍しい信念があり

 1・まずは加茂周と共に働いたズデンコ・ベルデニックを招聘
 2・彼の後任にはベングロシュを指名
 3・そして仕上げとしてイビチャ・オシムの登場

 という形で、国籍を東欧に絞り、プレッシングと選手個々のポジショニングなど、道しるべをつけてからオシムに声をかけているわけですから、ファンも納得の(オシム就任初年度の2003年は異なる印象だったかもしれませんが)人選だったと言えます。

 ジェフは契約するカッパの日本流通が終えたことで、今季からヒュンメルと新契約を結びましたね。

 ただ、僕のような部外者も含めて一番印象深いのは

 1・胸スポンサーがオートウエーブ
 2・ジャージ・スポンサーがミズノであり、韓国代表のチェ・ヨンスがオシムと格闘していた時

 ではないでしょうか。

 勿論、リーグ創成期の胸スポンサー「SEGA」も忘れ難いとは思いますが。

 イビチャ・オシムが最後に率いた代表は我らが日本でした。

 杉山茂樹はホームで行われたガーナ代表との一戦において、彼が3-4-3のひし形を用いたことを、興奮しながらスポーツ・グラフィックナンバーにしたためました。

 それだけ攻撃的な布陣を敷いて真正面から打ち合う日本代表の姿は、やはり2022年の現在までを考慮しても、良い意味で異質であることがわかります。
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ミノ・ライオーラの死去に関して

2022-05-02 21:14:57 | 日記
 情報が錯綜しましたが、ミノ・ライオーラが他界しました。

 彼が代理人として決定づけた出来事、それは資本(お金)でしょうか。

 ライオラが抱える選手たちと言えば

 マリオ・バロテッリ イタリア代表
 ズラタン・イブラヒモビッチ スウエーデン代表
 アーリン・ハーランド ノルウエー代表

 が思い浮かぶ一方、先天的にも技術的にも各段に秀でており、だからこそライオラは(それが自分の報酬に結び付くことは口に出さなくとも)

 自分の抱える選手たちは本当に素晴らしい
 だからこそ高額報酬は当然である
 
 という意思でクラブ側と交渉するに至ったのでしょう。

 ライオラが英語、オランダ語、イタリア語、スペイン語など語学に長けていた点は確かですが、彼の強気の態度は自分ではなく、抱える選手たちの能力が高いこと、だったに違いありません。

 彼の死去で契約選手たちは新しい代理人を探す必要が出来ていました。

 特にマンチェスター・シティかFCバルセロナで揺れているであろう、渦中のアーリン・ハーランドに関しては新しい代理人が正式契約するまで交渉は進まないでしょうから、ドルトムントを含めた陣営は気を揉んでいることでしょう。

 一方で彼らは「アク」強いことも多く、逆にライオーラだからこそ波長が合ったと考えます。

 僕のようなボンクラでは到底務まりませんね。

 バロテッリのように幼少期からあこがれのACミランに在籍できても腰を据えることが出来ず、リバプールやニース、そしてブレシアなど移籍を繰り返している選手は、ライオーラの助言だからこそある意味「流浪」を甘受したのではないでしょうか・

 彼の死がここまで大きく報じられるのは、それだけ代理人の存在意義が強く選手もクラブも無視できないため、と考えます。
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